おなじく堀口大學の訳詞集『月下の一群』に収める、ルミ・ド・グウルモン「あらしの薔薇」より。
白き薔薇(しょうび)は傷つきぬ
荒ぶ暴風雨(あらし)の手荒さに、
されども花の香はましぬ
暴風雨の手荒さには政治、軍事の要素も含まれているかもしれない。そうしてバラは「花なきバラ」となったのかもしれない。
中華民国十六年(1926年)三月十八日、北京で行われた民衆の請願デモに対して段祺瑞政府の衛兵が発砲し多数の死傷者を出した。死者の中には魯迅の教え子もいた。魯迅にとって薔薇を傷つける暴風雨は自然現象ではなく、軍閥の暴力だった。
「墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠しきれない。/血債は必ずおなじもので返さなければならない。支払いが遅れれば遅れるだけ、利息は増さなければならない!」(「花なきバラ」の二」より)