『コーヒーと恋愛』

「てんやわんや」「自由学校」「大番」「青春怪談」「信子」「娘と私」。
思いつくままにこれまでに観た獅子文六原作の映画を挙げてみた。こんなにたのしませてもらっているのにこの作家の小説を読んだことがない。折よく『コーヒーと恋愛』がちくま文庫に入ったのでさっそく読んでみた。
まずは文章が簡潔スッキリ、リズミカルでとてもさわやかな気持になった。ワン・センテンスが小気味良い直球であり、それがテンポ良く投げ込まれてくる。作家は文章の芸を見せるのが仕事だからと、息が長くて趣向を凝らした文体を期待する向きがあるところにこのような平明簡潔な文章を読むととても新鮮に感じる。ほんとは大変な芸なのに芸と思わせない。抑制を効かして書いているはずなのにまことに自然な流れと映る。こういうのを至芸というのでしょうね。

およそ半世紀前一九六二年(昭和三十七年)の十一月から翌年五月にかけて読売新聞に連載された小説の主人公は坂井モエ子、四十三歳、テレビの脇役で人気の女優さんだ。作者はその容貌、芸風などすべては「番茶の味」と評している。
私生活では八歳下の塔之本勉くんと同棲している。彼女も名を列ねる劇団で舞台装置を担当するベンちゃんだ。
モエ子はコーヒーを入れるのがたいへん上手で「彼女の入れたコーヒーは、まったくウマい。色といい、味といい、香りといい、絶妙である。そのくせ、彼女は、コーヒー豆や、道具にこらないし、いれ方にも煩いことをいわない。ほんとに、無造作である。まず、生まれながらのコーヒーの名手というのであろう」といった具合だ。それなのにある朝、彼女のコーヒーのいちばんのファンであるベンちゃんからまずいと注意を受けた。なに言ってるの、そんなはずはないとモエ子が飲んだところ、じっさいまずかった。そこへ彼から「君は丹野アンナのことを、考えてたな」と追い打ちの声がかかった。
たしかにモエ子はその朝のコーヒーを入れたときベンちゃんとおなじ劇団の女優であるアンナとの仲を疑っていた。その味覚に二人の仲の亀裂が反映して異変出来である。
モエ子にはコーヒー通の仲間がいる。可否会という五人のグループで月に一度集まっては自慢のコーヒーを飲みながら蘊蓄を傾けている。会長さんは菅貫一といって五十一歳、土地持ちで地代の上がりだけで中流以上の生活ができるというけっこうな御身分だ。愛妻がポックリ病死していまは大学生の息子と二人暮らしをしている。
モエ子と勉くんの異変に可否会の会員である画家、大学教授、噺家つまり会長とモエ子を除く三人は菅とモエ子の結婚を画策する。
こうしてモエ子と八歳下の勉くん、さらに八歳下のアンナ、そしてモエ子より八歳上の菅会長の恋愛模様が男女の機微とともに描かれる。
このころロマンティック・コメディということばは広く知られていなかったし、だいいちそんなふうに銘打たれてもいないけれど『コーヒーと恋愛』の気分はロマコメ。ここで獅子文六は洗練されたコメディ作家である。
解説の曽我部恵一さんは「携帯電話もパソコンも無い時代の濃厚でゆったりしたコミュニケーションが、この時代を経験したわけでもないのに、ちょっとなつかしい気持ちになってしまったりする」と書いている。そうした昭和の風景やコーヒーについての蘊蓄もうれしい。