『定本 酔郷譚』

倉橋由美子『定本 酔郷譚』。文庫本の棚にあったその書名に心惹かれ即決購入した。
昨年の五月に刊行された河出文庫の一冊で、一九九六年四月から二00四年九月にかけて「サントリークォータリー」誌に断続的に連載された「カクテルストーリー・酔郷譚」のはじめての完全収録版とある。「定本」は『酔郷譚』と『よもつひらさか往還』のふたつの単行本に分載されていたのを今回併せて一書としたとの意味で付けられている。なお「よもつひらさか」(黄泉比良坂)はあの世と現世とをつなぐ場所をいう。
作者が亡くなったのは二00五年だから、晩年に書き継がれた酒をめぐる幻想小説、綺譚の連作である。

ファンタジーの体裁をとった短篇小説集には「花の雪散る里」「雪女恋慕行」「臨湖亭綺譚」「春水桃花源」というふうに酔郷にふさわしい題名が並び、眺めているだけで惑々してきて心がはやり、一読に及んで言葉で作られた酔郷〜酔狂〜粋狂の世界に驚きと深い満足を覚えることになる。読んでいるうちは酔わされっぱなしだったが読後はいささかの宿酔もなく余韻に浸った。
主人公は「慧君」。松浦寿輝氏の解説によれば一九七一年の『夢の浮橋』以来、倉橋由美子の後期小説群を主導するのは魅力的なヒロイン「桂子さん」とのことで、「慧君」はその孫にあたる。この絶世の美青年が往還する現世と異界をまたぐエリアが酔郷にほかならない。
ここで「慧君」は美女とともにカクテルに酔い、甘美な性の歓びを尽くす。ときに恐怖にさらされることはあっても酔郷ではひとところに止まるのは禁じ手らしく往還というかたちでクリアーされるけれど、その代償として後朝の別れを惜しむのは避けられない。往還者の宿命である。こうして現世と異界は二項対立でありながら酔いの郷のひとときはひとくくりの場となる。
「慧君」はいわゆる超能力者ではない。その冒険を可能にしているのがなかば異界の住人らしい「執事にして道士、一見老人にして不老の人といった怪しさ」のバーテンダー「九鬼さん」のつくるレシピ不明のカクテルだ。
それぞれの短篇は味覚豊潤なストーリーを具えるが、ここではそのカクテルにこだわってみよう。わたしはカクテルをめったに飲まないが、ウィスキーを口に含みながら言葉でつくられたカクテルを味わうのも文学の効用だ。
たとえば流氷の押し寄せてきた北の海のようなグラスへ、バーテンダーは、夕陽を沈めると言って真紅の液体を垂らす。降る雪のなかを沈んでいく太陽のカクテル。
どこかへ桃の花でも見に行きたい気分になったという「慧君」に「九鬼さん」は「今日のカクテルは長い春の日みたいにのたりのたりと効き目が続きます」とそっと名称不明のカクテルを差し出す。気分は桃源郷への旅立ちだ。
桃源があれば桜に寄せたカクテルもある。これまで味わったことのないカクテルに「慧君」が名前を訊ねると「九鬼さん」は「遅桜、とでもしておきますか」と応じる。そこで「慧君」が「遅桜なほもたづねて奥の院」と誰かの句を引く。次を所望すると「桜でいえば鬱金ですね」、これに「慧君」は「鬱金ほども黄色くないから大島桜」と付ける。
こうした言葉のカクテルに酔って頁を順繰りする気が失せても心配無用で、どこかしこ気儘に開いていると随所にお気に入りの二三行が見出される。古人の韻文だけを辿るだけでも素敵なアンソロジーとなる。
たとえばある日のカウンターでは「慧君」と「九鬼さん」との会話に蘇軾が引かれる。
「こんな雪の日にはどこかへ行ってみたいですね」
「どんなところへ」
「たとえば酔郷ですか」
「なるほど、晩雨、ではなくて晩雨人ヲ留メテ酔郷ニ入ラシム、ですか」
カクテルの対比でいえばこちらは言葉でつくられた美味な肴だ。