大震災天罰論(関東大震災の文学誌 其ノ八)

関東大震災は東京を焼け野原にした。衝撃と茫然自失の気分がただようなか「復興の魁は料理にあり/滋養第一の料理ははち巻にある」と張り紙をして敢然と店を開いた銀座の小料理屋があった。
水上滝太郎「銀座復興」はこの「はち巻」とここに集う人々を通して復興の姿を描いた小説で、昭和六年三月から四月にかけて都新聞に連載された。モデルはいま銀座松坂屋近くにある「はち巻岡田」である。

震災直後の銀座には一件の家もない。だからといって「いつまでもみんなが手を出さないんじゃあ、復興ってえ事あ出来ない」とはち巻の夫婦は小屋に葦簾を掛けただけの店を開いた。『銀座復興他三篇』(岩波文庫)に収める「銀座復興」「九月一日」「遺産」の三篇、いずれも関東大震災と直後の社会の諸相が丹念にしっかりした筆致で描かれている。
悲惨と混乱のなかではち巻の夫婦のように復興に尽力しようとする人がいれば、動揺し、絶望に打ちひしがれた人もいる。なかには天罰が下ったのだと言う訳知り顔の人もいる。
「銀座復興」のなかで天罰論者は語る「ええか、羅馬(ローマ)は何故亡びた。奢侈淫卑不道徳の結果だ。即ち天が人間の増長慢を罰したのだ。不幸にして我国の現在は羅馬の末期だ。政治家も腐敗しとる。実業家も腐っとる。あきんどは欲ばかりかわく。若い男は惰弱になり、女どもは洋妾(ラシャメン)の真似をして得々たるものがある。外来の悪思想にかぶれた青年は、髪を長く延ばして露西亜謳歌する。亜米利加の役者の真似をする。胸糞が悪くて見ていられん。強健質実の美風は地を払った。心ある者は常に憂いていたが、天も見るに見兼たとみえて、はっはっはっは、遂にやりおったよ」と。
「天」は曖昧模糊とした言葉であるが、天地万物を支配する神と、人間の力ではどうすることもできない大自然の働きの二つが合わさった用語と解釈してよいだろう。人間の力ではどうしようもない現象を前にしたとき、天のなせるわざとする発想はいまもあり、大きな災害があるとかならずといってよいほど天が引き合いに出される。
東日本大震災についても石原東京都知事の天を引き合いにした発言があったのは記憶に新しい。
「これはやっぱり天罰だと思う。我欲だよ。物欲、金銭欲。・・・・・・.我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」。
のちに撤回謝罪したとはいうものの、この都知事の発言は震災と天罰とを結びつける昔ながらの発想を明るみにした。
大正と平成のちがいは、都知事が釈明撤回に追い込まれたのに対し、関東大震災のときは震災天罰論=天譴論が指導者層にあっては最大公約数的な考え方となっていたことだ。唱えはじめたのは財界の大御所渋沢栄一であり、大正初期以来の国民生活の変化を国民精神の堕落と考え、震災を天譴と捉えたのである。
具体的にどのような議論だったのかを当時実業之日本社社長だった増田義一の意見に見てみよう。
増田は震災を国民に反省と改心を迫るために天が振り下ろした鉄槌だという。反省と改心の材料はどのようなものかといえば、ひとつは物質面での欲望だ。
「勤労をいとうて安逸をむさぼり、驕奢にながれ淫靡に陥り、自由恋愛を唱え三角恋愛をとき、いたずらに享楽主義にかたむき、カフェーは繁昌し、舞踏は流行し、惰気満々、無責任の徒多く、不正事件頻発し、賄賂公行し、じつに不真面目の状態であった」。
もうひとつは思想道徳の退廃から来る人間の堕落である。
社会主義や危険思想が伝播せんとし、農村の赤化運動さえ見るにいたり、社会の秩序や規律をおもんぜず、わがまま勝手な思想が増長せんとした」。
石原都知事の発言との類似とともに大上段にかぶった震災天罰論がひとつの政治論であり、その思惑がどういったところにあったのかがよくわかる。
東京での大地震、大火災についての昔からの記録をたどり直した寺田寅彦が「著しい事変のある度に、それが、人間の風儀の悪くなったための天罰だと言って、自分ひとりが道徳家ででもあるような顔をしたがる人がある。これも昔から今まで変りはない。昔のそういう人の書いたものをよく見ると、人間というものは昔から全く同じことばかり繰り返しているものだという気がする」と書いている(「事変の記憶」)のを見るとこういう考え方は大正、平成に特有のものではなく、いつに変わらぬ人間の生態のひとつであり、丸山眞男の「歴史意識の古層」の一面なのかもしれない。

話を「銀座復興」に戻そう。震災のあとふた月たらずのあいだに銀座にも「はち巻」をはじめぽつりぽつり家が建ちはじめた。そんなある日の空を水上滝太郎は「雨は名残なく晴れ、冷々とするまで澄んだ青空に、けろりとした太陽が又あらわれた」と描写した。その真青な空の遠くには虹がかかっていた。おなじ「天」でも天罰論とはずいぶんと異なるイメージがここにはある。そう、この一文は天罰論とは一線を画し将来に向けての思いをこめた水上の復興へのエールだった。
水上は命を保ち、住居も残った自分でさえ一時期は身の置所なく生き甲斐もない心持にうちのめされてしまったという。けれどやがて地震津波、火事に脅かされたときの驚愕よりも「其の暴力に対抗して、人間の力のあらん限り戦ってみようとする意志の力が自分を支配し始めた」(「所感」)と述べている。この「意志の力」を前にすると、震災を天の鉄槌として国民に反省改心を強要し、それを政治に利用しようとする天罰論の浅はかさと思惑が透けて見える。