『わが恋せし女優たち』余話

逢坂剛川本三郎『わが恋せし女優たち』(七つ森書館)はたのしい本だった。本文を読み、写真を眺めているうちに華やいだ雰囲気に包まれ、心がときめき、甘酸っぱい思い出がよみがえった。
ミレーヌ・ドモンジョといえば一九五0年代後半に「悲しみよこんにちは」「女は一回勝負する」「お嬢さん、お手やわらかに!」などが日仏両国で人気を博して、以来いまにいたるまで活躍しており、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のゲストなど来日回数も多く、邦画では「ヨーロッパ特急」や「東京タワー」の出演がある。
わたしは一九五0年生まれだから人気が沸騰した五十年代の諸作はリアルタイムでは観ていない。当時「女は一回勝負する」の水着姿のポスターが衝撃的で話題となったというが、知らないままだった。その「女は一回勝負する」をめぐって『わが恋せし女優たち』に「『女は一回勝負する』でミレーヌ・ドモンジョの乳首を見たという人がいますが、本当だとしたらすごい!」と川本三郎氏が語っている。

そっと告白するけれど、わたしは「女は一回勝負する」ではないがドモンジョの乳首を見たことがある。すくなくとも記憶のなかでは見たことになっている。
中学生のとき友だちの家で見せてもらった「平凡パンチ」のカラーグラビアに美しいヌード写真があり、ミレーヌ・ドモンジョの名前があった。片ひざついたポーズだったから脚線は見られなかったが乳首を包むトップはなかった、と記憶する。
淡くピンクがかった肌が美しく、眩しく、柔らかそうな肢体は、のちに「マシュマロのような」という表現を知ったとき即座にこのときのヌードが思い浮かんだ。美しい肌と柔らかな躰に、大時代に言えばわたしの官能は激しく揺すぶられていた。ことさらに乳首の印象があるわけではないが、たしかにビキニ姿ではなかった。
できればもう一度お目にかかってみたい。ヌード写真がもたらした中学生の感激と動転が半世紀たってどうなるのか怖い気もするけれど。


もうひとり採りあげるのは「バンドワゴン」や「絹の靴下」でフレッド・アステアとコンビを組んだシド・チャリシー(『わが恋せし女優たち』ではシド・チャリースと表記)。いくらお気に入りの本でも「わが恋せし」女優についての見方や評価があまりに異なると心穏やかではいられない。それがどうだろう、逢坂、川本両氏とも彼女のファンとの由で御同慶の至りだった。
逢坂氏は「今どきのスターにない華やかさと美貌を備えながら、忘れられた女優」のひとりとしてフランセス・ディー、ガートルード・マイケル、ヘディ・ラマーとともにシド・チャリシーを挙げている。彼女の人気って世間的にはそうしたものなのだろうか。

「たくさん持ってますよ。彼女のブロマイドは。サイン入りもありますよ」と逢坂氏が言えば、川本氏が「綺麗だし、スタイルも抜群によかった。もっと人気があっていいと思う」と応じる。そして「とにかくあんな綺麗な脚の女優は、ほかにいなかった」(逢坂)「スタイリッシュでした。『絹の靴下』のときの堂々たる筋肉がすごかった」(逢坂)「ベティ・グレイブルなんかシド・チャリースと比べれば、どうして脚線美といえるんだろうと思います。『リオ・ブラボー』のアンジー・ディキンソンも美脚で有名でしたけどシド・チャリースのほうがずっといい」(川本)「アンジー・ディキンソンは細くて長いだけだから」(逢坂)とご両人ともなかなかに意気軒昂で「うれしいねえ、寿司喰いねえ、酒呑みねえ」と声をかけたくなるのだった。
アメリカ滞在中の永井荷風が、友人西村恵次郎に宛てた手紙に、春画はおかしくはあるものの、実感は起こさせない、むしろ「実感の点から云ふと足踊りをやッて居る安芝居の広告画の方が遥に有力なのです。今日春情実感を起させる一番有力なのは、女のペチコートの間から、ほの見える足の形一ツです。細い舞り靴をはいた女の足・・・・・・此れが一番微妙な妄想を起させるです」(明治三十八四月一日)と書いている。荷風のばあい脚線美に魅せられたというよりも脚線美を発見した日本人と言ってよいだろう。
のちに「ウエストサイド物語」の作曲者レナード・バーンスタインは、ミュージカルはドラマと歌とダンスとスペクタクルと脚線美と語ったが、荷風が発見した脚線美はやがてハリウッドにもたらされミュージカル映画の隆盛に大いに寄与した。その頂点にシド・チャリシーがいる。