ジャズで彩る叙情精神~『スタン・ゲッツ 音楽に生きる』

ドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ 音楽に生きる』(村上春樹訳、新潮社)。B 5版五百七十頁余、しかも上下二段組で細かい活字がぴっしりと並んでいて、けっこうなボリュームにたじろぎながら読みはじめた。とことがどうだろう原書の魅力と村上春樹の翻訳の相乗効果でスピーディーに読め、たちまち読了、スタン・ゲッツを聴きながら彼の伝記を読む至福の体験となった。

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スイングジャズの世界で根拠地となるミュージシャンをひとり選ぶとすれば、わたしはベニー・グッドマンだ。ハッピーでノリがよく、多彩な共演陣がいてあれこれ手を伸ばしているうちに世界が広がる。ビックバンドを聴くのは稀になったけれど、スモールコンボは愛聴していて、とりわけチャーリー・クリスチャンの参加したコンボの演奏はお気に入りだ。

スイングジャズのベニー・グッドマンのごとき存在をモダンジャズに求めるとなるとスタン・ゲッツだ。素敵な演奏はもちろんだが、はじめルイ・アームストロングの盟友ジャック・ティガーデンのバンドに所属し、そうしてスタン・ケントン、ベニー・グッドマンのオーケストラに所属してキャリアを積み、モダンジャズの一翼を担ったあゆみはジャズの歴史、とりわけモダンジャズとその革新の流れそのものといってよい。だから『スタン・ゲッツ 音楽に生きる』はひとりのミュージシャンの評伝であるとともにジャズの歩んできた道を示してくれている。まあ、そんな大上段なこといわなくても散りばめられたエピソードが本書の魅力を語ってくれるだろう。

そのひとつ。

一九六九年春、ジュディ・ガーランドはロンドンのナイトクラブで酷い失敗をやらかした。酒とドラッグで頭はぼんやりして歌詞が思い出せず客席からスティック・パンや吸殻を投げつけられた。何日かしてスタン・ゲッツの出演するロンドンのクラブにやって来た彼女をスタンは紹介してステージに上げ、ジュディはストゥールに腰掛け二曲を歌った。スタンに静かなオブリガードをつけてもらったジュディの歌は素敵だった。彼女の一行とスタンたちミュージシャンはクラブの経営者ロニー・スコットの招きで中華料理店へ行ったがそのときジュディはジンとライム一リットルを飲んだ。

二か月後の六月二十二日ジュディ・ガーランドはロンドンの自室で死んでいるのが発見された。四十七歳、バルビツールの過剰摂取だった。彼女がエンターティナーの力量を最後に発揮したのはスタン・ゲッツとの共演だったかもしれない。こうしてわたしたちは「オズの魔法使い」に導かれ、稀代のミュージカル女優の最期に立ち会うことになる。

スタン・ゲッツは自身の音楽活動について、灰色の世界に色づけをしていると語っていた。スタンフォード大学でジャズ・ワークショップを創始し、スタンの友人で、彼を大学へ招いたジム・ネイデルが「スタン、僕らが何をやっているか、君にはわかるかな。僕らはこのろくでもない世界を色づけしているんだ」と語った。

スタンはそのときは「そうか」と口にしただけだったが、やがて当のジム・ネイデルに「いいかい、ネイト、いちばん重要なことはね、ぼくらがこの世界にこの手で色づけをしているということなんだよ」と語るようになっていた。

ならば、その色づけはどのようなものだっただろう。

ドナルド・L・マギンはアルバム「フォー・ミュージシャンズ・オンリー」を取りあげ、ここでのスタン・ゲッツについて「まるでユダヤ教の独唱者のように泣き叫ぶかと思えば、すぐさま変化して今度は恐ろしいほど冷笑的になり、そっと優しくロマンティックになり、またぐっとリリカルになる」と述べている。

あるいは若き日の「初秋」において彼は、若者の胸を刺すようなメランコリーを、美しく透き通るトーンで描き出し、のちには苦難をくぐり抜けてきた、成熟した男の哀しみを豊かに、逞しく表現した、まさしく情感の万華鏡だった、とも。

即席=インプロヴィゼーションで語られた激情、クール、ロマンチシズム、リリシズム。即席の魅力についてはスタン・ゲッツ自身の言葉がある。「それは言語のようなものなんだ。君はアルファベットを習う。それはスケール(音階)だ。君はセンテンスを学ぶ。それはコード(和音)だ。そして君は楽器(ホーン)を使って即席で話すようになる。即席で話せるというのは実に素敵なことだよ」。

彼は、ノリのよい楽曲も、優しくロマンティックなものも自家薬籠中のものとしたうえで素敵な色づけをほどこしたミュージシャンだった。ちなみに訳者の村上春樹は巻末のエッセイで、彼の音楽の神髄はほとんど完璧な演奏技術に支えられた「リリシズム」「叙情精神」だと強調している。またマイルズ・ディビスやセロニアス・モンクのような革命的なクリエイターではなく、生涯追求したのは「時代時代に応じて、自らの魂を内側に向けて掘り下げて深めていく個人的な音楽だった」と評している。

尻馬に乗るようだが、これらの明確な批評で、わたしが彼の音楽に親しんできた所以を自覚したのは告白しておかなければならない。

本書を読み終えて、こんな詳細な評伝を書いてもらい、日本訳では村上春樹という格好の訳者を得たスタン・ゲッツってしあわせなミュージシャンだなと思った。

先ほどそのディスクを聴きながら伝記を読む至福と書いたけれど、クスリとアルコール漬けの人だから正確にいうと至福ばかりではない。酒が入ったときの家庭内暴力は凄まじいばかりで息ぐるしいときもあった。リリシズムの裏には残忍なデーモンが棲んでいたのだった。