「売女」のその後(関東大震災の文学誌 其ノ十)

水上滝太郎「銀座復興」で、震災直後の銀座街頭で、通りがかりの男が派手な身なりの女にむかって「売女」とののしったのを「はち巻」のおかみさんが語る。
「今日あたくしが用達に行ったかえりに、そりゃ凄いようなハイカラが歩いていたんでございますよ。淡紅色の膝っきりの洋服に、真白の靴下で、踵の高い靴を穿いて、白粉を濃く、眉毛を墨で描き、口のわきにほくろまで入れて、よくまあこの際あんな風をして焼跡を歩けたものだと思っていますと、向うから来た洋服を召した紳士みたいな方が、いきなりつばきをひっかけて、売女と怒鳴ったんでございますよ」。
作者が見たのを作中のおかみさんの口をとおして語ったのかもしれない。

この光景を「そりゃあ、やっぱり阿魔の方がよくありませんよ」という者もいれば「そいつは気の毒だったなあ」と同情する者もいる。当のおかみさんは「でもこの際、そんな風にして歩くんですもの」と述べて、空気の読めない女性をたしなめる口調だ。
気の毒だったと口にした人物は、あんまり趣味のいい女とは思えないが、それも復興のさきがけなのかもしれない、やがて復興成って家が建ちならびデパートでバーゲンセールがはじまると、泥まみれの洋服は姿を隠し、まがいものの宝石だろうが人造絹糸だろうがおかまいなく派手な身なりの男女が闊歩するようになるだろうと予想する。震災前のモダニズムの勢いは帝都復興を機に阻止できないほど大きくなるのはまちがいないとの予想は作者の社会観察によるものだった。
身なり、外見に止まらず女性の社会進出はいっそうさかんになる。ビル街の会社に勤める女性のありようひとつとっても変化は旧来の女性像や男女関係に及んでゆく。
ところで怒鳴られたハイカラ女はあまりの突然のことにあっけにとられてぽかんとしていた。彼女に連れはいなかったから男は余計に強面に出たのだろう、おい、お前は東京の半分が焼払われ、たくさんの人が死んだのを知らないのかと声を荒げた。すると女はそれっきり、面目ないようなふうをして去ってしまったというのがこの場面の結末である。
のちに水上は男が派手と見える女を怒鳴りつける光景を「帝都復興祭余興」(「三田文学」一九三0年五月)というエッセイに書きとめている。「銀座復興」で男が女に声を荒げる場面を描いた作家には帝都復興祭の日の車中での光景が興味深く思われたにちがいない。
一九三0年(昭和五年)年三月二十六日帝都復興祭当日の出来事だった。
この日、省線電車で通勤した明治生命重役阿部章蔵すなわち水上は、車中で四十代と見られる男が「この際女でも、あまり白粉を濃く塗ったり、華美な服装をしたり、また男でも変な身なりをする者には警告を与える」と言うや、一見して丸ビルへ通勤する事務員らしい三十前後の女性の前に立ち「あなたの頭はよくない。白粉も濃すぎる。人妻としてつつしんだらいいだろう」と叱咤した。
水上の見るところ髪は軽くパーマネントをかけていたが異様なものではなく、化粧はすこし濃いめだったが丸ビルに勤務する女性の水準からすれば目立つほどのものではない。
問題はそのあとで、怒鳴りあげた男が意気揚々として座席へ戻ろうとしたとき女は「ちょっと」と男の背中に声をかけた。
「失礼ですが、人妻か人妻でないか、どうしておわかりになりますの」
男は意外な反応に返事が遅れた。
「わかる。おれにはわかっとる」と怒声で答えた男に女は「どうしておわかりになるのです」と二の矢を放った。
男は「見ればわかる」「年齢の割に白粉が濃すぎる。そんなことでは日本帝国は亡びてしまう。国を思う熱誠のあまり忠告してやるのだ」と大きな声で威圧しようとしたが女は手をゆるめず「御名刺をください。近日お宅へうかがいますから」と食い下がった。作者は女には東北なまりがあったと書いている。
こうしたやりとりをしているうちに電車が東京駅に着くと、男はいちはやく下車し、女はその後を追ったが男は振り向かず大またで去って行った。

(映画「兄とその妹」の桑野通子)
震災直後と復興祭、銀座街頭と省線電車内というふうに時も場所も違えば、男女も異なる。にもかかわらず、モダンガールと彼女を罵倒する男という構図のなかで、女が正反対の対応をした、その変化を水上滝太郎は時代の変化の象徴と受け取った。水上の見立てどおり省線電車の女性が東北出身者だとすれば、モダンガール的心性の地方への広がりも感じさせる。
水上は、男は忠君愛国の士で帝都復興にさぞかし努力貢献した人物であることは疑わないが「同時に又衆人環視の中で、突然大声叱咤する男子に対し、冷然と対応し、一歩も引かない気概を示した婦人も、恐らくは彼の大地震の後、焼土となった東京に於て、一人前の働きを為し得た一人である事を信じ度い」と述べている。力点がいずれにあるかは言わずもがなだろう。
このエッセイは今井清一編著『震災にゆらぐ』(ちくま学芸文庫『日本の百年6』)に抄録されていて、その解説には「とりたててどうということもない女性のあいだから、周囲のおもわくに気がねせずに、男性にたいしても、自己の主張を堂々とつらぬこうとする人たちが出てきた。夫婦げんかという昔からの言葉にかわって、家庭争議という新語が登場してきたのも、こうした世相の一面のあらわれだった」とある。
ここには男女七歳にして席を同じくせずや女三界に家なしといった伝統的観念、道徳的規範が大きく揺らいでいる現実がある。
震災は大地とともに社会をも揺らしていたのだった。