「戦前の昭和史 雑感」補遺

星新一『明治の人物誌』は中村正直から杉山茂丸まで十人の生涯、事績に人物論を加味したコンパクトな評伝だが、いずれも作者の父で星製薬の創業者、星薬科大学の設立者である星一(1873-1951)がなんらかのかたちで関わりをもった人たちで、マクロな目で見た星一の評伝ともなっている。

十人のなかで、本ブログ前回の「戦前の昭和史 雑感」との関連で目を惹いたのが弁護士、政治家、また第三代検事総長だった花井卓蔵(1868-1931)で、戦前の昭和史のみならず大日本帝国憲法下の政治、軍事のあり方について根本的な問題を指摘していると思った。『明治の人物誌』から花井の言論を見てみよう。かれはいう。

明治憲法の最大の問題点は天皇を輔弼する内閣の責任で、「現在は、軍機軍令に関しては、陸海軍大臣のみ輔弼の責任を持っている。軍関係の制度、予算に関しては、内閣は口を出せない。これでは立憲政治とはいえない」

統帥権に関する輔弼責任という問題は、憲政実施以来ずっと不明確でいずれは重大な暗礁となりかねない」。

「政府の鬼門的存在」と呼ばれた花井のような人がいて、こうした議論が行われたのは政治、社会の健全さを示すものだったが、やがて「いずれは重大な暗礁となりかねない」が現実となってゆく。

昭和五年ロンドン海軍軍縮条約に関して統帥権問題で国論は分裂した。つまり海軍が希望する軍備を達成できずに条約調印したのは、統帥権事項である兵力量を天皇の承諾なしに決めた憲法違反であり、「統帥権の干犯」にあたることをめぐる国論分裂だった。こうして軍部は政治にいくらでも介入でき、口を出せるが、政治は軍部に介入できず、口を出せない事態は常態化し、政治は軍部に飲み込まれてゆく、つまり花井の予言は的中した。

これに関連した問題としては明治憲法下での天皇のあり方の問題があった。ひとつは立憲国家における君主であり、もうひとつは現人神(アラヒトガミ)としての天皇だった。前者の拠り所としては「天皇機関説」という憲法学説があったが、天皇という現人神による親政とは真っ向から対立するものであり、やがて天皇機関説は排撃されていった。

昭和十年(一九三五年)八月三日岡田啓介内閣は「国体明徴に関する声明」を発表、ここで天皇機関説は公式に非難されるものとなった。このとき花井卓蔵はすでに亡い。生きてあればどのような議論をしたかは想像するほかない。

花井のいう「 軍関係の制度、予算に関しては、内閣は口を出せない。これでは立憲政治とはいえない」が、現人神としての天皇親政論により補強され、戦前の昭和のバックボーンとなった、これもわたしの戦前の昭和史像である。