「自警団」考(関東大震災の文学誌 其ノ十三)

「不逞鮮人」が井戸に毒薬を入れた、夜陰に乗じて暴動を企てているといった関東大震災のときの「流言蜚語」に寺田寅彦が精緻な分析を行っている。
流言には「源」があるが、それを受けつぎ、取りつぐ人がいなければ「伝播」は起こらない、そこで着目したのはこの「源」の情報を受けつぎ、取りつぐ人びと、すなわち多数の国民にほかならない。

寅彦はいう。市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定して、その井戸水を一人の人間が一度飲んだときに、その人を殺すかひどい目に遭わせるに十分なだけの濃度にその毒薬を混ぜるとすればどれだけの分量の毒薬を要するか、しかも暴徒は地震の前に準備をしておかなくてはならないから、あり得なくはないとしても相当におかしな話と判断できるはず、さらに首謀者は何百人あるいは何千人かに毒薬を渡してそれぞれの持ち場に派遣し、彼らは人目につかないところで毒薬を撒布し井戸のなかをかき混ぜなくてはならないから、これがどれだけ大変な作業であるかはあきらかであろう、と。
もちろん緊急事態にあっては理性よりも感情が先に立つのは否定できない。寺田寅彦もそこのところを踏まえて「それはその市民に、本当の意味での活きた科学的知識が欠乏しているという事を示すものではあるまいか」「科学的知識というのは(中略)もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の基準になるべきものでなければならないと思う」と述べ、適切な科学的常識にもとづいて省察がなされるならばいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱めるだろうと結論している。(「流言蜚語」)
おなじく寺田の弟子でこの問題を論じた中谷宇吉郎は、こういったときに「そんな馬鹿なことがあるものか」と言い切る人がいないのがいちばん情けない、「そんなことがあるはずがない」と言い切る人があれば、流言蜚語はけして蔓延しない、そのためには自分の考えをしっかり持つ必要があると訴えている。個人の思考力、判断力、主体性といった近代的な個人主義が二人のバックボーンとなっていた。

流言が舞い込んできた側については、田山花袋が自身の家庭でのやりとりを記録している。
外出先から帰宅したのを見て妻と子供たちが喜びの声を立てたのが花袋には奇異に映ったものだから、どうしたと訊くと「どうしたも、こうしたもありやしませんよ。物騒で、物騒で、何をやるかわかりやしないんですもの。外だッて滅多に通れないッていうじゃありませんか」「何でもいろいろな噂がありますよ。そういうものが百人も堀の内にいて、それが此方にやって来るっていう話ですよ」「馬鹿な」「だって、近所でも大騒ぎをしていますよ。警察や兵隊だけじゃ不安心だッて、皆な竹槍なんかを拵えたり何かをしていますよ」「馬鹿な」といった具合だ。花袋にしても「馬鹿な」とまではいえてもそこからさき説得した気配はない。
花袋の「馬鹿な」ではなく中谷宇吉郎の「そんな馬鹿なことがあるものか」をいった人に、戦前の労働運動で活躍し労農党の衆議院議員、戦後は日本社会党衆議院議員、また妻で婦人運動家の加藤シヅエともども「おしどり議員」として知られた加藤勘十がいた。夜警に出た加藤は、そのたまりで「朝鮮人騒ぎの無稽なこと、社会主義者云々は悪意の宣伝、社会主義者はこういう民衆の困窮せる場合には民衆の味方となるもので、断じて民衆の弱味につけこんで民衆を苦しめるものではない」ということを平易に説明、説得してなかにはそれを肯定してくれた者もいたという。
加藤勘十のばあいは「そんな馬鹿なことがあるものか」と言い切った稀有な例だったが、めずらしいだけに田山花袋の自宅でのやりとりを含めて科学的常識にもとづく省察のむつかしさを感じさせる。
「そんな馬鹿なことがあるものか」と口にしにくい社会の体質と適切な科学的常識を欠いたところに朝鮮人への憎悪、蔑視の感情がくわわり一部の自警団は暴走した。
自警団の大義名分は社会秩序の回復と家族の安全の確保のためだったが、なかには疑問を抱きつつ集団心理の強制的雰囲気からやむなく活動した人もいただろう。もちろん軍部、警察の一部と軌を一にした朝鮮人社会主義者等への弾圧を画策した人もいた。さらには朝鮮人社会主義者相手の喧嘩なら勝てると考えて活動した者もけっこういたのではないか。
田山花袋の妻は「だって、近所でも大騒ぎをしていますよ。警察や兵隊だけじゃ不安心だッて、皆な竹槍なんかを拵えたり何かをしていますよ」と語っている。警察や兵隊だけでは不安心だから竹槍で参加するというのは奇妙な論理で、公認の武器をもつ警察や兵隊だけでは不安というなら竹槍でもって闘うのは危険きわまりない。ほんとうに危険を察知していたならば躊躇する者も多くいただろう。竹槍は自警団参加者の安心感を示しているように思われる。
フレッド・ジンネマン監督、ゲーリー・クーパーグレース・ケリーが主演した「真昼の決闘」で減刑により釈放されたならず者の頭目が仲間とともに保安官に対し復讐戦に戻ってくるという話が伝わる。保安官は町民に自警団を組織してともに戦ってくれるよう求めたが応じる者はいない。以前にならず者の頭目を逮捕したときは自警団が組織されたのに、復讐戦にやって来た今回は保安官とともに闘う町民はいない。ある町民はいう、そりゃ前のときは保安官の助手が何人もいたが、今回はあんただけだ、それでどうやって闘えるのか、と。勝利が担保されているから町民たちは自警団に参加したのである。
大正の震災でも朝鮮人社会主義者に怯えたのではなくあいつらだったら勝てると考えて自警団活動をした者も多かったのではないか。いまでいえばいじめの光景をながめているだけではあきたらなくなって自分も手を下す仲間に入った取り巻きのようなものである。