酒歴

晩年の開高健に『開高健の酒に訊け』という対談シリーズ(酒にはウイスキー とルビが振られている)があり、なかで作家の村松友視が「ぼくがトリスを飲み始めたころ、バーへ行くと小刻みに男のランキングがあって、カウンターの奥にサントリー白一五〇円 トリス ハイボール 五〇円 トリスストレート四〇円と書いてあって、白ラベルを飲んでる人を見ながら、いまにオレもああいうのを飲んでやろうと思った」と回想を語っていた。

白ラベルの上にはサントリーの角瓶やオールドがあり、このランキングをのぼりたい思いが人生の励みになったという。村松友視は一九四0年(昭和十五年)生まれだからトリスを飲み始めたころは一九六0年前後である。

おなじ対談シリーズで映画監督の根岸吉太郎 は「ぼくらの青春期はトリス時代の後だったから、トリスは知らないけれども、ホワイトでウイスキーの洗礼うけて、それから角瓶に進んで、オールドへと格上げされていく。そのたびに『オレも出世したなぁ』」と感じたと語っている。監督は一九五0年生まれで村松友視の十年下にあたる。ふつうの大学生の飲むウイスキーがトリスからホワイトへ、というのがこのかんの日本の経済成長である。

そのころ田中角栄の晩酌はオールドパーと漏れ聞いて、日本でそんな晩酌しているのはあの人だけだろう、凄いなあと思ったのが記憶にある。 昭和四十年代のふつうの大学生にとってオールド・パーは夢のまた夢だった。

 わたしは根岸監督とおなじ年の生まれで、うえの発言を読み、似たような酒歴を重ねてきているんだと実感するとともに懐かしさを覚えた。というのは、ときどき仲のよい三四人でサントリーホワイト一本と安いつまみを買って、いずれかの部屋で飲みながら駄弁っていたからである。お店で飲むのは大学の近くの「水っぽい酒、まずい焼鳥」と暖簾のかかった安くて旨い居酒屋で、ここでは日本酒、下宿アパートではウイスキーだった。もっとも当時のわたしはいまほどお酒に親しんでいなかったから、日本酒の銘柄はどうでもよく角瓶やオールドへの憧れはなかった。

とはいえそのあとの日本の経済成長と個人所得の伸びはウイスキーの序列にしっかり照応した。ジョニーウオーカーの赤ラベルは飲めても黒ラベルには届かなかったのが、いつしか黒ラベルを当たり前のように飲んでいた。もちろんオールドパーだって。(写真はこの原稿を機に買ってきたホワイトです)

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吉行淳之介池田弥三郎の「日本酒文化とウイスキー文化」という対談があって、池田が「われわれのある時期ってのは、飲みたいから飲むんでもなくて、飲めるときに飲んでおこうと……」というと吉行が「ええ、そうです」と応じていた。 ちなみに吉行淳之介は一九二四年、池田弥三郎は一九一四年の生まれ。

酒の銘柄などいっちゃいられない、飲めるときに飲んでおこうの時代、昭和二十三年に太宰治

「ひや酒も、コップ酒も、チャンポンもあつたものではない。ただ、飲めばいいのである。酔へば、いいのである。酔つて目がつぶれたつていいのである」と書いている。(「酒の追憶」)

「飲めるときに飲んでおこう」「ただ、飲めばいいのである」ともに丸山眞男先生の書名を借りると「戦中と戦後の間」の酒についての時代精神としてよいであろう。

その後、日本が経済成長するなか、池田、吉行のお二人はオールド・パーをどんなふうに眺めていたのだろう。