永井良和『風俗営業取締り』再読

新型コロナ感染症の拡大をうけ五月一日から持続化給付金の申請受付がはじまった。感染症禍のもと営業自粛等で特に大きな影響を受けている中小企業、小規模事業者、フリーランスを含む個人事業者等にたいして事業の継続を支え、再起の糧とするための給付である。

これに先立ち政府は性風俗関連特殊営業の事業者(ソープランド、キャバクラ、出会い系喫茶、ストリップ劇場など)が、新型コロナ対策の持続化給付金の対象から外されると発表したが、納税はしているのにどうして給付の対象にはならないのか、性風俗店で働く人々の困窮はどうするのかといった批判を受け、性風俗業界で個人事業主として働く人も支給対象になるとの見解を明らかにした。

また住民基本台帳に記載されている各個人に十万円を給付する特別定額給付金ははじめ困窮の著しい家庭に三十万円給付する方向で議論されていて、ここでも性風俗業界で働く人たちを給付の対象とするかどうかが問題となっていた。

ちなみに二0二0年現在、性風俗関連特殊営業は全国で三万件以上の届出がなされており、およそ三十六万人の女性が働いている。

法律で風俗業の存在を認め、取るべきもの(税金)はしっかり取りながら、公的支援の対象とするにはふさわしくない、公的支援の対象にはしたくないというのが行政の姿勢であり、給付金をめぐる議論には闇の仕事は明るい表通りには出て来させてはならないといった空気がみてとれる。

もとよりいまにはじまったことではない。そこで政治と風俗営業をめぐる歴史を復習しておきたく、以前に読んだ永井良和風俗営業取締り』(二00二年講談社選書メチエ)を再読した。

本書は江戸時代の風俗営業規制が明治以降どんなふうに受け継がれ、また変容してきたかを概観し、現在の風俗営業をめぐる問題を考える視点を提示する。

江戸幕府遊郭を公認したのは一六一七年(元和三年)だった。江戸ではそれまで分散していた傾城屋と遊女が吉原に集められた。そのころの吉原は日本橋地区にあったが、やがて周辺地域の市街化が進んだため一六五六年(明暦二年)に新吉原へ移転となった。これがいまの吉原である。

場所は変わっても一定の場所、空間に限って風俗営業を認める方針(集娼)に変わりはなく、公許以外の地区での私娼の増加(散娼)には手を焼いたが、これも一定の場所に集める方針、つまり集娼の考え方で規制した。公認した場所以外の私娼屋が集まった地区は岡場所と呼ばれた。「岡」は「傍目八目」の「傍」(おか)などとおなじく「脇」「外」を表す言葉である。

こうして公娼、私娼いずれも一定の場所に集めて囲い込み、可視化しないよう風俗営業を取り締まった。これはまた犯罪取締りにも都合がよかった。

集娼という悪場所の囲い込み政策は明治維新後も受け継がれた。女性は「くろうと」と「しろうと」に分けられ、前者は悪所に集められる。女性が分類されたように社会空間も悪所とそうでないところに分けられ、悪所への出入りは大人の男に限られた。

規制する側はこの基本政策を踏襲しようとするが、これだと新規参入がむつかしく、そのため新手の営業がつぎからつぎへと発生する。江戸の吉原と岡場所との関係の延長戦で、戦前では官許の悪所にたいする代表格が待合やカフェーだった。

日本国憲法の成立とともにそれまでの取締り法令も見直されたが、売買春にかぎっていえば、一九五六年(昭和三十一年)の売春防止法施行までは特定地域(特飲街、赤線、青線)での「自由意志」による売買春は黙認されていたから基本的な構造は変わっていない。

売防法以後はトルコ風呂(いまのソープランド)という新しい業態で多くの特定地域は生き残りを図ったが時間の経過とともにこの地域の比重はどんどん下がってゆき、ここを監視、規制するだけでは取締りは追いつかない事態を迎える。そのはじまりはモーテルで、都市の一区画だけを囲い込む方式では対応できず、著者がいうように「高度経済成長のなかで、社会悪の空間的隔離という方式は限界を呈しはじめた」のであった。

青少年の健全育成のため、幸福な家庭を守るため、囲い込み政策は現在もつづく。しかし、携帯電話、インターネットなど情報通信技術の発達は隔離をほとんど無意味としている。女性の派遣だけで「店舗」はなくてもよく、「出会い」の企画は子ども部屋でもできる。こうして取締りはすべての「出会い」の検閲に行き着く危険性を孕むと著者は指摘する。       

この指摘から二十年近く経ったいま、新型コロナウイルスと給付金という思いもかけない事態が性風俗業界を明るみに出した。可視化を避けようとしても性風俗業界で個人事業主として働く人と給付金とを断つには無理があった。

ただし個人事業主が給付金を受けるにはみずから明るみに出て申請しなければならず、そのことは永井氏のいう「すべての『出会い』の検閲に行き着く危険性」をより高める一面を有していると思われる。

小池東京都知事は六月三日の記者会見で、東京都内で接待を伴う飲食店に関わる人の感染が増えている、課題は病院の院内感染と夜の繁華街の対策だとしたうえで「以前も、都の職員をはじめとする担当者が練り歩きをした。注意喚起も改めてやっていきたい。感染しない、感染させないためにも、夜の街への外出を控えていただき、細心の注意を払っていただきたい」と語った。社会悪の空間的隔離を図っても感染症に区別はなく、それどころか江戸時代からずっと囲い込まれてきた地域、接待を伴う店の集まる「夜の街」と新型コロナウイルスとの「密」が難しい問題をもたらしている。