『小さいおうち』

中島京子直木賞受賞作。帯には〈昭和モダンの記憶を綴るノートに隠されたひそやかな恋愛事件〉とある。昭和のモダニズムに惹かれて一読。読後、ああ、よい物語を読ませてもらったと大満足だった。


昭和五年(一九三0年)春、尋常小学校を卒業した布宮タキが山形県から東京へ女中奉公にやって来る。戦前の昭和、東京の中産階級の家庭には地方からやって来て女中奉公する少女たちがすくなくなかったという。身売りしなければならないほどの困窮にはないが、女学校へ進学するには苦しい経済状態にある家庭の子が多く、家計の足しと主婦見習いを兼ねて上京してきたのだった。
 

タキさんがさいしょに奉公したのは小説家の小中先生の家だった。やがて先生から頼まれて平井家に移った。景気のよい玩具会社に勤める穏やかな旦那様と若く美しい時子奥様と、可愛らしい恭一坊ちゃんがいる平井家にタキさんがやって来たのは昭和七年のことだった。奥様は前の夫とは死別していて再婚、恭一くんは前夫とのあいだの子供だ。いまの夫は奥様より十三四歳上だが初婚である。
三年後、平井家は念願のマイホームを新築した。赤い屋根の洋風建築で小さいけれどおしゃれなそのおうちはまるでおとぎ話のよう。タキさんはこの家族、とりわけ素敵な奥様に仕えながら生活するこのおうちこそ終の棲家だと心に決する。このとき時子奥様は二十二歳、タキさんは十四歳だった。
戦後も嫁ぐことなくお手伝いさんとしてはたらきつづけたタキさんはいま米寿を迎え、あの赤い屋根の小さいおうちの思い出を書いている。近所には甥夫婦が住んでおり、息子で大学生の健史くんがしばしば様子を見に訪ねてくれている。
タキさんは健史くんが回想記をこっそりと読んでいるのを知り、はじめは腹立たしかったが、すぐに読むのを認めてやった。そこでタキさんの思い出話のあいだには健史くんのそれを読んだ感想がはさまれることになる。大伯母の綴る戦前の昭和と東京の回想はこの大学生がいだいている昭和の歴史像とはひどく異なる。したがってこの小説は戦前という時代のイメージをめぐる小説の様相を帯びる。
健史くんが知る昭和十年と十一年といえば天皇機関説問題と二・二六事件の年である。なのに大伯母ときたらオリンピック東京大会の開催が決まってウキウキした雰囲気だったとか書いて過去を美化しているのだ。ほとんどボケ状態にあるみたい。
いっぽう、タキさんからすると、二・二六事件はおそろしい出来事だったが、まだ戦争やファシズムを身近に感じるほどではなく、それを素直に書いたまでなのに、ボケなどとはとんでもない。一般的な話としては、犬養毅首相が暗殺された昭和七年の五・一五事件に比較して二・二六事件は多くの人がたいへんな時代になったと感じていたようだ。とはいえ、タキさんにはタキさんの感じ方がある。
昭和十二年の南京陥落のときは、銀座中のビルがお化粧直しをして、デパートの角角に大きな日章旗が下がり、屋上には「祝南京陥落、歳末大売り出し」のアドバルーンがそよぎ、帝都を揺るがすばかりのブラスバンドの響きに万歳の声が唱和していたとタキさんの筆遣いはなんだか愉しそうだ。南京では大虐殺、東京では戦勝大売り出しのアドバルーン。健史くんにとってそれはまるで悪夢のひとこまなのだった。

こんなふうにタキさんの回想と健史くんの歴史像とのギャップは大きい。マレー海戦、シンガポール陥落しかり。歴史を勉強して戦争とファシズムの時代をイメージする健史くんにはタキさんが平井家で暮らした生活実感は理解しづらい。

演劇評論家で作家の戸板康二に自身の十代を回想した「わが十代」というエッセイがある。(『ハンカチの鼠』旺文社文庫)。

十六歳の秋に満州事変がはじまり、大学一年の学年末試験の初日に二・二六事件が起こった。それでも大正末から昭和初期にかけての自身の十代を、きな臭さはあってもまだ比較的のんきで、在学していた慶応予科では少女歌劇の踊り子の後援会にクラスのみんなが否応なく入らされたり、フランス語を題とする同人雑誌を出したりといった自由な雰囲気があり、〈戦争に突入する前の小春日和とでもたとえたい、ぼくの十代だった。〉と述べている。

時代を揺るがす出来事はあっても、それとは別に個人には生活実感をともなった思い出がある。タキさんには赤い屋根の小さなおうちがささやかな幸福につつまれていた頃が昭和の小春日和だった。
タキさんの眼は平井家の人々、とりわけ素敵な時子奥様に向いている。そうしているうちに彼女はみょうなことに気づく。旦那様がセックスについてきわめて淡泊、はっきり言えば不能のようだ。ただし、タキさんの回想記にはセックスだのインポテンツといった言葉はなく、こうした箇所を作者はどのように表現しているのかを見るのも一興で、一例を挙げると〈それは旦那様の沽券にかかわることだから、わたしは絶対に口にしなかったし、これからも誰にも知らせるつもりはない。いくつかのことといっしょに、墓場まで持っていくつもりでいる。〉といった具合だ。 
重役となった旦那様の会社に勤める板倉さんがお年始にやって来たのは南京陥落直後の昭和十三年の賑やかなお正月だった。それから以後、美術学校を出たばかりのこの青年は歓待されるままに小さいおうちにやって来るようになる。

やがてタキさんは板倉さんと奥様とのあいだにただならぬ関係、秘められた恋のあることに気づく。ここにも不倫や浮気や失楽園といった言葉はない。ある日、旦那様が板倉さんに勧める見合い話の返事を訊くため、地味な絣に博多織の帯を締めて出かけた奥様だったが、帰宅したときにはあきらかに帯を締め直した跡があった。
 
 昭和の小春日和はとうに過ぎた昭和十九年三月、タキさんは奥様の勧めで平井家を辞し山形へ帰った。板倉さんは応召し、奥様は生気をうしなっていた。
帰省したタキさんは東京から疎開して来ていた児童を世話していた関係で昭和二十年の三月に上京した折り、奥様とみじかい時間をともにした。
戦争が終われば戻ってまいりますと言うタキさんに奥様は待ってるわと声をかけてくれた。だが、戦争が終わったとき、旦那様と奥様は空襲で亡くなっており、恭一坊っちゃんは行方知れず、赤い屋根の小さいおうちは消えていた。タキさんが回想記を書きはじめたのは平井家を去って六十年後だった。しかしそれはタキさんの死去により敗戦直後のところで未完に終わった。
最終章でタキさんに代わって物語を引き継ぐのは回想記の唯一の読者、健史くんだ。
 回想記はあくまでタキさんの視点で記述されているから、おなじ出来事であっても他の人の眼には様相を異にするばあいがある。生前のタキさんが知らなかった平井家の事情もあれば、彼女が秘して語らなかったことや遺品もある。
健史くんは回想記にこれらの要素をくわえ、事実を浮き彫りにしてゆく。その過程はとてもスリリングで、しかも切なく、静かな興奮をもたらす。
回想記を読み込み、だんだんと事実をあきらかにするこの作品はしっかりした仕掛けと構成力を有したすぐれたエンターティンメントである。そして回想記をひとつの史料とすれば、これはまた歴史学への招待といった性格を具えた小説と見えてくる。
『小さいおうち』に出てくる映画について。

まず旦那様が勤める会社の社長夫人が話題にする「夫の貞操」。吉屋信子の新聞連載小説を原作に1937年にP.C.L.映画(のちの東宝)が映画化している。主題歌があって江戸川蘭子と千葉佐智子が歌っている。千葉は成瀬巳喜男監督の「妻よ薔薇のやうに」や「噂の娘」等に主演し、成瀬の妻となった(のち離婚)人で、彼女にレコードがあるのをはじめて知った。

平井家の人々と歓談する板倉さんの話題は専門の美術をはじめ漫画や音楽会、映画などに及んだ。映画では「オーケストラの少女」(1937年)と「昨日消えた男」(1941年)の二つの作品の名が見えている。

もう一本は平井家を去って帰郷するタキさんが汽車を待つあいだに上野駅近くの映画館で観たのが「加藤隼戦闘隊」。