『永井荷風と部落問題』

このほどリベルタ出版より拙著『永井荷風と部落問題』(1900円(税別))が刊行されました。御一読、御批評たまわればたいへんありがたく存じます。
どうかよろしくお願い申し上げます。

◎あとがき抜粋
本書の著者は、30代のほとんど10年を高知県の県立高等学校で、ついで7年にわたり高知県教育委員会事務局にあって主として同和教育を担当してきました。そうした経歴をもつ者が、たまたま永井荷風を読みはじめて、そこに認められた部落問題をめぐることがらについて書きとめたのが第1部「永井荷風と部落問題」です。現在の通常の用語では同和問題となるでしょうけれど、荷風の時代においては部落問題とするのが妥当と考えて表題としました。
第1部の初出については発表順に以下の通りです。
● 「傳通院」と「伝通院」(雑誌『こぺる』1996年9月)
永井荷風と部落問題〜天皇直訴事件のひとつの波紋(同1998年3月)
永井荷風と部落問題2〜「ひかげの花」の女をめぐって(同2001年3月)
永井荷風と部落問題3〜『断腸亭日乗』原稿訂正をめぐって(同2002年11月)
● 鳥追の光景(同2004年10月)
永井荷風と部落問題4〜尾崎紅葉の出生と「憂悶の情」をめぐって(同2005年2月)
いずれも論旨は変えていないものの、多少の改稿を行なっています。
また第2部「隠せば差別はなくなるだろうか?」では第1部で指摘したテキストの改竄のような問題がどうして起こるのか、他の事例や自身の体験を踏まえて考えてみました。
第2部についても『こぺる』に発表した教育・啓発関係の文章をもとにしながら趣旨に添うかたちで編集や稿を起こした部分が多くあります。
第3部「荷風のほとりで」は書き下ろしの「荷風の見たダンスホール」と『教育解放』第89号(2000年11月)に載せた「宴会論」を改稿した「荷風ことはじめ」のほかは『スローボートからのつぶやき』と題するわたしのブログから採りました。本文末尾に年月を入れてあるものはブログに書いた時期を指しています。
荷風の東京をあるく」に収めた5篇の短文は編集段階で書き起こしたもので、2011年に定年退職を迎え、そのあと東京に居を移して以後、はじめて書いた荷風にまつわる文章となりました。
というのが本書の由来です。多くはこれまで『こぺる』に発表してきた一連の原稿であり、いずれもこぺる刊行会の代表者、編集責任者である藤田敬一氏のお世話になりました。学校で同和教育主任をしていた頃に読んだ同氏の『「同和はこわい」考』(阿吽社)およびその後の氏の言論活動から受けた影響がなければわたしの『こぺる』所載の原稿もなかったといって過言ではありません。あらためて藤田氏にお礼を申し上げます。…
部落問題に関連しての永井荷風の知られざる、というかすくなくともこれまで大っぴらには語られていなかった一面ならびにそのテキストにまつわる問題や言論のありかたについて多少なりとも考える素材になっていればさいわいです。
                    2012年3月
◎目次
第1部 永井荷風と部落問題
 1 随筆「傳通院」の改竄
 2 鳥追いの光景
 3 荷風の社会認識と部落問題
 4 「ひかげの花」の女をめぐって
 5 『断腸亭日乗』はなぜ訂正されたのか?
 6 出生の秘密を引きずる作家たち
   荷風の東京をあるく(その1)
  ・ 団子坂と藪下通り
  ・傳通院
第2部 隠せば差別はなくなるのだろうか?
 1 歴史を削除してしまう罪
 2 ある大学入試の設問をめぐって
 3 議論を避ける歪んだ風潮
 4 ある新聞寄稿記事とその反響
第3部 荷風のほとりで
 1 映画のなかの荷風
 2 荷風の見たダンスホール
 3 洲崎パラダイス
 4 荷風ことはじめ
 荷風の東京をあるく(その2)
  ・浄閑寺
  ・新 橋
  ・浅草と有楽町
 永井荷風略年譜
 あとがき
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