英語のノートの余白に (6)bullbaiting

昔のイギリスでは、犬をけしかけ熊や牛を噛ませる、あるいは犬どうしを噛ませあって血だらけになるのを見て楽しんでいて、これを「ベア・ベイティング」(bearbaitingクマいじめ)や「ブル・ベイティング」(bullbaiting牛攻め)と呼んでいた。ベイティングは犬をけしかけて噛みつかせることで、エリザベス一世も大ファンだったそうだ。

そもそもブルドッグは牛攻めという娯楽用に交配種され飼育された犬だった。かつては『大英百科事典』にも犬に関する詳しい説明とともにブルドッグが品種改良されたことや闘犬についての記述があった。ところが鈴木孝夫『閉ざされた言語・日本語の世界』(新潮社)によるとこれらの記述は一九二九年の版を最後に消えてしまった。現代の基準に照らして都合の悪い先祖の娯楽は消されて、なかったことにされたのである。

歴史修正主義はとくに第二次世界大戦に関わる戦争犯罪、戦争責任についての問題を否定あるいは相対化する言説を指すけれど、大きくいえば大英帝国における闘犬の扱いだって歴史修正主義にほかならない。

ところがよくしたもので明治三十八年、夏目漱石明治大学で「倫敦のアミユーズメント」という講演をしていて、その際にThe amusement of old Londonという本を種本にした。闘犬についてはここに詳述されているという。以上、奥本大三郎『書斎のナチュラリスト』(岩波新書)による。まさしく天網恢恢疎にして漏らさず、の一例とすべきだろう。

なお文部省からイギリス留学を命じられた漱石が日本を発ったのは一九00年九月、帰国したのは一九0三年一月だった。このころすでにイギリスでは動物愛護の精神が普及していて漱石は先の講演で「西洋人というものは大変人道を重んずる。マア畜生、犬牛馬などに大変丁寧である」と語っている。「大英百科事典」改訂の準備は整っていたのである。

ところが漱石はThe amusement of old London で闘犬についての知識は得ているからいっぽうで「併しながら西洋人だって吾々だって人間としてソンなに異なったことはない、すこし前に遡って見ますと、随分猛烈な残酷な娯楽をやって楽しんだものがある」とも述べている。

そこで『大英百科事典』から『OALD』(第10版)に話題を移すのだが、前者と軌を一にしているのだろう後者にもbullbaiting 、bearbaiting はなく、bulldogを引いても大きな頭部、平らな鼻、ずんぐりした首をもつ短躯で力強い犬とあるばかりだ。

いっぽうわが国の『ジーニアス英和辞典』(大修館書店)には

bullbaiting=牛攻め、犬(bulldog)をけしかけて雄牛をいじめる昔の英国の見せ物、bulldog=mastiff(英国産)とpug(東アジア産)の交配種、 bullbaiting用に飼育したことからこの名がついた、イギリスの国犬(national dog)とされる、としっかりした説明がある。

国犬 bulldogに『OALD』がひどくそっけないのは歴史修正主義の無理が影響していると考えてよいだろう。わたしの愛用する辞書の泣きどころである。