『古池に蛙は飛び込んだか』

長年にわたり気になっていた長谷川櫂『古池に蛙は飛び込んだか』(中公文庫)をようやく読んだ。元版の花神社刊単行本は二00五年の出版だからすくなく見積もっても気がかりは十年あまりにわたっている。そして遅まきながら読んでよかったと思ういっぽうで、もっと早く読んでおくべきだったと悔やんだ。

文庫版の解説は川本三郎氏が担当しており、なかで「評論の真髄は、これまで誰も言わなかったことを、誰もが普通に使っている平明な言葉で語ることにある」としたうえで本書が「評論の真髄」であることをずばり指摘している。仲間ぼめだと疑うなら手にとって検証してみてください。

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本書が「評論の真髄」たる所以を端的にいえば、貞享三年、芭蕉四十二歳のとき深川の芭蕉庵で催された蛙の句合せでよんだといわれる「古池や蛙飛込む水のおと」について、 古池に蛙が飛びこんで水の音がしたという解釈を誤読とし、古池は眼前にあるのではなく芭蕉の心象風景だったとした点にある。つまりあの句は「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」という意味ではなく、「蛙が飛びこむ水の音を聞いて心の中に古池の幻が浮かんだ」というものだった。思いつきではない。

蕉門十哲のひとり各務支考『葛の松原』によるとはじめに芭蕉は「蛙飛込む水のおと」を得たものの上五にくる言葉は定まっていなかった。宝井其角は『古今集』からこのかた蛙の音といえば山吹をもってくるのが習いとして(たとえば「かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはまし物を」)「山吹や」を進言したけれど師の芭蕉はよしとせず、「古池や」を置いた。

各務支考はこの場にいなかったから『葛の松原』の記述は誰かからの聞き書きだったが、本書は芭蕉の存命中に刊行されていて芭蕉も其角も目を通していたはずで、二人とも何の異議も唱えていない。

また文法面からの解釈として著者は「古池に」ではなく「古池や」という切字がポイントとなるという。高浜虚子が述べたように「古池がありますぞよ、古池ですよ、其古池に蛙がとび込みました、水の音がしました」という句であれば「古池に蛙飛込む水のおと」とすればよいのにどうして芭蕉は「に」ではなく「や」という切字を置いたのか。切字は句を切るために用いるものだから「古池」と 「蛙飛込む水のおと」はただちには結びつかない。「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」とは解釈できない。ならば芭蕉にとって「や」は何だったのか。

著者によるとそれは「古池の句の古池は芭蕉が水に飛びこむ音を聞いて貞享三年という現実のただ中に打ち開いた心の世界だった。その現実の世界と心の世界の境界を示すのが切字の『や』である。これこそが芭蕉にとっての切字であり、『句を切る』ということだった」。

ここは現実の光景と芭蕉の内面が繋がる宇宙であり、文学史でいえば俳諧に心の世界を開いた蕉風開眼だった。言葉の表面で遊ぶばかりで言葉の奥にある心の世界には無頓着だったそれまでの俳諧コペルニクス的転回である。ここから先、芭蕉は心の世界を映し出す句をつぎつぎとよんだ。

なかの一句「旅人と我名呼ばれん初しぐれ」。

時雨の音に「旅人と我名呼ばれん」という心の世界を示した句は古池の句と相似している。あるいは『おくのほそ道』にある「閑さや岩にしみ入蝉の声」。

ここには「岩にしみ入蝉の声」をきっかけに天地に広がる「閑さ」を思う芭蕉の心のありようが見えている。