三楽

幕末、越前国国学者歌人橘曙覧(たちばなあけみ)の「独楽吟」は「たのしみは艸のいほりの筵敷きひとりこころを静めをるとき」にはじまる五十二首の連作で「たのしみは~とき」という型で繰り返される。

「たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物を食ふ時」

「たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲くを見る時」

日常の生活でふと覚えた幸福感を素直に詠んだその詠みぶりは時代を問わず読者の琴線に触れる。このような生活のさまざまな場面で心の襞に感じたたのしみを抽象かつ窮極に表現しようとするとき古人は三つに括ることが多かったようだ。

「およそ人の楽しむべき事、三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽しむにあり。三には命長くして、久しく楽しむにあり。富貴にしても此三の楽なければ、真の楽なし」と述べたのは貝原益軒で、人生のたのしみは三つがほどよいらしい。

俗に「飲む、打つ、買う」だとか「酒と女と煙草をやめて百まで生きた馬鹿もいる」という。下世話に過ぎるがいずれも三楽であって、どれかひとつだけとなると中毒に堕すようで不気味だし、色と欲のふたつとしてもおさまりが悪い。

「飲みくひも色も浮世の人の慾程よくするが養生の道」(水野沢斎)というところが妥当なところだろう。

中国は宋の時代、趙季仁という人は、世にある素晴らしい人と書と山水を知り尽くしたいと願った。人とのまじわり、読書、自然の三つを人生のたのしみとしたのである。まことに均衡がとれていてそのぶん優等生の答を見るような気がしないでもない。

永井荷風が「葷斎漫筆」で「人生老後の清福」との条件をつけて挙げているのが読書とお茶と熱燗だ。いずれも伴侶を必要としないところがよく、妻妾の愛は恃むに足りず、子孫は憂苦執着の種、朋友も生きているあいだはまだしも亡くなればそれまで、上の三つはその点で都合がよいというところが荷風らしい。

奇矯なのは江戸時代、会津藩保科正之の家中にあった儒臣小櫃与五右衛門の挙げる三楽だ。酒を飲むとうれしきこと三つと口にする五右衛門に周囲が問いつめたところ、好きで貧乏に生まれて贅沢を知らぬがひとつ、軽い身分に生まれて煽てられることもなく、悪いときには悪いと直言してくれるのがひとつ、いまひとつは大名に生まれなかったことを挙げた。そのわけは、大名なれば民の嘆きを忘れて逸楽奢侈をもっぱらにする、それを避けられるのがまことにうれしいと応じた。保科正之これを拳拳服膺して名君となったという講釈は儒教政治思想のエンターテイメント化という点でみょうに忘れがたい。

「軽い身分に生まれて煽てられることもなく」について付言すれば、この反対に重い身分に生まれて、子供のときから煽てられ、父のあとを継いで大名になったが、ある出来事をきっかけに、煽てを自覚しなければならなかった。偶然にも家臣の陰口、本音を聞いてしまったのである。その人がどのような事態を迎えなければならなかったか。菊池寛の小説「忠直卿行状記」はそこのところを描いてすこぶる興味深い。