原発処理水の放出に思う

八月二十四日、東京電力福島第1原子力発電所の処理水の海洋放出がはじまった。

原発については不測の事態を考えるとないに越したことはない。現状では難しいだろうから、将来に向けての基本的な方向として原発をなくしてゆくほうがよい。そのためには代替エネルギーの活用、研究開発を急ぐべきである。というのがわたしの原発についての基本的な立場で、いうまでもなく素人談義にすぎないけれど、福島の悲劇を繰り返す可能性の芽は早く摘んでおかなければならないという思いがこうした立場を取らせるのである。このことをふまえたうえで海洋放出についての所感をしるしておきたい。

ニュースでは多くの福島県民の方が処理水の海洋放出についてそれぞれの思いを語っていた。なかでわたしがいちばん考えさせられたのは、東京、関東圏(以下東京とする)の人々のための原発なのだから福島にもっと寄り添う姿勢を示してほしいといった趣旨の発言だった。

福島の原発は、福島の有権者が、メリットとデメリットについてあれこれ考えあわせたうえで福島の利益のために下した意思決定であり、けして東京のため犠牲的精神を発揮してその設置を認めたものではない、わたしはそんなふうに思っていたためにこの発言をどう考えればよいか戸惑ってしまったのだった。

そうして、想定外の事態が生じたからもっと寄り添ってほしいというより、本来なら東京の人々のための電力供給施設は原則として他の地域に持ち込むのではなくそれぞれの地域での設置をまずは考えるべきであると訴えてもらったほうがずっとすっきりすると思うにいたった。東京二十三区への設置を避ける施設というのはよほど慎重に判断すべきである。

歴史の教訓としては、信頼できる政府与党や電力会社がいっているのだからと鵜呑みにするのではなく、東京への電力供給施設がなぜ他の地域に建設されるのか、その妥当性や他地域への影響等を慎重に考えて判断すべきで、都民の側も必要ならみずから原発を引き受ける覚悟があってしかるべきだ。

折しも、全国の原発で使用済み核燃料がたまり続けており、貯蔵場所の確保が大きな課題となっていて、いま山口県上関町に建設することの可否が政治問題化している。町長の判断とは別に、知事には、まず県都に貯蔵場所を設置してよいかどうかの判断を願いたい。県都はだめだがほかならよいというのはありえない。