ほんのはなし

『地震雑感/津波と人間 寺田寅彦随筆選集』

本書は関東大震災をはじめとする災害や事故をめぐる寺田寅彦の随筆、論説を集成した中公文庫の一冊。千葉俊二、細川光洋両氏による編集で巻末には細川氏による親切な註解があり理解を助けてくれる。 一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市の東方沖を…

『古今亭志ん朝 大須演芸場』

トカゲを飼って大きくして財布にするんだと真面目な顔で親父の志ん生がいうものだから、長女の美津子はやむなく「何言ってんの、父ちゃん。トカゲがそんなに大きくなったら、財布にする前に父ちゃんが食われちゃうよ」と応えたところ怖がりの志ん生は一発で…

手縫いの足袋

この四月に出た新潮文庫の新刊『私の銀座』を読み、よい機会だと以前に古書市で買っておいた『銀座が好き』にも眼を通した。いずれも「銀座百点」に載ったエッセイを収めていて、後者は一九八九年に求龍堂から刊行されている。 双方合わせると百四十篇ちかく…

『ヒューマン・ファクター』

ジョン・ル・カレ『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』が映画化された(邦題「裏切りのサーカス」)のをよい機会と三十余年ぶりにグレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』を新訳で再読した。(加賀山卓朗訳、ハヤカワepi文庫) どちらもイギ…

母語と母国語〜『サラの鍵』余話

『サラの鍵』にある著者タチアナ・ド・ロネの紹介には「1961年パリ郊外で生まれる。イギリスとフランス、ロシアの血を引く。パリとボストンで育ち、大学はイギリスのイースト・アングリア大学で英文学を学んだ。その後パリへ戻り、オークションハウス〈クリ…

『サラの鍵』

書店の棚にタチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』(高見浩訳、新潮クレスト・ブックス)を見かけた。映画「サラの鍵」(本ブログ2012年1月5日の記事を参照してください)がとてもよかったものだからそのまま通り過ぎるわけにはゆかなかった。 オビには角田光代さん…

『永井荷風と部落問題』

このほどリベルタ出版より拙著『永井荷風と部落問題』(1900円(税別))が刊行されました。御一読、御批評たまわればたいへんありがたく存じます。 どうかよろしくお願い申し上げます。 ◎あとがき抜粋 本書の著者は、30代のほとんど10年を高知県の県立高等…

『持ち重りする薔薇の花』

旧財閥系の企業の元社長でいまは名誉顧問、以前は経団連の会長職にもあった老実業家梶井玄二が旧知のジャーナリスト野原一郎に語る、世界有数の弦楽四重奏団ブルー・フジ・クヮルテットの三十年にわたるあれやこれやのお話。 梶井の条件は、プライヴァシーに…

『幻影の書』

本書のはじめの五六行を読んで、とりあえずパスしておこうと判断した映画ファンは相当に辛抱強い人だ。それほど映画好きにはこたえられない書き出しなのだ。〈誰もが彼のことを死んだものと思っていた。彼の映画をめぐる私の研究書が出版された一九八八年の…

シェルビー・スティールの本〜『白い罪』と『黒い憂鬱』

この四月に刊行されたシェルビー・スティール『白い罪』の訳書を遅ればせながら読みましたので紹介してみます。併せて『黒い憂鬱』の書評も載せました。ただしこちらは既発表で、雑誌「こぺる」一九九五年二月号に掲載されたものです。『白い罪』 アメリカ合…

小説「ゴーストライター」の枝葉末節

映画「ゴーストライター」に促されてロバート・ハリスの同名の原作を読んだ。(熊谷千尋訳、講談社文庫)。すでに原書は二00七年、訳書は二00九年に刊行されている。 わたしが海外ミステリに魅せられたのは、コナン・ドイルでも、アガサ・クリスティーで…

『野口久光シネマ・グラフィックス』

野口久光(1909-1994)さんの名前を知ったのはジャズを聴きはじめた一九七0年代のはじめだった。ときどき手にした雑誌の音楽批評やレコード解説でその名を眼にしたのだった。 難しい理屈を振り回したり、前衛ぶったところがなく、トラッドなジャズにも目配り…

『寄席紳士録』

敗戦後、やっとこさ大連からの帰国がかなった古今亭志ん生が、九州の引揚者収容所で家族に宛てて鉛筆舐めつつ頼信紙に「二七ヒカエルサケタノム」と書いたところ、びっくりした引揚者団の世話人が、収容所中にひびきわたる胴間声で「なんじゃッてえッ?サケ…

一枚の絵〜「東京の空(数寄屋橋附近)」

黒澤明、小津安二郎、溝口健二の映画に、絵画を中心とする芸術作品がどのようにかかわっているのかを、ゆかりの美術スタッフとの関係や親交のあった芸術家との交流を含めて追求した古賀重樹『1秒24コマの美』(日本経済新聞社)を興味深く読んだ。いわば…

『深夜の散歩』のおもいで

ハヤカワ・ライブラリの一冊として刊行された『深夜の散歩』を眺めている。一九六三年十一月三十一日付け再版で、版型はハヤカワ・ポケット・ミステリとおなじ。一昨年に神保町の小宮山書店のワゴンセールでもとめた。三冊五百円だったから迷いなく即決で、…

『昔日の客』

山王書房という古本屋さんがあった。一九一八年(大正七年)生まれの店主関口良雄さんが大森にこの店を開いたのは一九五三年(昭和二十八年)のことだった。それからおよそ四半世紀のちの一九七七年(昭和五十二年)に関口さんは五十九歳で没した。 古本屋の…

『失われたものを数えて』

『失われたものを数えて』(河出書房)の著者高田里惠子さんは一九五八年生まれ。現職は桃山学院大学経営学部教授。専門はドイツ近代文学および日本におけるドイツ文学研究とドイツ文学受容の歴史。 ドイツ文学に限らず外国文学の「受容」は「需要」と密接に…

『漂砂のうたう』

『茗荷谷の猫』につづく木内昇(きうち・のぼり)さんの新作となるとおのずと手は伸びる。『漂砂のうたう』集英社刊。本作は先日、直木賞を受賞した。 明治初期の根津遊廓を舞台とした歴史小説の一面はあるけれど、いっぽうでたいへんにミステリアスな小説で…

『小さいおうち』

中島京子の直木賞受賞作。帯には〈昭和モダンの記憶を綴るノートに隠されたひそやかな恋愛事件〉とある。昭和のモダニズムに惹かれて一読。読後、ああ、よい物語を読ませてもらったと大満足だった。 昭和五年(一九三0年)春、尋常小学校を卒業した布宮タキ…