『キャッチ・アンド・キル』~ #Me Tooの起爆となったノンフィクション

ローナン・ファロー『キャッチ・アンド・キル』(関美和訳、文藝春秋)は映画プロダクション「ミラマックス」の設立者で、数多くの名作を手がけてきたハーヴェイ・ワインスタイン(わたしの大好きな「パルプ・フィクション」や「シカゴ」もこの男のプロデュース)が性犯罪の常習者であることを明るみにし、また#Me Too運動の起爆のひとつとなったノンフィクションだ。闇の奥にある事実を掘り起こす筆致は息詰まるほどサスペンスに満ち、同時に怒りを呼ぶ。

キャッチ・アンド・キルは、スキャンダルを捕えて抹殺すること、すなわち性犯罪を闇に葬る手法をいう。権力者が犯したセクハラ、レイプの被害者から当の権力者を守るための組織が、多額の示談金と引き換えに被害者に秘密保持契約を結ばせ、もしも口を開けば損害賠償を請求する、そうした脅迫が繰り返されていた。

名乗り出て告発した女性は傘下のジャーナリズムが信用をズタズタにし、貶めて追い詰める。犠牲者が略奪者に仕立て上げられてしまう。 怖くて何も言えなくなってしまうと示談に応じるほかなくなる。

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ニューヨークタイムズ紙がハーヴェイ・ワインスタインの数十年におよぶ性暴力と虐待の実態を告発する記事を掲載したのは二0一七年十月、記事によると、かれは一九九0年代から社内の女性スタッフや自社作品に出演する女優、若い女優志願者などに暴行と虐待を繰り返していた。

そうした実態があることを知る人はいたが多くは恐れて口を閉ざしていた。あるベテラン女性記者は、ワインスタインの性犯罪の噂は「いにしえの昔から」しょっちゅう聞いて、一度だけ詰め寄ったこともあったが報道までは至らなかった。もう少しのところで掲載が見送られた事例もあったがニュースとするところまでは誰もたどり着けなかった。( ここでわたしは思わず掲載不可となった記事を集めた文書館があればよいのにと夢想した。)

それでも本書が示すように、米国にはあきらめず、メスを入れるジャーナリズムの存在があるのは頼もしい。

ある女性ジャーナリストはワインスタインの事件は「報道界の白鯨」「絶対に捕らえられない事件」と語った。その比喩を借りると著者ローナン・ファローは実名で事実を告白した勇気ある女性とともに「白鯨」を捕らえたのである。

もとより事件は突然の出来事ではない。ワインスタインのセックス・スキャンダルは「ハリウッドでは全員が、本当に一人残らず、何が起きているかわかっていた」という人もいるほどだ。どうしてわかっていたか、おそらく映画の歴史のはじめから映画業界がそういうところだったからだろう。

ずいぶん前に読んだダリル・フランシス・ザナックの伝記に、午後の決まった時間はどんな者であれお出入り禁止、この時間帯が『わが谷は緑なりき』『イヴの総て』などを手がけた名プロデューサーのセックスタイム、お相手は撮影所の女性たちとあったのを憶えている。ワインスタインの事件はいまにはじまったことではない。

「金と権力がものを言うんです。法制度がそれを許しているんですよ。ハーヴェイ・ワインスタインがずっと同じことをやり続けられたのは、それが許されたからだし、それは私たちのせいなんです。そういう文化を作った私たちの責任です」という証言は痛切に響く。

ワインスタインの被害者のひとりロザンナ・アークエット(出演作に『グラン・ブルー』『パルプ・フィクション』など、監督作品に『デブラ・ウィンガーを探して』)は「映画業界は権力を持った男たちのクラブなの。ハリウッドマフィアのね。彼らはお互いにかばいあっている」と語る。もちろんこのクラブの歴史は長い。

海の向こうだけの話ではない。性被害の疑惑で逮捕寸前の人物に対し当時の警視庁刑事部長(のち警察庁長官、安倍元首相の殺害事件で引責辞任)が逮捕状執行の取り消しを命じたのは記憶に新しい。仮に安倍内閣は関係していないとしても首相として事実の究明を怠ったことは否定できない。自民党はこうしたところも「思いを受け継ぐ」と考えているのだろうか?

なお著者ローナン・ファローの母はミア・ファロー。すなわち父親はウディ・アレン。本書でもミアの目を盗んでウディ・アレンがローナンの義姉ディラン・ファローに性暴力に及んだとされる出来事は影を落としている。

(これについては本ブログhttps://nmh470530.hatenablog.com/entry/2022/02/25/000000を参照してみてください。)