『最初の刑事』

ヴィクトリア朝のなかば一八六0年六月イングランド南西部にあるロードという小さな村でサヴィルという三歳の男の子が殺されるという事件が起きた。使用人用の便所に棄てられた三歳児の死体はのどがかき切られて首はほとんど切断状態にあった。
世にロード・ヒル・ハウス殺人事件と呼ばれるこの出来事は日本ではあまり知られていないけれど、イギリスでは一八八八年の切り裂きジャック事件に匹敵する社会的、歴史的影響力をもつ事件だという。
ケイト・サマースケイル 『最初の刑事』(日暮雅通訳、早川書房)はこの事件を丹念詳細に追ったまことにスリリングなノンフィクションだ。関係者の一人は百歳まで生きたから時間的には二十世紀中葉にまでわたる。

ロード村のカントリーハウスにはサミュエルとメアリのケント夫妻のあいだに生まれた五歳を筆頭とする三人の子供(サヴィルはその二番目の子供だった)、サミュエルと死別した前妻とのあいだの二十九歳を頭とする三人の娘と十四歳になる息子、そして三人の使用人の総勢十二人が住んでいた。サミュエルは工場監査官補という職の官吏だったから事件は当時の典型的な中流家庭における出来事だった。
戸締りは厳重で外部からの侵入は考えられず、とすればサヴィルを除く十一名のいずれかが手を下したことになる。ノンフィクションとはいっても十一人の容疑者のいる密室犯罪を扱った作品なので結果に触れるなどは差し控えなければならない。そこで以下はミステリー紹介の常道に従ったものとなる。
この事件の捜査を担当したのは首都圏警察(スコットランド・ヤード)のベテラン刑事、ジョナサン・ウイッチャー、当時四十五歳だった。勃興しつつあった大衆ジャーナリズムが事件を大きく扱ったからウイッチャーの動向は人々の注目を集めた。
捜査は難航し、ウイッチャーは犯人の目星をつけながらも決定的とはならず起訴の直前で挫折した。ジャーナリズムの非難と大衆の失望のなかでこの「最初の刑事」は事件を未解決のままにして退職しなければならなかった。
ところが一八六五年になって十一人のうちの一人が自白をして突如事件は解決をみる。それはウイッチャーが目星をつけていた人物だったが、彼に再評価がもたらされることはなかった。それどころか事件には複雑な人間関係がからむ微妙な感情が作用しており、そのため告白は誰かをかばったもので事件はなお未解決との見解をとる人もいまなおいる。
不可解な謎に挑んだ「最初の刑事」は、のちにミステリーの世界に輩出する神のごとき名探偵ではなく、右往左往しながら事実を積み重ねて推理する努力家だった。「名探偵みんな集めてさてと言い」の川柳のように富裕な旧家に関係者を集めて「さて」と論断を下す名探偵とは反対に、在職中には未解決に終わった捜査に対する社会的批判を一身に浴びなければならなかった。
ミステリーの世界では、名探偵時代のあとに、犯罪と社会のあり方に注目する傾向が生まれたが、現実にあっては「最初の刑事」はさっそくヴィクトリア朝の社会問題と直面しなければならなかった。そこのところの事情について、訳者はヴィクトリアニズムという偽善的モラルと階級差別が捜査を困難にしたと指摘する。「品格ある中流(日本でいえば上流)家庭の裏側に隠されたものがあるのはわかっていても、実際に労働階級である警官が、捜査のためとはいえその内情を詮索することなど、許されないわけで、ウイッチャーが核心に迫る一方で、世間の批判は増幅していった」のであり、そこで本書はヴィクトリア朝の社会史という一面を持つこととなった。
事件はまた文学史にも大きな影響をもたらした。このロード・ヒル・ハウス殺人事件に触発されてウィルキー・コリンズは『月長石』を、チャールズ・ディッケンズは『エドウィン・ドルードの謎』を、ヘンリー・ジェイムズは『ねじの回転』を書いた。なかでも『月長石』に登場するカッフ部長刑事は「最初の刑事」ウィッチャー警部をモデルにしていて、物語的興味と論理的推理を融合した古典ミステリーとして確固たる地位を占めている。T・S・エリオットにより「最初の最大にして最良の推理小説」と絶賛されたこの『月長石』の刊行は事件の八年後、自白からは三年後の一八六八年だった。
切り裂きジャックの事件はガス燈に浮かぶ霧のロンドンでの劇場型犯罪だったが、家庭内での子供殺しであるロード・ヒル・ハウス殺人事件はどんな家庭でも似たようなことが起こりかねないという動揺を社会にもたらした。さらに切り裂きジャック事件に四半世紀余り先行するこの不可解な事件は英国人に探偵することの興味を喚起した。ウィルキー・コリンズのいう「探偵熱」(デイテクテイヴ・フイーヴァー)が探偵小説、ミステリーの興隆をもたらす一大契機となったのである。「探偵熱」はウィッチャー批判の矢となったが、それはイギリスにおけるミステリー隆盛の代償でもあった。わたしたちミステリーファンは「最初の刑事」に深甚の感謝を捧げようではないか。