「師匠はつらいよ」讃

九月十三日第六期叡王戦五番勝負の第五局で藤井聡太二冠が豊島将之叡王を破り、対戦成績三勝二敗でタイトルを奪取した。これにより藤井新叡王は王位・棋聖と合わせ三冠となった。

将棋は駒の動かし方しか知らないわたしだが、弟子の活躍から師匠を知り、いま杉本昌隆師匠が「週刊文春」に連載している「師匠はつらいよ」を愛読している。

「振り返ると藤井二冠を弟子にした当時は私が七段、聡太少年は小学四年の六級だった。月日は流れ九年後の今、私は八段、藤井二冠は九段である。これっていくらなんでも出世が早すぎるのでは?」(七月二十二日号)

肩肘張ったところなく、楽しく、心暖かく、ときにほろ苦い、達意の文章、しかも藤井三冠のことをはじめ将棋界についてのいろんな情報をもたらしてくれる。こうした随筆を棋士に書かれてしまうと将棋エッセイを書きたい作家や文筆家はやりにくいのではないかしら、と思わず心配するほどの名エッセイだ。師匠の総合力を弟子はどう見てる?

「段位や地位には全くこだわらない藤井二冠だが、タイトル保持者の九段として見る景色は当然あるはず。/自分はそれを見ることができない。だが『師匠』の景色も素晴らしく、それは何物にも代えがたいのだ」

昔の棋士はフツーの市民から遠い印象で、特には升田幸三先生の印象からか漢字でいえば奇才の「奇」だが、杉本師匠は「爽」が似合う。

十代の弟子の快進撃にともなって師匠にもいろんなことが起こる。

「私の一番最近の昇段、八段になったのは一昨年のことだ。対局後に大阪で取材を受け、気分良く名古屋への帰途に、帰りの新幹線、車内電光掲示板のニュースを見て仰天した。『藤井聡太七段の師匠、杉本昌隆七段が八段昇段』(中略)自分の昇段が一般のニュースになったのは初めてで、思わず携帯で写真を撮ったものだ」

ふつう八段昇段は新幹線のテロップに流れるニュースにはならないから驚いただろう。このときは藤井聡太七段、このあとタイトルを取り九段に昇段し「これっていくらなんでも出世が早すぎるのでは?」となった。

師匠は弟子を選び、弟子は師匠を選ぶ面白さがここにある。

教育とりわけ初等中等教育はおなじ年齢の多数がほぼおなじ内容を学習して、おなじ修業年限で卒業することを目途として構築されたシステムであるから、万人向けのあかし、そのぶん画一と総花の批判を受けやすい。その反対が師弟関係で、これこそ教育の理想とする方もいるだろうが、残念ながら向き不向きがある。