「異端」の言論活動〜末弘厳太郎(関東大震災の文学誌 其ノ十八)

関東大震災をめぐる言論のなかで宮武外骨は在野において異彩を放ったが、その対極にある東京帝国大学法学部という「体制エリートの製造販売所」(高島俊男『寝言も本のはなし』)にも末弘厳太郎という異端の言論人がいた。

末弘の著『嘘の効用』(川島武宜編、冨山房百科文庫)に「震災についての感想」というエッセイが収められている。雑誌「改造」大正十二年十月号「大震災号」が初出である。著者は東京帝国大学法学部教授で、当時その職にあった人にはめずらしく政治、社会、時局について精力的に発言をつづけた。『嘘の効用』はその精華である。みずからの存念、理非曲直を明確にした言論活動ゆえに原稿はしばしば手を入れられ、書物は一ページ全部が空白にされたこともあったという。
「震災についての感想」のうちの一篇「戒厳令とミリタリズム」で、末弘は大震災にともなう戒厳令のもとで軍隊がどれほど救援や復旧活動に尽力したかを述べるとともに、その政治利用を手厳しく批判した。ここに言う「ミリタリズム」とは「軍事力を強大にすることが国家の最高の利益になるとする思想ないし行動」「国政において軍人グループが支配的勢力を有する状況」の意であり、政治利用とはこうした考えに即した行動を指す。
たとえば末弘は「新聞紙の伝うるところによれば『半月前まで軍備縮小を叫んでいた声が今や全く閉息して、かえって戒厳令の続行を希望する者が多い云々』という」某々陸軍大官の言を引き合いに出して「不謹慎にして傲慢なる声」と述べている。
さらに大震災における軍隊の活動に深謝しながら、軍の在り方について言及する。
末弘によれば、軍隊は「有事の際を目的とした護身刀」、つまり非常時における社会の安定装置なのだから、大震災のようなときに役割を発揮しないようでは存在価値はない。
「今回の震災に際して軍隊が急速に出動して偉大なる役目を務めたことは、我々の深く感謝するところである。けれども、元来非常の際をのみ目的として存在する軍隊が、今茲のごとき危急の際に役立ったことに、そもそも何の不思議があるのか?消火器が火事に際して役立ち、日本刀が人を切るに役立つのと何の差異があるのか?かかる非常を予期してこそ、我々は、日常むしろ厄介物にほかならないそれらのものを備えておくのである。そのものが、たまたま非常に際して予期通りの効果を収めたからというて、何の不思議があるのか?このゆえに私は、今茲の変災に際して軍隊のなしとげ得た功績を認むるに吝かならざると同時に、それは軍隊として、単に当然の任務を尽くし得たにすぎざることを確信するものである」。
末弘は、有事の際の活動を素材に軍備の増強を図ろうとする動きに警鐘を鳴らさなくてはと考えた。
「世の中には一時の恐怖にからるるのあまり、また軍隊の力によって目のあたりの不安とを除かれたるを感謝するのあまり、ややともすれば、常備軍の要否の問題とミリタリズム是非の問題とを混同せんとして」はならず、軍備の適正をどう考えるかは現在国が置かれた状況を考慮して決定されなければならないはずなのに、そうした問題を抜きにして大震災における軍の活動を讃美することで軍拡を企てるやりかたを、失火の際に消火器が役立ったからといって以後無用に多数の消火器を備えるようなものだと論じている。
末弘の立論は当時としては相当「異端」なものだったが、しかしその主張は現在の自衛隊について考えるばあいにも示唆を与えてくれている。
東日本大震災直後、あるテレビ番組の司会者やコメンテーターが番組のなかで、今回の自衛隊のはたらきを目の前にして、これまで自衛隊の在り方に批判的だった人はどんなふうに考えているのかと、なにやら勝ち誇ったような口調で語っていた。災害時の国民を防衛する組織は同時に軍事を担う機構でもある。極端に硬直した人たちは別にして、災害時に国民を守るべき組織としての自衛隊に異存はない。いっぽう軍事面については規模の適正化や予算に占める割合などから憲法改正国際貢献までさまざまな議論があるのが現状で、かつて末弘厳太郎が論じたように、大震災における自衛隊の役割の礼讃で済む問題ではない。
くわえて軍の武器は敵国ではなく自国の国民に向けられる危険性を持っているのは近年のシリアやエジプトの例を思い出すまでもなく古今東西変わりはない。
谷川毅『暗闘 スターリントルーマンと日本降伏』に一九四五年六月八日の御前会議で承認された「今後採ルヘキ戦争指導ノ基本大綱」の一部が引かれていて、なかに「敵は住民ヲ殺戮シ、婦女、老幼ヲ先頭ニ立テテ前進シ、我ガ戦意ノ消磨ヲ計ルコトアルベシ。斯カル場合……敵兵撃滅ニ躊躇スベカラズ」という一節がある。戦争が継続し、この方針が実行されたならば上陸した米軍が楯とした女性、老人、子供は大日本帝国の軍隊により殺戮されたから、日本とて例外ではない。
軍隊が自国民に銃砲を向けることのないようシビリアンコントロールの原則の徹底や軍隊を用いる際の厳格な要件や手続き等、政治の運用、政治制度の工夫が必要とされるのは言うまでもない。震災時の自衛隊の活動を政治利用してはならないのはいまも末弘が説いた通りなのだ。
わたしは新聞雑誌への目配りについては不十分極まりないから断言はできないけれど東日本大震災をめぐって宮武外骨や末弘厳太郎のような「異端」の言論はどれほどになされたのだろうか。その質はどうだったのだろうか。それは震災をめぐる言説であるとともに社会の健全さを計測するバロメーターである。