『彼は彼女の顔が見えない』〜1日100頁の快調

ストーリーをたどるのが苦手だ。先日、佐々木譲原作の韓流映画「警官の血」を観て、それなりに面白かったけれど、登場人物の整理がつかないまま終わった。原作は読んでいて、しかしこれほど複雑だった印象はないのに困ったものだ。

それはともかく、いま読み終えたばかりのアリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』(越智睦訳、創元推理文庫)はいい。物語に翳を落としている人物(死者)を除くと登場するのは三人だけだからいくらどんくさい、日本のわたしでも整理がつく。三人の絡みが面白く、どこへ着地するのかわからなくてわくわくする。遅読のわたしが一日百頁読み、四日で読了した。

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小旅行の懸賞に当選した中年の夫婦アダムとアメリアがスコットランドの片田舎、ブラックウォーターにやって来る。夫婦関係はいま悪化しており、カウンセラーは旅をして気分転換を図ってみてはみては、と助言していた。

宿は泊まれるように改装された山奥の古いチャペル、まるごとの貸切でほかの客や従業員はいない。ゆっくり過ごせるはずだった小旅行。ところが連れてきた愛犬がいなくなったり、チャペルの電話が使えなくなったりする不審な出来事が続発し、おまけに大雪で身動きがとれなくなる。二人はいっしょになって困難を乗り切るのか、それとも……。

物語はアダムとアメリアともうひとり謎の女性による一人称の語りで進む。「信頼できない語り手が好き」という作者が造形した人物たちによる語りは真偽不明にして不穏、そして「読者をジェットコースターに乗せて振り回し、一回か二回は真っ逆さまにしたい」と願う作者のストーリーテリングが冴える。ゴシック・ロマンやスティーヴン・キングの作品世界のたたずまいのなか頁を繰る手に力が入った。

むかし『私の読書法』という岩波新書のベストセラーがあった。各界の著名人が読書法を披瀝したもので、調べてみると一九六0年の刊行だった。なかで大読書家として知られた作家の杉浦明平先生が、毎日百頁を読むようにしていると書いていて、高校生か大学生だったわたしはずいぶん驚いたものだった。

今回『彼は彼女の顔が見えない』を読みながら明平先生の一日百頁が実践できた。さらにおなじ作者の『ときどき私は嘘をつく』(講談社文庫)『彼と彼女の衝撃の瞬間』(創元推理文庫)も一日百ページ、ぐいぐいと頁を繰った。

オモシロ本と、暇と退屈の大好きな老爺とのコラボレーションのひとときでした。