池田清彦『アホの極み』を読む

地震予知原発、地球環境、脳死、臓器移植などなど現代科学の諸問題について文系老人(小生のこと)はとても難渋する。関係しないでいられるならそれでよいけれど生活に係わるからそうもゆかない。
もとよりさまざまな意見、考え方があるのは承知しているが、そこを踏まえて、やさしく解説してくれる、しっかりした専門家がいてほしいものだ。むかしは寺田寅彦がいて、いまも啓発されるところ大だが、現在生起している問題をすべてカヴァーできるものではない。そこでこうした問題についてわたしがまず意見を聞いてみたい先達が池田清彦氏だ。
構造主義生物学というよくわからない分野の専門家ながら、現代科学の孕むさまざまな問題から社会巷談にわたって、門外漢にもわかりやすく、気っ風のよい語り口で説いてくれる。要するに面白くてためになるんです。
尾籠な話で恐縮だが、小生、むかし痔の手術をした。その際、何気なくお医者さんに、手術までのあいだお酒飲んでいいですかと質問したところ、絶対厳禁とのお答えが返ってきた。何をたわけたことを言うのかといった雰囲気だった。
ところが別の病院で診察を受けて訊くと、どうせ切るんだから、それまではどうぞと言ってくれた。
お酒厳禁と、どうせ切るんだからそれまではよろしいと正反対の意見。そこで、執刀は後者の先生に限ると判断した。見解の相違に現代医学はどうなっておるんじゃという気持はなく、お酒飲んでいいよの先生は名医だと思いましたね。酒にこだわったわけではないが、なんだかほんわかとした安心感に包まれた感じがした。
前者の医師を云々するのではないが、世の中、恫喝めいた言説はいやなものだし、極力警戒しなくてはいけないと思う。やれ、これをしないと世界の大勢から取り残される、バスに乗り遅れる、やれ、あれをしないと取り返しのつかないことになるといった。
人生バスに乗るためのものでもなければ、何かを取り返すために日々を過ごすものでもない。人生の取り立て屋なんて最悪じゃありませんか。大事なのは愉しく幸せに日々を送ることなんだもの。
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それはともかく、専門性が高く、近寄りがたい現代科学ゆえに門外漢を見くびった言説も生まれやすい。大胆に言ってやらないと素人には危機の本質が見えないとは善意の解釈だが、なかには利権獲得の意図でもって危機を煽ったりする事例もあるそうだから用心に越したことはない。いま、そこにある危機の内実を見極め、説いてくれる専門家がいてほしいと考える所以だ。
これまでも池田清彦は世にはびこる恫喝めいた言説を採りあげ、何が危機であり、そうでないか、あるいは危機の本質がどのようなものであるかを解き明かそうとしてきた。先日読んだ『アホの極み』(朝日新聞出版)も同様で、副題に「3・11後、どうする日本!?」とあるように、本書では東日本大震災以降の問題に重点が置かれている。

寺田寅彦がそうであったように池田清彦も自然に対してたいへん謙虚だ。人間は自然の、宇宙のごく一部に過ぎず、一部が全部を知ることは不可能だ。謙虚になると、その逆側がよく見える。
寺田寅彦は当時の言論環境にあって「国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は現に政府当局の間で熱心に研究されているであろうが、ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富な大天災に対する国防策は政府のどこで誰が研究し如何なる施設を準備しているのか甚だ心元ない有様である」(「天災と国防」)と述べて天災に謙虚ならざる体制を批判して硬骨漢たるところを示した。
いっぽう八方破れのユーモアを具えた池田清彦は謙虚の逆側にある傲慢かました絶対的正義やごまかしに過激に対峙する。
「正義と健康が一番ヤバイ。暴対法の強化とかたばこの値上げとかの、正義の実現や国民の健康を守るためといった、錦の御旗をかかげてくる政策は、よほど注意しないと、そのうち国民は真綿で首を絞められることになりかねない」
「健康というのは実は幻想なのだ。一番体に悪いのは年取ることだ、という当たり前のことを、もっと真面目に考えた方がよいと思う。幻想は追い求めても実現しないから幻想なのであって、たばこも酒ものまず、毎年律儀に健康診断を受けていても、人は必ず病気になって死ぬ。人は病気を予防したり治したりするために生きているわけではない」。
「最近一番あきれたのは、年間一ミリシーベルト被爆の限度と言っていたのを、二0ミリシーベルトまで大丈夫と、極めて恣意的に安全基準を変えたことだ。(中略)放射線はDNAを確率的に損傷させていくので、被曝量とがんの発症率はほぼパラレルになると思われる。被曝量は少なければ少ないほど安全だ。二0ミリ以内なら安全などというのは真っ赤なウソだ。日本政府を信用してはいけない」
「こういうことを言うと怒る人がいるのは承知しているが、アホ極まりない政府やエゴの塊の東電の言うことを聞いて、唯々諾々と節電に協力している企業や人々が大多数という現実が私には信じられない。(中略)節電の強制は、原発止めると大変なことになるんだよ、という脅しに違いないと私は思う。(中略)オレは非国民だから東京へ帰ったら、電気がんがん使うぞ」
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池田がこれまでに問題視してきた絶対的正義やごまかしのひとつに地球温暖化防止のためのCO2削減大号令がある。本書によると、ここへ来て温暖化論のバックデータを提供してきたIPCC気候変動に関する政府間パネル)の報告書にデータ捏造の疑惑あるいは重大な誤りが指摘されているとか。二00九年の暮れあたりからのことらしい。
南極の氷が溶けやすくなっているといった現象もあるそうだから、地球温暖化をバッサリ斬る勇気はないけれど、これは相当人為的に煽られた面もあるのは確かだろう。
小酒井不木人工心臓』に、人類文化発達史上から見た人間の最大欠点は、物事をみだりに複雑にしたことで、そうなると枝葉の問題に心を奪われて根本を忘れがちになるという箇所があり、そこで語り手は人工心臓を発明して、医学の根本に還らなければならぬと説く。まだ移植手術のない時代の話だ。
不木の『人工心臓』はSFというか怪奇幻想小説であるが、枝葉ではなく根本に還らなければならないという発想は医学者として常に心がけていたことのように思われた。このばあい心臓移植は枝葉であり人工心臓が根本で、京都大学山中伸弥先生のiPS細胞の発想にも通じているのではないか。
池田清彦も常に枝葉ではなく根本の問題を扱う。その力説するように京都議定書やCO2の削減は枝葉の最たるもので、エネルギー問題の根本はより安全なエネルギーの発見であり開発である。文系老人(小生のこと。しつこいっ!)の心許ない判断だが、わたしは池田説が筋が通っていると考える。
スターリン毛沢東ヒトラーといった「絶対的正義」がとんでもない災厄をもたらしたのはよく知るところだが、自然科学の世界にもへんてこりんな「正義」がまかり通る事情があるようだ。
といったところで地球温暖化論の人為性と東日本大震を繋げて現時点での著者の原発論を見ておこう。
「CO2の削減に反対するのは未来の人類に対する罪だなどと言って、温暖化対策利権に群がり、原発の推進に邁進した」
「これからのエネルギー政策で重要なことは、安全性とコストを最優先して、CO2の増加などは考える必要はない」
脱原発を進めるためには効率のよい発電装置を作る必要がある。(中略)電力の安定供給のためには、しばらくの間は原発を稼働せざるを得ないが、代替の発電装置が出来上がったら、その分原発を止めて徐々に廃炉にしていこう」
「火力発電所を建設してCO2が多少排出されても、まともな国民は文句を言わないだろう。現時点では、天然ガスを使うガスタービンが一番使い勝手が良いと思う」
この結論に至るデータや考え方は本書をお読みいただくほかないが、わたしはきわめてまっとうな議論だと思う。