レジスタンスとコリンヌ〜コリンヌ・リュシェール断章(其ノ七)

コリンヌ・リュシェールは戦時中ナチス高官の愛人だったとされ、戦後市民権剥奪十年の判決を言い渡された。対独協力者の娘、「ナチの高級売春婦」の反対側にあったのはナチス占領下におけるフランスのレジスタンスだった。

そこでは、イギリスからド・ゴールが抵抗を呼びかけ、大多数のフランス国民がそれに応え、フランスを解放したとされ、以後国家のお墨付きをえた歴史となった。これを基準にジャンとコリンヌのリュシェール父娘は裁かれた。

しかしほんとうに大多数のフランス国民はレジスタンスに参加してフランスを解放したのかといえば政治的なフィクションといわざるをえない。

戦争中フランス国民は一枚岩でナチスに抵抗していたというのはレジスタンスの「神話」であって、けっこう多数のフランス国民はナチスに協力していて、それなしにフランスの占領はスムーズにはこばず、ナチスが敗北するとたちまちのうちにドゴール派に寝返った人も多くいた。

 またドイツとの関係においてもレジスタンスとコラボレーター(利敵協力者)の二者択一はあまりに無謀な分類であり、そのあいだにはさまざまの考え方があったはずで、ジャン・リュシェールの問題も単純に対独協力者としては片づけられない複雑な要素を含んでいた。

コリンヌを愛人にしたと噂されたオットー・アベッツドイツ大使に仕えた一等書記官のアッヘンバッハは、鈴木明に、パリにいる狂信的なナチス親衛隊(SS)は何をやらかすかわからなかった、できるだけの力で独仏の衝突をやわらげ血を流さず、パリを破壊から救うことをアベッツは志しており、コリンヌの父ジャンもそれに協力していたと語っている。

コリンヌ・リュシェールの薄倖の背後には大戦下のフランスとドイツをめぐるさまざまな政治的問題があり、コリンヌ自身はそれらの事情にまったくうとい非政治的な女性であったが、有名な女優という事情がジャーナリズムの好餌となりスキャンダラスを増幅させた。こうしてわたしの目に彼女はレジスタンスという「神話」に捧げられた生贄と映る。

ここで「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビーの裁判を取り上げてみよう。

バルビーはリヨンでのゲシュタポの責任者としてユダヤ人への容赦ない追求をおこなったあげく、戦後は米国陸軍情報部に保護され、ヨーロッパにおける反共運動専門の工作員として暗躍し、その後、米国の庇護のもと南米ボリビア軍事独裁政権のために尽力した。

のちにフランスに引き渡され一九八七年に終身刑を受けたが、この裁判でバルビイの弁護にあたったヴェルジェルス弁護士は「フランスが今日もなお真実ではないお仕着せの公式の真実のなかに生きているのは、それ自体がうそ」であって、うその極致とはしばしばフランスが何かといえばもてあそぶ「抵抗の神話」なのだと述べた。

ヴェルジェルス弁護士の発言はバルビイ裁判を追ったすぐれたルポルタージュ藤村信『夜と霧の人間劇 バルビイ裁判のなかのフランス』(岩波書店)にあり、バルビイを擁護する立場にはない著者の藤村自身も、戦争と占領のあいだフランス国民は一枚岩でナチスに抵抗していたというのは歴史の事実に反するものであり、それどころか「バルビイの成功の陰にはつねにフランス人協力者の姿がみとめられたし、協力者のなかには利得と暴力をむさぼるためではなくて、確信をいだいてナチスイデオロギーに献身するものも数多くありました。協力者は占領時代にあっては、むしろ『正統』的な存在でさえありました」と述べている。

大多数のフランス国民はナチスに抵抗して第二次世界大戦を戦い抜いたが、一部にナチスにたいして節を枉げ膝を屈して協力した非国民がいた、という歴史像は事実に照らすと政治的思惑のためにする像とならざるをえない。現実にはナチスによるフランス占領はたくさんのフランス人の協力により支えられていたのだった。

ちなみにバルビーについてはケヴィン・マクドナルド監督「敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~」という二00八年に公開されたドキュメンタリー映画があり、元ナチスの親衛隊員だった男が戦犯として裁かれることなく、いかにして生き延びたかを追っている。

戦後、政権を握ったド・ゴールを指導者とする対独レジスタンス派は大多数のフランス国民はナチスにたいしレジスタンス運動を展開して戦ったという歴史像を描き、対独協力者の一部を非国民とした。政治的神話が言い過ぎであるとしても少なくともここには勝利者が歴史をあとから描き直した一面がある。この観点から対独協力者への裁判をみると、非国民だから死刑を含む応報の刑を受けるのがあたりまえという論理には相当の無理がある。

とすればコリンヌ・リュシェールをふくむ戦時中の対独協力者への裁判が複雑な様相を帯びるのはあきらかだろう。象徴としていえばバルビーは重用され、コリンヌは生贄とされたのである。レジスタンスの底に押し込められたコリンヌに歴史学が光をあてるよう願うばかりである。

たとえナチスの高官や将校と関係する環境にあっても国のおかれた状況をわきまえた行動もありえたのではなかったかと考える人もいるだろう。ヴェルコール『海の沈黙』で自宅をドイツ軍の公館とされたヒロインは、おなじ一軒家で暮らすこととなり、やがて彼女に恋したドイツ軍の若き将校に沈黙で以て応じつづけた。複雑な感情を抱きながら彼女は、将校が軍法会議に召還されフランスを去る、その別れの瞬間にたったひとこと「アデュー」(さようなら)とつぶやいた。そこには占領下の国民の自負と節操がある。フランスレジスタンス文学の傑作と評価される所以であり、たいしてコリンヌは政治の力により自負と節操をもたない女性とされたのだった。(おわり)

 

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