たまたま目にしたdetest his studies に勉強を毛嫌いするという訳があてられていた。わたしの語感ではdetest は毛なんかよりもっと嫌いの度合が大きい。そこで『ジーニアス英和辞典』を引くと、ひどく嫌う、hate より強意的とあり、『オクスフォード英英辞典』も同様だった。
毛嫌いというのは、これといったわけもなく嫌う意味なのでdetestの訳語としてはいかがなものか。なお『ジーニアス和英辞典』の例文に「彼女は彼を毛嫌いしている She hates him for no special reason.」というのがあった。とくに理由もなく……なるほどな。
また『斎藤和英大辞典』(斎藤秀三郎)には毛嫌いとして、antipathy とprejudice が挙げられている。
毛はごくわずかなものごとのたとえとされる。ほかにも韓非子を出典とする故事成語に、毛を吹いて疵を求むがある。ことさらに人の欠点を暴きまた、その結果かえって禍が自分の身に降りかかることのたとえである。
毛はなかなか微妙な問題を含んでいる。
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田村隆一『ぼくのミステリ・マップ』(中公文庫)に田村と生島治郎との対談が収められていて、生島に早川書房の編集部員時代のことを書いた小説『浪漫疾風録』(講談社文庫)があるのを知った。生島が早稲田の英文科を出たのは一九五五年、デザインプロダクションを経て翌年早川書房に入社した。同書は生島治郎(小説では越路玄一郎)のほかはすべて実名で、当時の早川書房編集部や関わりのある作家、翻訳者の姿が多くのエピソードとともに描かれていて翻訳ミステリの文壇史の趣きがある。
生島が入社した当時「EQMM」(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)日本版創刊号が発刊されようとしていて彼はその編集に携わる。新雑誌の編集長は新しく入社した都筑道夫で、そのうえに編集部長の田村隆一がいた。
『浪漫疾風録』ではこの編集部長が精彩を放っている。
《田村は遅刻しなかった。それは精勤だからというわけではなく、明け方まで酒を呑み、その酔いの醒め切らぬうちに出社してくる癖がついているらしく、まだ朝のうちは酒気が残っていた。そばへ寄るとぷうんと酒くさい匂いがした。彼はその時代にしても珍らしく、着流しで出社してくることがあった。粋な着流しではなく、たいていは垢じみてよれよれになった袷か浴衣姿で、編集室へ入ってくるとすぐ奥にある三畳間にぐったりと横たわる。その三畳間には、田村が枕に使う部厚い辞典が置いてあり、それには田村の頭髪の脂が染みついていて辞典を枕にごろりとひっくりかえると、もうほとんど動かない。》
その酒の飲みっぷりが江戸川乱歩と比較されていて《乱歩の酒量よりも、田村の酒量の方がはるかに優っているようだった。見ていると、まるで底なしのように、田村は呑みつづけていた。呑めば一層陽気になり、ユーモアのセンスにも磨きがかかってくる。しきりに酒席に笑いをふりまいていた。田村のすばらしいところは、そうやって酒席をにぎわわせながらも下品にならないことだった。奢ってもらっていても卑屈にはなっていない。自ら楽しめば他も楽しむといった風情だった》とある。
翻訳ミステリの世界を賑わわせたのと酒席を賑わわせたのは通じていたみたいで、そこをふまえると次の田村の発言はいっそう味わい深い。
《だからエンターテインメントというのはごちそうと訳すべきでね。ごちそうというのはコックがいるんだしさ、つまんない客にいくらごちそうをつくったってしようがないんだし、日本の戦前の感覚でいうと板前とかそういうことになるでしょう。全部がからみあっているんだから、やっと探偵小説がごちそうになってきたんだから、できるだけいいごちそうをつくって下さいよ。ごちそうというものは多様な目的をもっていますよね。今日は辛いものを食いたいという客がいれば、甘いものを食いたいやつもいるし、そういう味付けというか、多様性にこたえられる社会がどうにか出てきたというわけですよ。》
《英米の小説というのはだいたい娯楽なんですから。ただ娯楽の質というものは問題になるわけ。ディケンズだってなんだって娯楽を提供するために書いたんであって、だからそういう本当の文学、言葉の表現を通してエンジョイできる社会ができれば、一番いいんですよ》
ごちそうと、文学すなわち言葉の表現を通してエンジョイできる社会とは通じ合っているというのが田村隆一の翻訳ミステリへの視線だった。
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芥川龍之介に「追憶」という回想集があり、なかの「位牌」に芥川の家が奥坊主を勤めていたことがしるされている。江戸城で茶室の管理や登城する諸侯の接待や給仕に当たっていた坊主である。
《僕の後に聞いた所によれば、曽祖父は奥坊主を勤めていたものの、二人の娘を二人とも花魁に売ったと言う人だった。のみならず又曽祖母も曽祖父の夜泊りを重ねる為に、家に焚きもののない時には鉈で椽側を叩き壊し、それを薪にしたと言う人だった》というから、いやはや、なかなかすさまじい夫婦である。
ちなみに幸田露伴の幸田家は大名への取次を職とする表御坊主衆だった。芥川家の奥坊主と幸田家の表坊主、その詳しい違いはよくわからない。ただ、幸田家のほうには芥川家のような派手なエピソードはないようだ。
ところで露伴に『芭蕉七部集評釈』という名著がある。蕉門俳諧を代表する七部の撰集〈冬の日〉〈春の日〉〈曠野〉〈ひさご〉〈猿蓑〉〈炭俵〉〈続猿蓑〉に露伴が批評、註釈を加えた書で、これまで二度挑戦したが早々に挫折した。その意味ではあこがれの作品である。
芥川龍之介は随筆「芭蕉」で俳諧(発句と連句の総称)を論じている。
《昼ねふる青鷺の身のたふとさよ 蕉
しよろしよろ水に藺のそよくらん 兆 》
芥川は《これは凡兆の付け方、未しきようなり。されどこの芭蕉の句は、なかなか世間並の才人が筋斗百回した所が、付けられそうもないには違いなし》という。
そして《たった十七字の活殺なれど、芭蕉の自由自在には恐れ入ってしまう。西洋の詩人の詩などは、日本人故わからぬせいか、これ程えらいと思った事なし》と。
わたしは日本人なのにこの凄さがわからない。若いときから俳諧を味わえる人になりたいと願い露伴の本を手にしてみたがどうにもならなかった。
《又「猿蓑」を読む。芭蕉と去来と凡兆との連句の中には、波老成の所多し。就中こんな所は、何とも云えぬ心もちにさせる。
ゆかみて蓋のあはぬ半櫃 兆
草庵に暫く居ては打やふり 蕉
いのち嬉しき選集のさた 来》
そして芥川は芭蕉の「草庵に」の付け方を「息もつまるばかりなり」という。まったく息はつまらないわたし。泪。
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紀蔚然『DV8 台北プライベートアイ2 』(舩山むつみ訳、文藝春秋)の私立探偵氏が《推理小説の読者として、おれは警察の捜査の過程を丁寧に追うタイプの小説が好きだ。スウェーデンのヘニング・マンケル、アメリカのマイクル・コナリー、それに日本の横山秀夫の三人がお気に入りの作家だ。彼らの小説にならって、おれも調査をするときには一歩一歩進むことにしている》とその好みを語っていた。
ここにある「調査をするときには一歩一歩進むこと」と対照的なのが、天才的ひらめき型の捜査で、シャーロック・ホームズは、ワトソン医師と出会い、握手しただけでワトソン氏が戦地から帰国したばかりだと見抜いたのだった。
もうひとつの事例としてはアメリカの刑事ドラマ『 THE MENTALIST メンタリストの捜査ファイル』があり、主人公は路上の死体をさっと見ただけでラスベガスに行っていたとか、ギャンブルは勝ったか負けたか、マティーニは何を飲んだか指摘する。
ミステリの捜査におけるふたつの流れである。
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明治二十八年秋、正岡子規は三日ほど奈良に滞在し、そこに柿の林があって柿が盛んになっているのを見て「くだもの」という随筆に《柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかった』と書いた。
手許の歳時記には「里古りて柿の木持たぬ家もなし」(芭蕉)「別るるや柿喰ひながら坂の上」(惟然)「寂しさの嵯峨より出たる熟柿かな」(支考)がある。そして明治になって子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」が加わる。子規のいうように、柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されていたのであればこの句は柿のルネサンスとしてよい。
子規は柿が好きでほかにも「柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな」「渋柿やあら壁つゞく奈良の町」「渋柿や古寺多き奈良の町」などの句がある。しばらくは忘れられていた柿という季語が甦える、そして生活の変化で新しい季語が加わる。ともに季語の妙味である。
「ラムネ玉夕空どこか新しき」和田耕三郎
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十月十八日。明け方に二度寝をして夢を見た。夢のなかの夢で目覚めるとスマホがなくなっていて、あせったあげく前夜に浅草で食事をした(実際はしていない)のを思い出し、それで上野駅を抜けて浅草へ向かおうとしてようやく目が覚めたけれど、夢と気づくのにしばし時間がかかった。スマホショックは大きく、えらく現実に戻るのが難しかった。
昼食後、国立競技場に行き、明後日の東京レガシーハーフのエントリーをした。スマホに届いている電子チケットがないと手続きはできない。どうやらスマホショックの夢はこのことから来ているとおぼしい。やれやれ。
この日に先立ち十二日の土曜日に20Kmを走りタイムを確認した。しかしここまでやったから安心とならないのがスポーツ、それと大学受験かな。そう思ったとき、なんて真面目なんだろうと、誰にもいわれたことのないわたしはひとり苦笑した。
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十月二十日。東京レガシーハーフ2024を走った。スタートとフィニッシュで国立競技場のトラックを走る、折り返しが日本橋といううれしいレースだ。過去二回当選していてなんとなく安心していたところ落選だったのでがっかりだった。ところがひと月ほどして補欠合格、じゃなかった追加当選できょうを迎えた。
本日の活動は時系列で以下の通り。
4:30 起床、ストレッチと筋トレ、シャワー。
5:00 朝食、卵と納豆をかけたご飯一膳と味噌汁。
6:00 国立競技場に向けて出発。
7:00前 国立着、そのままレースへ出られる服装なので荷物を預ける必要はない。若い人たちがトラックや国立の周辺でウオーミングアップをしているのにたいし、老骨はレース中のトイレが怖くて、何度かトイレをして心配の軽減に努めた。
7:45 待機ブロック整列。
8:05 スタート。フィニッシュの速報値は2:10:31。贅沢いえばきりがないけれどいまのわたしに不満はない。
11:30過ぎ 帰宅、昼食後しばし休憩したあと銭湯で身体を癒し、喫茶店で読書。
夕刻、神保町のお蕎麦屋さんで友人と一献。
レガシーハーフの落選を受けて申し込んだ江東シーサイドハーフマラソンにも当選したので、来月は水のほとりの走りだ。
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犯人は誰かじゃなくて犯罪者の側から事件を語るのが倒叙推理小説で、昔からフランシス・アイルズ『殺意』、F・W・クロフツ『クロイドン発12時30分』、リチャード・ハル『伯母殺人事件』が三大名作とされている。ミステリーのファンといいながらわたしはいずれも未読で、これではいけないと『伯母殺人事件』を手にした。
倒叙推理小説の名作のひとつくらい読んでおかなくてはという教養主義的な発想は好きじゃない。いつだったか亀山郁夫氏の新訳『カラマーゾフの兄弟』が話題になっていて、この際、手にしたことのないドストエフスキーに挑戦してみようと読んでみたけれどよくわからなかった。切実に読みたいという気がないから当然かもしれない。ただし今回の『伯母殺人事件』(大久保康雄訳、創元推理文庫)は成功で、二日で読み終えた。ドストエフスキーとは違ってミステリーのばあいは教養主義であっても裏切られないと極論するつもりはないけれど、娯楽には貪欲であってよい。老後はミステリー!
創元推理文庫版『伯母殺人事件』は一九六0年に刊行されている。わたしが読んだのは一九九七年の第十七版で、初版とおなじ細かな活字がぎっしり詰まった三百頁を二日で読んだ。自分としては素早い読書で、トリックも結末もすぐに予想できたが、それでも十分楽しめた。
本書の解説は中島河太郎(1917~1999)が担当している。オールドファンには懐かしい名前で、日本推理作家協会第七代理事長、Wikipediaには「江戸川乱歩の薫陶を受けた推理小説研究の第一人者で、推理小説に加え国文学・民俗学の書誌学者としても知られる」とある。
『伯母』の日記の書き手の甥について中島は「仕事に就く気もなく、他人のために手足を動かそうとする殊勝さは微塵もないし、失敗にもめげず殺害を企んでばかりいる青年だが、一々みんなから心をよみとられている彼の行動は、形容しがたい感動を起こさせる」と述べ、この若者を江戸川乱歩は「無邪気な悪人」と評した。
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YouTubeに「あゝ声なき友」がアップされていてさっそく視聴した。公開は一九七二年四月だからわたしはまだ大学生だった。原作は有馬頼義の『遺書配達人』、監督は今井正。原作を読んだ渥美清が映画化実現のために「渥美清プロダクション」を設立、そして松竹が提携して製作された。
戦時中、病気で入院したため所属の部隊で一人生き残った西山民次(渥美清)は十二人の遺書を抱き帰国した。帰ってみると家族は全員原爆で死亡していた。身寄りのなくなった西山は、なんとか食いつなぎながら十二通の遺書を配達しようと旅に出る。そして訪ねた先で戦争の傷跡と各人各様の人生を知る。戦中と戦後をつなぐロードムービーの名作だ。
映画は観ていない、原作も読んでいない。にもかかわらずストーリーはよく知っていて、原作も映画も知らない作品とは思えない気持になった。ひょっとして観ているのかなと思い、記憶をたどり直したたけれど無縁に変わりなく、それでも知らない作品とは思えない気持になったというのは紹介や批評を通して情報を知っていたのだろう。ふと耳年増という言葉が浮かんだ。
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「親分、あつしには、どうも腑に落ちないことがあるんだが」
「何んだえ、お前にも腑なんてものがあつたのか」
ここで「腑」とは何か、が気になった。困ったときの『新解』さんの腑の語釈に心臓、心(の宿る場所としての内臓)とあった。
ちなみに広辞苑は腑を、はらわたとし、「胃の腑」を添えている。
腑の訓読みは、はらわたである。となれば、腑は心臓、心か、それともはらわたか。腑に落ちるというときは心のほうがしっくりくる。そこで『新漢語林』を引くと[はらわた、臓腑]と[心、心の中、肺腑]と両論併記されていた。
《エレヴェーターで階下に降りながら、取って返し、彼からスコッチのボトルを取り上げようかとふと思った。しかし、そもそも私には関係のないことだ。それにそんなことをしてもなんの意味もない。蛇の道は蛇、酒飲みはいつでもどこでも酒を手に入れる。飲みたくなれば》レイモンド・チャンドラー『長い別れ』(田口俊樹訳)。腑に落ちるね。
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小森収編『短編ミステリの二百年 』をぽつりぽつり読んでいると第五巻の解説で小森氏が『世界スパイ小説傑作選』1~3(講談社文庫)に触れていて、エリック・アンブラーを読んだのを機にスパイ小説が好きになり、そこからこのアンソロジーをむさぼり読んだ若い頃を思い出した。『傑作選』1は一九七八年(昭和五十三年)に刊行されている。わたしは二十代後半だった。
『世界スパイ小説傑作選』1~3(1は丸谷才一編、2と3は丸谷才一、常盤新平編)はいつしか散逸してしまったが、小森氏の解説で懐かしさがつのり、ネットで検索をかけると比較的安価の三巻揃いがあったので注文し、写真の文庫本が届いた。一九七八年から四十数年を経てもう会えないと思っていた本と思わぬ邂逅ができた。
創元推理文庫は江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』全五巻を踏まえ、その後のミステリのあゆみを展望し『短編ミステリの二百年』全六巻を刊行した。『世界スパイ小説傑作選』も復刊したうえで、その後のスパイ小説を追ったアンソロジーを編んでほしいと切に願っている。