「マルタの鷹」Tシャツをゲットしたぞ!

令和元年、鷲神社の酉の市は十一月八日が一の酉、同二十日が二の酉にあたる。

渡邊千枝子の句に「一の酉夜空は紺にはなやぎて」があり、紺の空のもと繰り出した大勢のなかには「酉の市に至りも着かず戻りけり」(数藤五城)といった人もいるほどのにぎわいだ。

小沢信男『俳句世がたり』に「お酉さんの夜は、じつに寒かった。昭和も戦前のことですが、わが家は例年お参りして熊手を買い替える習わしで、父は二重回し、子どもらはオーバーに手袋、マスクまでしてでかけた」とあり、東京の冬の季節はいまとは少しく違っていて、その寒さを思うと「熊手市ひやかし客も火によりて」(山岸治子)は戦争前もしくは戦争中の東京の風景であっただろう。

いま酉の市のころの寒さはかつてほどではないけれど心とふところの寒さはいかがか。

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飲み屋さんで、シチリアへ旅行したとき買ったTシャツを着ていたところ隣にいたお客さんが「いだてんのシンボルマークに似ていますね」とおっしゃった。かろうじてNHK大河ドラマか朝の連続ドラマの番組と知っていたから「いだてん?」とならずにすんだが、相変わらず世間知らずの箱入りおじさん、もとい、箱入りじいさんだ。

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知らないといえば、野谷茂樹『そっとページをめくる 読むことと考えること』(岩波書店)という書評を集成した本の五十ページまで来たところで、わたしが読んだ本は一冊もなくほとんどは著者名も書名も知らず、目次をみるに読了してもおなじようで、できれば何冊かは読んで少しは世界を広げなくてはと思った。

もっとも長生きには読書はよくないとも聞く。哲学者で法政大学総長などを務めた谷川徹三志賀直哉に「長生きをしようと思うと、あまり本などを読まないことらしいです」と言うと作家は「それは僕は昔からやっているよ」と応じ、笑っていたと同席していたフランス文学者の河盛好蔵が書きとめている。

じっさい志賀はあまり本を読まなかったそうで八十八歳の長寿はそのためだったとすれば当方も一考しなくてはなるまいが、九十四歳まで生きた谷川徹三に本を読まなかったエピソードはなく、ここでは読書と長寿は関係ないとしておこう。

昨年末に北イタリア、今年はじめにシチリア島を含む南イタリアを旅した関係で辻邦生『背教者ユリアヌス』を読み、優れた歴史小説との出会いをよろこぶとともに、宗教的寛容について少し勉強したいと思った。ユリアヌスは宗教上の対立、不寛容を厳しく批判した人で、そこからモンテーニュが思い合わされた。

望外の幸せとして堀田善衛『ミシェル 城館の人』三部作という格好の導き手を得てモンテーニュ『エセー』(宮下志朗訳)を読むことができた。ことしの読書のいちばんの収穫であり、前期高齢者半ばでのルネサンス的読書体験だった。前段での辻邦生堀田善衛との出会いもたいへん有意義だった。

辻邦生堀田善衛ともにフランス文学を教養の基礎にした作家で、偶然だが六月に旅順、金秋、大連を旅して、大連で生まれ育った作家、清岡卓行の『アカシヤの大連』をはじめとする大連物と呼ばれる諸作品を読んだ。清岡も東大仏文の出身で、こうなると堀田の友人であり、また辻、清岡の師の渡辺一夫が気になって、とうとう十四巻の著作集を購入するに至った。

こうして読書の意欲はまあまあ旺盛だが、書く意欲は減退するいっぽうだ。

なぜ書くかといえばわたしのばあい、自分なりの言論活動のほか、気散じ、暇つぶし、せめてもの認知症予防といったところだが、前提となる意欲がなければどうしようもなく、そのうち気力が充実するよう期待するほかないにしても危うい限りだ。

老いてなお盛んなのが長距離走で、書くという行為を通じて頭脳を鍛えるのに難渋するいっぽう走って体を鍛え、レースに出たい意欲は軒昂だ。どうやら肉体よりも精神の老化のスピードが速いというのが自己診断である。

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総理大臣主催の桜を見る会が公金を使って私物化されていると疑問視されている。

世間知らずのわたしは、総理大臣主催の桜を見る会への招待は叙勲とおなじく名誉であり、招待者名簿は顕彰として、それを廃棄するなどありえないと思っていた。天に唾する行為ではないか。

ところが招待者の選定はずいぶんいいかげんで、内閣府はさっさと廃棄処分にしたと報道されている。政治問題化を避けるため保身を図ったのは明らかだろう。公表するかどうかは別にしても名簿の廃棄は叙勲を考えあわせると失礼である。政府はいまになって個人情報を持ち出して出席者名簿の開示を拒んでいる。プライバシーは保護されるべきだが、ならばテレビカメラを入れたこととの整合性はどうなるのだろう。

安倍首相のもと、イラク南スーダンに派遣された自衛隊の活動をしるした日報を廃棄したといっておいてあとから出してきたり、森友学園加計学園の問題をめぐり国会答弁を改竄したり、文書の所在をあいまいにしたりと文書管理をめぐる問題が頻発していて、この内閣の性格と体質はここにくっきりと示されている。

プラトンは国家の支配者の第一の条件として偽りのない美徳を求めた。それをうけてモンテーニュは『エセー』に、品性の堕落の第一の特徴は真実を追放することにあるとしるした。これに照らせば情報公開に消極的というより証拠隠滅を疑わせるいまの政権の品性、品格がどれほどのものかがよくわかる。

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先日NHKが放送した「よみがえる悪夢〜1973年 知られざる核戦争危機」(BS1スペシャル)は第四次中東戦争の裏面史をたどった力作であり、また政治と人間についての優れたケーススタディとしてNHKの底力を感じさせる番組だった。

発端はエジプト軍のイスラエルへの侵攻だった。イスラエルはエジプト軍の動きを察知しながら、それを軍事演習と見誤ったために応戦が遅れた。そこに米ソが仲介に乗り出し、なんとか停戦期日を設定するところまでこぎ着けたが、停戦直前になってソ連の国防相はエジプトに、核弾道搭載可能なミサイルを発射しても問題視しないとブレジネフ書記長の決裁を受けずに伝えた。いっぽうキッシンジャー国務長官ニクソン大統領に相談なく、憤懣やるかたないイスラエルに停戦期日を少し超えたところまでは武力行使もよいとした。

こうして戦局はこじれ、アメリカは核戦争対応の措置を決定する。これを機に関係各国の核戦争回避と停戦交渉は新たな段階に入ったが、まさしく「知られざる核戦争危機」だった。

このかんニクソン大統領はウォーターゲート事件の渦中にあり、もともとあまり酒は飲めないのに酒で気を紛らわせる日々を送っていて、核についてとんでもないことを発言するかもしれない状況にあった。いっぽうのブレジネフ書記長も睡眠薬を常用していた。

番組の終わりで、キューバ危機のときの国防長官としてケネディ大統領を補佐したウィリアム・ペリー、九十二歳は「我々は核戦争の危険は相手からの計画的攻撃によると考えがちだが、本当の危険は政治的な誤算、偶発的なミスなど人間のヘマによって起きます。我々はヘマをして核戦争に突入する可能性があります」と語った。

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古今亭志ん生は色里の噺のなかでしばしば、これは学校では教えてくれないことで……とくすぐりを入れていた。色里に限らず歴史を読む興趣のひとつに学校では教えてくれない史実を知るたのしみがある。正史や学術書からこぼれた落穂拾いで、さきごろ読んだ堀田善衛の自伝小説『若き日の詩人たちの肖像』には、作者と交友があり、のちに作家、詩人となった人たちの若き日の姿とともに、興味深い社会史の落穂がいくつかしるされていた。

堀田の母は託児所の事業に従事していて、出征家族や戦死者の家庭内のもめごとなどの仲裁にも関わっていた。なかで厄介なのは夫が出征している妻の密通で、「兵隊後家」が起こした姦通事件が表沙汰になると憲兵が出てくるのでどうにかして隠し通さねばならなかった。そして妊娠して腹の大きさが目立って来ると託児所の二階に隠していた。託児所は妊婦を預かるところでもあったわけだ。

もうひとつ。

堀田はピアノが弾けたうえにマンドリンやベースにも手を出していて、慶應の学生のとき、浪曲、漫才、レビューがいっしょになった劇団に臨時の楽士として参加し北海道を巡業している。

そのあいだには夜更けて舞台が終わると、五里向こうのムラから来たものですがなどと口ごもりながら楽屋を訪れる青年がいて、何用かと訊ねてみると、要するに、明日出征するので思い出に、あの舞台の踊り子とお願いしたい、という。なかには「あれ、本当らしいわね……。わたし、やらせたる」と同衾におよんだ踊り子もいた。

「あれ、本当らしいわね……。わたし、やらせたる」から察するに、出征兵士を騙る、本当でない輩もいたわけだ。

「わが大君に召されたる生命栄光ある朝ぼらけ」(「出征兵士を送る歌」)の前夜における真実と戯画である。

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「オーバー・エベレスト 陰謀の氷壁」はことし観た映画のうち最高の珍品だった。

ヒマラヤ周辺にある諸国家が地域平和のために会議を開催することとなったが開催前に機密文書を積んだ飛行機がエベレスト南部に墜落する。文書はヒマラヤ地区の平和を脅かす可能性があるとして、インド軍は二名の特別捜査官を文書回収のため派遣、またヒマラヤで活動する救助隊Wingsにガイドの依頼をして一行は墜落現場へと向かうが、とちゅう特別捜査官の二人は職名を詐称しており、文書回収の目的も平和維持とは別物とあきらかになる。

「日中合作のスペクタクル映画」というのがウリだが、むしろ文化大革命当時までの中国映画のたたずまいの感が強い。活劇とメロドラマの奇妙なブレンド、撮りまくりのドアップの表情には複雑や陰翳は皆無、スクリーンプロセス、CGはしょぼいといって悪ければひと昔前の水準。Wingsのチーフを務める役所広司には比較的自由に演技させていたが、中国側の役者は極めて硬直した演技で、セリフ回しはなつかしい「白毛女」や「紅色娘子軍」ふうだった。

中合作とはいえイニシアティブは完全に中国側がとっていて、共産党の文化機関からはお褒めにあずかるのではないかな。

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十二月四日に成田空港からイスタンブール経由でマルタ共和国へ行き九日におなじルートで帰国した。マルタは古くは十字軍で勇名を馳せた聖ヨハネ騎士団マルタ騎士団)が築いた要塞都市、近くは米露首脳が冷戦終結を宣言したところとばかり思っていたが、最近、租税回避行為をめぐる一連のパナマ文書との関連でこの国の政界の暗部を追求していた女性ジャーナリストが殺害された事件に政府関係者が関与していた疑惑が浮上し首相が退陣を表明した。香港のような暴動は起きていないが、現地在住の日本人女性のガイドさんによると、厳しい政治的緊張感が続いているとのことだ。八日の日曜日には首都ヴァレッタのメインストリート、リパブリック通りで、首相退陣で幕引きとせず、正義を求めようと訴えるデモ行進がおこなわれていた。国会、首相官邸等には鉄柵が設けられていて、ガイドさんは、マルタ政治史上はじめての鉄柵だと思いますと語っていた。

いずれ旅の記録はまとめなければならないが、ここではダシール・ハメット『マルタの鷹』について。言うまでもなくマルタ騎士団にゆかりのある「マルタの鷹」像をめぐる争奪戦を描いた本書は私立探偵サム・スペードの名を一躍高からしめたハードボイルド小説の名作であり、これを原作とするジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート主演の同名映画はフィルム・ノワールの古典となっている。

先に聖ヨハネ騎士団、冷戦終結宣言のマルタと書いたが、フィクションの世界では何はさておいても『マルタの鷹』であり、これをあしらったTシャツはないものかとひそかに目を配っていたところマルタ島からフェリーでゴゾ島へ渡り、観光のあと土産物店を見て廻るうちにようやく見つけて購入した。「ないはずはあるまぁが」と「仁義なき戦い」のせりふを何度か心につぶやきながらとうとう探し当てた。二着で十ユーロのお宝に大満足なのだった!

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