大震災と流行語(関東大震災の文学誌 其ノ十一)

水上滝太郎『銀座復興 他三篇』に収める「遺産」に「妻は、この間ねだった子供の洋服を、震災後の流行言葉で『この際』ぜいたくをいうなと拒まれたのを根にもって、つんとして見せた」という箇所がある。関東大震災のすぐあとで「この際」が流行語になっていたなんてここのところを読むまで知らなかった。
「銀座復興」にも、震災後倒壊家屋の残骸が取り除けられ銀座に仮普請の家が建ちはじめた情景があり、なかに「どうだい、普請場ってものはいい気持のもんだな」「それでもみんなバラックだから先時分に比べればしんじゃくでしょうね」「贅沢いうない。この際の事じゃあねえか」といったやりとりがある。
辞書で「この際」を引いてみたが「話し手が何か特殊な事情に当面している現在」(新明解国語辞典)というものでとくに流行語云々の記述はなく、槌田満文『明治大正風俗語典』にも立項されていなかったが、人びとは震災直後のたいへんな時期を「この際」という言葉で強調したのだった。
震災を機に「この際」のほかにも日ごろは聞き慣れないいろいろな言葉が用いられるようになった。東京市役所・万朝報社共編『十一時五十八分』(一九二四年)には「震災でおぼえた言葉(東京市日本橋高等小学校調査)」として以下の二十四の言葉がならんでいる。
戒厳令、救護班、自警団、配給品、暴利取締、この際!、罹災民、避難民、流言蜚語、帝都復興、バラック、仮建築、玄米、すいとん、恩賜金、天幕村、焦土の都、巡回病院、被服廠あと、マーケット、アーケイド、やっつけろ、不逞鮮人、九死一生」。
このうち「被服廠あと」は陸軍被服廠があったところで現在は横網町公園となっている。震災当時は公園として整備工事が行われていて、周辺の下町一帯から多くの人が避難場所とみなして集まったが、火災による熱風が人々を襲い、くわえて避難で持ち出した家財道具に引火し三万八千人が犠牲になった。いまそこには復興記念館が建っている。

(「被服廠あと」に建つ復興記念館
これら時代のキィ・ワードを並べてみるとだんだんと震災直後の社会相が見えてくる。特徴としてひとつに被災した人びとの生活に関連する用語があり、もうひとつ、朝鮮人に対する迫害を示す語群があり、震災を機にあらわになった日本社会の弱点や凶悪な面が示されている。
当時、陸軍の上原勇作元帥は第一次大戦後新たに日本の委任統治領になった南洋群島の視察に出かけていて、震災と「不逞鮮人」騒ぎを洋上で知った。陸軍内きっての実力者だった上原は副官である今村均少佐に「大和魂といい、武士道といっても、多くは景気のよいときにのみ発揮され、大勢非になると、滔々として虚弱性を発揮して恥じない。集団の一致行動を鍛錬する必要も大切だが、個人性格の修練を基としないものは難局の用をなさない例を、われわれは今度目にした」と語っている。(今村均『皇族と下士官』)

「大勢非に」なったときどれほどの力が発揮されるかが民度ひいては国力を計る尺度となる。その意味で朝鮮人への迫害、虐殺は当時の日本の民度、国力を示すものだった。
のちに評論家、フランス文学者となった中島健蔵は松本高等学校の学生で夏休みのため都内駒沢の自宅にいたがさいわい被災はしなかった。中島の昭和の前半期を回想、評論した『昭和時代』には、そのころ国民大衆のなかにあった社会的雰囲気として「国家権力に対する盲従」「新しいものに対する嫌悪」「邪魔者は殺せという感情」という三点の指摘がある。これらは上原勇作のいう「虚弱性」に通じている。「不逞鮮人」は震災時のキィ・ワードであり明治このかた日本の「虚弱性」を示す重要な言葉であった。
「虚弱性」といえば震災で倒壊した建物のなかに建築基準を満たさない、抜いてはならない手を抜いたために崩壊したものがあり、崩壊してはじめて手抜き工事が表面に出た。『東京灰燼記』の大曲駒村は千駄ヶ谷の徳川公爵邸の外回りのコンクリート塀が倒れているのを見て、一目でその粗悪な用材に気づいたといい「十六代将軍様の城郭として、何と言う見かけ倒しの塀だったろうと思わずにはいられなかった」と述べ、寺田寅彦は「天災と国防」に倒壊した小学校が多いについて「小学校建築には政党政治の宿弊に根を引いた不正な施工が附纏っているというゴシップもあって、小学生を殺したものは○○議員だと皮肉をいうものさえある」と書いている。
このように大震災はそれまで隠されていた社会の「虚弱性」、不正建築の「虚弱性」をあらわにした。
関東大震災を機に一群の言葉が時代を示すキィ・ワードとなったとおなじように東日本大震災にあっても耳慣れない言葉、新しい言葉が聞かれるようになった。流行語となった「絆」のほかにも「想定外」「安全神話」「一定のメド」「がんばろう日本」「再生可能エネルギー」「除染」「建屋」「内部被曝」「放射線量」「ホットスポット」「メルトダウン」などが思い浮かぶ。そしてここにも関東大震災のときとおなじように社会の課題や弱点が示されている。さいわい「自警団」「やっつけろ」「不逞鮮人」といった凶悪さを示す言葉がないのが救いである。