『ルビッチ・タッチ』

エルンスト・ルビッチ監督「陽気な中尉さん」(一九三一年)で、ミリアム・ホプキンスの令嬢が婚約者(モーリス・シュバリエ)を「あの人には軍服がほんとによく似合ってほれぼれする」と自慢すると、当の婚約者の愛人クローデット・コルベールが「でも、パジャマのほうがもっと似合うのよ」と切り返す。こうした微笑を誘う会話を含むシーンが「メレンゲ菓子のように軽く、ハート形レース飾りのように優美で、ときに茶目っ気たっぷりのスパイスを利かす。それが、趣味よく、またやさしい手ざわりで語られる」(公開当時の新聞記事)のである。これぞ「ルビッチ・タッチ」!
小津安二郎のもとで長くカメラマンを務めた厚田雄春は「もともと小津さんはルビッチがお好きだ」「『おれはルビッチばりだよ』なんていってらした」と語っている。
ビリー・ワイルダーは「ルビッチならどうする?」を座右の銘にしていて、脚本や演出のアイデアに詰まると決まって師匠のエルンスト・ルビッチならどうするだろうと思いをめぐらせた。
ルビッチ、ワイルダー、小津を繋ぐ場所はわたしにとって映画の黄金の三角地帯で、ここに身を置くと映画を観るだけじゃ納まりがつかなくて活字のたのしみも欠かせない。ところが小津とワイルダーはともかく、これまで日本語で読める本格的なルビッチ関係本がないのが遺憾だった。そこにようやく渇を癒してくれるようにこの四月、国書刊行会よりハーマン・G・ワインバーグ『ルビッチ・タッチ』(宮本高晴訳)が出版された。

著者のワインバーグ(一九0八年〜一九八三年)はニューヨーク生まれの映画評論家、研究者で、一九七七年に刊行された本書はルビッチに関する古典的著作と高い評価を受けている。ここには三章(「ドイツ時代」「アメリカ・サイレント時代」「アメリカ・トーキー時代」)にわたる評伝とともに当時の関連記事、脚本家インタビュー、関係者の回想と追悼、人物評などが収められており、訳書にはさらに「ルビッチ俳優名鑑」、フランソワ・トリュフォー山田宏一によるルビッチ論、しっかりした訳注が加えられている。キャメロン・クロウワイルダーならどうする?』(キネマ旬報二00一年)のときにも感じたことだがこの訳者の仕事ぶりは真摯で丹念で信頼感がある。今回の訳書も本づくりの亀鑑とするに足る。
ファシズムを風刺した政治劇(「生きるべきか死ぬべきか」)や反戦をテーマとするドラマ(「私の殺した男」)を含むルビッチの多彩な作品群のなかでいちばん多く採りあげられたのは男女の愛情の機微とセックスをめぐるエレガントなやりとりで、これを洗練されたコメディや工夫を凝らしたミュージカルに仕立てた。
たとえば代表作のひとつ「結婚哲学」では暗礁に乗りあげた夫婦とラブラブ夫婦の二組に、後者の妻に言い寄る男がくわわり、男女のもつれあう関係が軽妙なテンポ、乾いたタッチで描かれ、その果てにみんなが落ち着くべき相手と結ばれて至福の状態を迎える。
観客は絶妙の演出にため息をつきながら「繊細なアイロニー、辛辣な皮肉、容赦のない糾弾のただなかに、これら上品な男女が生活する縮図と化した理想郷、日々の悩みから解放された世界(そんな世界がこの世にあるだろうか?)という環境が姿を現す」のを目の当たりにする。
この観客のため息に込められた思いをフランソワ・トリュフォーは「人間的な、あまりにも人間的な魅力と知性のひらめきにあふれたいたずらっ気」と表現し、ワインバーグはそれをもたらした成分として「皮肉と侮蔑を混雑させたきわめて特殊なベルリン風ユーモア」、「中欧風の座談に色どりをそえる、まろやかで、カラッとあかるい、無意味なシニシズム」、作品発酵の素、調味料としての「ユダヤアイロニー」を挙げた。
ちなみに「結婚哲学」の前年にはチャップリンが監督した「巴里の女性」が公開されていて、ルビッチとエイゼンシュテインに甚大な影響を及ぼした。この映画史の転換点でのルビッチの結実が「結婚哲学」で、「チャップリンがコメディのきらめきをもつドラマを作り上げたのに対して、ルビッチはドラマのきらめきをもつコメディ」を作り上げたのだった。
はじめにわたしはルビッチ、ワイルダー、小津ともなると映画を観るだけじゃ納まりがつかなくて活字のたのしみも欠かせないと書いたけれど、もとより同時にできることではなく、この点について産経新聞の書評「編集者・高崎俊夫が読む『ルビッチ・タッチ』」にジョナス・メカスの『メカスの映画日記』の一節が引用されていて、リトアニアの映画監督、作家はこんなふうに述べている。
ワインバーグの本は禁止されるべきだ。彼は映画に対するあまりにも大きな愛をほとばしらせて書くので、読者はそれを読み、どこで、いつ、ここに出てくる映画を見ようかと考えて気が狂ってしまうのだ。私はいま、『ルビッチ・タッチ』を読んでいる最中だが、これ以上耐えられない。明日『寵姫ズムルン』を見るか、この本を棄てるかのどちらかだ」。
『ルビッチ・タッチ』の読者はおなじ強烈な衝動をこうむるにちがいないので、注意されるようあえて再引用させていただいた。