英語のノートの余白に (7) The falling leaves

ワシントン・スクエアの西側の古びたアパートに貧しい芸術家たちが住んでいる。そのなかのひとりジョンズィが肺炎を患った。診察した医師はジョンズィの友人スウディに、病状よりも生きる気力が問題だと告げる。医師が懸念した通り、心身ともに疲れ、人生になかば投げやりになっていたジョンズィは、窓外の煉瓦の壁を這う枯れかけた蔦の葉を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と口にするようになる。

一晩中激しい風雨が吹き荒れた日の翌朝、とうとう蔦の葉は最後の一枚になった。次の夜も激しい風雨が吹きつけるが、最後の一枚となった葉は朝になっても壁にとどまっていた。それを見たジョンズィはスウディに語る。

「スウディ、わたし、まちがってたみたい……わたしがどんだけ心得違いをしてるかってことを思い知らせるために、何かの力があの最後の一枚をあそこに残しておいてくれたのね。死にたいなんて思うのは罰当たりもいいとこだった。そのスープ、わたしにも少し持ってきてくれる? それとポートワインを垂らしたミルクも。それから――ううん、そのまえにまず手鏡を取ってほしいな。それと背中に枕をいくつか当てがってくれない?  そしたら身体を起こしてられるから。あんたが料理するのを見てたいのよ」(『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編』(芹澤恵訳、光文社古典新訳文庫

O・ヘンリーの名作「最後の一葉」のそこから先の秘密はあらためてしるすまでもないでしょう。

ただジョンズィが生きる気力を取り戻そうとするところで、酒好きのわたしは、ポートワインを垂らしたミルク(some milk with a little port in it)なんて飲み方があるのかといささかびっくりし、でも真似して飲むのは気が進まないと腰が引けたり、慶應の中国文学の先生だった奥野信太郎のエッセイ「北京のジン」にある北京の枯葉を思い出していた。

奥野信太郎によると、木の葉がだんだん色づいて、それがやがて散り、落ちるのは日本の風景で、北京では色づくとたちまち葉は落ちて梢があらわになる、つまり散りつつある枯葉(falling leaves)と落葉(fallen leaves)に時間差はない。「最後の一葉」にあるようにニューヨークの枯葉は日本とおなじで落葉となるのに多少の時間がかかる。これが北京のように色づいてすぐ落ちてしまうようでは名手O・ヘンリーを以てしてもこの物語は書きにくかっただろう。 

シャンソンまたジャズの名曲「枯葉」の冒頭は

The falling leaves drift by the window,The autumn leaves, of red and gold.

と歌われる。秋の葉は赤や金色に染まり、やがて窓の外を落ちて漂う。そしてラストは

But I miss you most of all, my darling,When autumn leaves start to fall.

となる。

木の葉が色づき、すこし時間をおいて落ちはじめるところに情感が生まれるのであり、北京のように染まってたちまち落ちていてはセンチメンタルな雰囲気は相当割引されるだろう。