献辞余聞

自身の著書を、友人知人や尊敬する方に贈る際、通例として献辞とともに相手の名前をしるす。ところがときにこの献呈本が古書店に出ていたりする。古本屋廻りの好きな方ならおわかりだろう。わたしも何度かそうした献呈本をみている。

著書を贈ったからとて相手が読んでくれるとはかぎらない。一読され書棚に飾られてあるのは望外の幸せというべきで、読後物置にしまわれるのはまだしも、一瞥もされずに捨て去られたり、古本屋に払い下げられたりするかもしれない。それで傷つく人ははじめから他人様に署名入りの自著を贈ったりしてはならない。ただし、贈られた側が知らないうちに献呈本が古書店に出ることがあり、これがときに「事件」となる。

三島由紀夫がフランス文学者の河盛好蔵に贈った『金閣寺』が古書店に出ていると知らされた河盛は、売ったおぼえはなく、しばらく憂鬱だったと「献辞の話」に述べていた。それでも三島の知るところとならなかったからまだしもで、平野謙林達夫のあいだの「事件」は平野が林に献呈した本を二十年後に平野自身が古書店で見てショックを受け、しかも林がそれを耳にした。林に処分したおぼえはなかったが礼を失したとして相手のトラウマを思いやりながら詫び状を出した。

ここから林達夫は本をめぐる世界について「読む人、書く人、作る人」によって構成される表側の世界の反対側に「もう一つの世界」、裏の世界があり、そこでは貸し借りひとつとっても複雑で妖しげなドラマが演じられていると論じた。借りたのが頂戴したのと同義であったり、放出した記憶のない署名本が古書店の棚に並んでいたり、いずれも妖しげなドラマである。

管直人民主党代表だったころ、誌名は忘れたが某週刊誌がその不倫を大々的に報じ、その記事のなかに評論家の柳田邦男が「管直人様」と署名し、献呈した本が古本屋に出ており、柳田氏も実物を見て自身の署名と認めたとあった。不倫の政治家は署名本を売り払ったことで、人間としての不実を印象づけられたのである。こうして本の処分は人間性を問われたりするからやっかいだ。

好きな評論家のサイン会に行ったことがあり、本を買って表紙裏に著者のサインとわたしの名前を書いていただいた。残念ながらその本はわたしが期待した内容ではなかった。

しかものちに本はできるだけ架蔵しないと考えを改めたのでできれば処分したいが名前を黒塗にするのははばかられるのでやむなくそのままにしてある。サイン本の処分も気を遣う。

アンドレ・ジッドが蔵書の一部を整理してパリの競売場の売り立てに出したとき、なかにアンリ・ド・レニエからの献辞付きの本が含まれていて文壇雀の話題になった。仲のよい二人だったがそのころは冷たい仲となっていて、レニエはすぐさま新刊の自著をジッドに贈った、「アンドレ・ジッドにおくる。彼の売立につけ加えるために。アンリ・ド・レニエ」の献辞とともに。そしてこれを機に二人の友情は終わった。河盛好蔵の前掲文にあったはなしで、この本はきっと高く売れただろうと河盛先生はしるしている。

「事件」を避けたいなら献辞は本に直接書かず、小さな短冊に書いて挿むほうがよいが、献辞をめぐるドラマに関心のある向きには物足りないだろう。

開高健が自著の私家版特装本三十冊をつくったときの経験を語っている。それによると献本に献辞はしるさなかったが、各冊の奥附に開高が肉筆でナンバ ーを書き入れ 、誰に第何番がいったか 、べつにノ ートしてあり「もしや古書市場に流したことが判明したならばその人物の名はその場でわかるようにしておき 、その人物とは即日 、国交断絶である 」としている。

森銑三柴田宵曲による名著『書物』所収の「贈られた書物・贈る書物」に森銑三が「人に書物を贈るのも、それが自分の著書の場合などは、無沙汰の挨拶くらいの軽い気持で贈ることとしたい」「貰った方では、その内にはその書物を貰ったという事実をも忘られてしまって、贈った方でばかりそれをいつまでも覚えているなどということも、往々にしてありそうである」と書いて、本を贈るときの心がまえをやんわりと説いている。開高健の秋霜烈日とは対照的な心すべき卓見である。

「季刊アステイオン’94.冬」所載「私の愛蔵本」で、京極純一先生がルールを自分なりに解釈して単行本ではなく雑誌論文としたい、またこの論文を収めた著書をのちに贈られ、大切に保存しているから本の一部として認めてほしいと断ったうえで丸山眞男超国家主義の論理と心理」を挙げていた。

「世界」一九四六年四月号掲載「超国家主義の論理と心理」が戦後社会にもたらした知的影響ははなはだ大きく、京極先生は「復員して半年の学生であった私が、この論文を読んだときの衝撃と昂奮は、今でも思い出すことができる。酸性紙ボロボロの十四頁の論文は、あの衝撃と昂奮の大切な記念品として、今も書棚にのっている」と述べている。

一度職場をごいっしょさせていただいた美馬敏男先生が旧制高校からの畏友である京極先生にわたしを紹介してくださったのは昭和五十年代のはじめだった。京極先生の『現代民主政と政治学』(1969年岩波書店)は長年の友情に感謝して、と美馬先生に献げられている。もしかすると美馬先生は京極先生のお宅で「世界」一九四六年四月号や丸山眞男から贈られた『現代政治の思想と行動』を見ていたかもしれない、とふと思った。