『地震雑感/津波と人間 寺田寅彦随筆選集』

本書は関東大震災をはじめとする災害や事故をめぐる寺田寅彦の随筆、論説を集成した中公文庫の一冊。千葉俊二、細川光洋両氏による編集で巻末には細川氏による親切な註解があり理解を助けてくれる。

一九三三年(昭和八年)三月三日に起きた釜石市の東方沖を震源とするマグニチュード8.1の昭和三陸地震とそれに伴った津波を機に書かれた「津波と人間」に「二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼き払われたのである」との一節がある。
ここには自然科学についての豊富な知識と深い人間洞察を基にした寅彦の慧眼と安政の経験が大正に、大正と昭和の経験が平成に活かされない、おなじ災害に遭ってもなかなか利口にならない、変わらない、変わりにくい人間の性質が示されている。 寺田寅彦はけして地球物理学の専門家の高みからものを言っているのではない。この言葉の背後には人間にとって反省や教訓を活かすことがどれほどむつかしいことであるかの悲哀がある。
人間の眼は外向きに付いている。だから他人の欠点やアラはよく見えるから一寸したことにもすぐに目くじらを立てるくせに自分を見るのはとても苦手で反省、内省、教訓を活かすのはおろそかになりやすい。たとえ一時的に反省し、教訓を肝に銘じても、忘却という能力には長けている。
他方で人間のある種の能力すなわち自然を征服しようと「重力に逆らい、風圧水力に抗するような色々の造営物」をつくる能力はだんだんと発達してきたから「安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかったから幸であったが、次に起る『安政地震』には事情が違うということを忘れてはならない」という問題が生まれ、それらの設備が整うとともに「安政の昔ならば各地の被害は各地それぞれの被害であったが次の場合にはそうは行かな」くなる。
おなじ災害に遭ってもなかなか利口にならないうえに、災害を大きくする要因が付け加わってゆくのだから深刻さは増す。
「色々の造営物」は自然を征服し、その暴威を封じ込めた成果だったはずなのに、自然はどうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように暴れ出して「高楼を倒潰せしめ、堤防は崩壊させて人命を危うくし財産を亡ぼす」のだから「造営物」はわざわざ災害を大きくするように努力した結果の賜物とならざるをえない。
さらにはライフラインに象徴される「いわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来た」という事情があり、その有機系では一部の損傷損害が系全体に有害な影響を及ぼす可能性を高め、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となる。
つまり安政年間にはなかった電信や鉄道や電力網などが被害を大きくし、安政年間には一地域に限られた被害が全国に大きな影響を及ぼす。利便性は災害被害の大きくなることを代償としている。こうして文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向が生まれる。

人間はこれらのことをふまえて対応策を講ずるほかない。災害はいつ到来するかはわからないが、来るのは確かだからそのときに備えなくてはならない。災害は避けられなくても被害の程度は人間の力で軽減できるのだから。
このわかりきったことがらは、いっぽうでまことにきれいさっぱり忘れ去られやすいものでもある。その結果としていまの日本の事態がある。せめてこのことだけは心に刻んでおこうと思いわたしはこの書評文を書いた。
「戦争は是非とも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させる訳には行かない。その上に、いつ如何なる程度の地震、暴風、津波、洪水が来るか今のところ容易に予知することが出来ない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである」。
一九三四年(昭和九年)に書かれた「天災と国防」の上の箇所を真剣に読んで国政に反映させようとする政治家が何人かいたらこの国のその後はすこしは変わっていたのではないか。過去の詮索はともかくとしてこれはいまのわたしたちの課題でもある。
災害について観察、検証、考察、思索した寺田寅彦はわたしたちがこの問題について考え、行動するための大きな拠り所を提供してくれている。繰り返し災害に遭ってもなかなか利口になれず経験や教訓を活かしてこなかった人間に希望と指針をもたらしてくれている。