『アルゴ』

世の中には自分はこんなことをしてきましたと素直に語るだけでそれが波瀾万丈のストーリーになる人がいる。取材を重ねたり知恵を絞るなどあれこれ苦労して物語を作らなくてもよい稀な存在だ。CIAで人質救出を専門としたアントニオ・メンデスもその一人で、さきごろ公開されたベン・アフレック監督、主演作「アルゴ」のモデルである。
映画がとてもおもしろかったものだから原作のアントニオ・メンデス&マット・バグリオ『アルゴ』(ハヤカワ文庫NF)を手にしてみた。アントニオ・メンデスが語るのを作家のマット・バグリオが文章化し体裁を整えたのだろう。映画と同様こちらもいけますよ。

イラン革命によりホメイニを最高指導者とする革命派がパーレビー国王に代わり政権を掌握した。国民の怨嗟のまととなっていたパーレビーは国外に逃亡し、その入国をアメリカが承認したのを機にイランの反米感情は高まり、革命派によるアメリカ大使館占拠事件が勃発した。一九七九年十一月四日のことだ。
大使館員のほとんどが人質になったが、六人だけはひそかに脱出してカナダ大使らにかくまわれていた。危険が迫るなかかれらをテヘランから救出するためアメリカはある偽装工作を立案する。
アントニオ・メンデスが立案したその内容は、「アルゴ」という架空のSF映画を企画し、六人をイランへロケ地探しにやってきたスタッフとして出国させるというものだ。そのためハリウッドに偽プロダクションが設立され、マスコミへのプレゼンテーションが催されたりする。
映画はスリルとサスペンスを高めるため後半の作戦遂行に重きが置かれている。なにしろ空港で六人のうち一人でも大使館員と判明すると命はないし、航空機離陸までの時間との戦いはハラハラドキドキだ。
それに較べると原作は前半の頭脳ゲーム、作戦立案過程が興味深い。はじめに「アルゴ」があったのではなく、一案としてパーレビー殺害偽装計画もあった。国王は殺されたあるいは死んだとして大使館にいる人質と六人の脱出組の全員の帰国を図るものだが、しかしこれで解放されるという保証はない。
そこで六人の救出計画が先行する。そのためには誰かが六人に接触して脱出に必要な措置を講じなければならない。ここから生まれたのが「アルゴ」作戦だった。
まず発想の段階があり、つぎにその精度が高められる。計画は大統領の承認はもとより、カナダ大使館に潜伏しているのだからカナダとの連絡調整も必要だ。カナダは大使館の閉鎖を予定しており、時間は迫っている。
本書を読むと、たしかに脱出作戦は奇抜なものではあるが、瓢箪から駒が飛び出したような思いがけず生まれた奇策ではないことがよくわかる。
六人救出のためには変装と新しい身分証明書の偽造が必要だ。六人はグループ分けせず一挙に脱出させるものとする。何者に身をやつし、どのように変装させればよいか。変装したかれらの演技はそれらしく見えなければ、つまり信憑性がなければならない。とすればある程度イメージがあり、それに沿って振る舞える職種になりすますのが肝心だ。となればそれは何か。
油田労働者、栄養士、教師などの案もあったが、最後は映画のロケハンでイランにやって来たプロダクション関係者を装えばよいとなった。農業の初歩的知識のない者でもハリウッドがどんなものかのイメージはある。自分たちの映画のことしか頭にないハリウッドの変人ならイランへ最適のロケ地を探しにやって来てもおかしくはない。
それに映画業界の人間に身をやつすのはほかの計画にはあり得ない「楽しみという側面」がある。六人がある意味で楽しめるということは演技をやりやすくさせ心理的負担を軽くする。ほかの作り話ではこうした効果は得られない。ならばつぎにはハリウッドの協力を得なければならない。奇抜な作戦は論理的に緻密であり、筋が通っている。外交ルールを無視したイランの革命政府にアメリカは偽装諜報活動で六人の脱出に成功したのだった。
成功の要因は二つあったと著者はいう。ひとつはイラン脱出の六人が架空の話の有効性を信じて映画スタッフになりすますことに専念したこと、もうひとつはどこから見ても突飛な作戦であり嘘にしてもあまりにクレイジーな話なのでチェックのしようがなかったこと。
本書は「アルゴ」作戦の企画と遂行をめぐるノンフィクションであり、ここでは「アメリカの正義」は揺るぎない。けれどアメリカが傀儡とした国王パーレビーによる非道な行為、圧政と暴政が国際的なルールや慣行を無視する革命政府を生んだ一面は否定できない。それゆえこうした国際政治の側面については別のところに譲らなければならない。