『野口久光シネマ・グラフィックス』

野口久光(1909-1994)さんの名前を知ったのはジャズを聴きはじめた一九七0年代のはじめだった。ときどき手にした雑誌の音楽批評やレコード解説でその名を眼にしたのだった。
難しい理屈を振り回したり、前衛ぶったところがなく、トラッドなジャズにも目配りが効いていて、やさしく、丹念にジャズの世界に導いてくれている感じを受けた。その頃、わたしは野口久光をジャズ評論家として知るのみだった。
だから一九八四年に筒井たけ志編『ヨーロッパ名画座 野口久光ポスター集成』(朝日ソノラマ)が刊行されたときはおどろいた。なにしろこの人がこんな素敵な映画のポスターを描いているなんてまったく知らなかった。このポスター集で野口さんが東京美術学校(現東京芸大)出身で、長きにわたって東和商事で映画のポスターを描いていたのをはじめて知った。
これからあとわたしのなかで野口久光はジャズの人であるとともに映画の人となり、やがてしだいに後者の観が強くなっていった。一九九二年には『ヨーロッパ名画座』の増補版が出てうれしい贈り物となった。ここにはなつかしの名画とともに新しく描かれた大林宣彦監督「ふたり」のポスターも収められている。





野口久光を知ったのと前後して和田誠の画集や本に親しむようになった。映画に詳しいのはもちろんだが、素敵なポスターを描き、スタンダード・ナンバーを中心とするジャズの魅力を語る二人のグラフィック・デザイナーを知ったことは、わたしにはすごく大きな意味を持つ。この人たちに付いて行ってよかったと思う。お気に入りのアルバムを聴きながら『ヨーロッパ名画座』や和田誠のポスター集を眺めるのは至福のときと言って過言ではない。


はなしを野口久光に絞ろう。一昨年(2009年)は野口久光生誕百年だった。それを記念してニューオータニ美術館で「グラフィックデザイナー野口久光の世界 香りたつフランス映画ポスター」が催され好評を博した。スペースの関係上展示ポスター数は限られたが、『ヨーロッパ名画座』に収められていないポスターもあり、愉しく貴重な企画だった。
この展覧会には映画ポスターにくわえ、雑誌の表紙やレコードのジャケットの原画、ミステリを中心とした野口久光装丁本などが展示され、その多彩な世界が窺われるよう配慮がされていた。さらに展覧会図録として『野口久光の世界展カタログ』も刊行されファンにはうれしいプレゼントとなった。











この六月四日からは西宮市大谷記念美術館で「野口久光 シネマ・グラフィックス」が開催されていて、図録として『野口久光シネマ・グラフィックス』(開発社)が刊行された。ニューオータニの展覧会カタログを基に増補をくわえた構成となっている。
映画ポスターで言えばここには『ヨーロッパ名画座』にはないいくつかの作品がある。新しいところでは大林作品「ふたり」以降に描かれた「はるか、ノスタルジィ」「青春デンデケデケデケ」。古いところでは「別れの曲」の別ヴァージョンポスターや「コスモポリス」「カルメン狂想曲」のポスター。いずれも一九三0年代に日本で封切られた作品だ。
畏友双葉十三郎によると野口久光は「自分の発見の喜びを他人にも頒ちたいという気持がいっぱい」の人だった。その気持は映画やレコードの解説文を別にすれば、映画ポスター、レコードジャケット、雑誌の表紙、本の装幀として具体的に表現された。
野口久光の世界に魅せられたわたしたちは、ポスターやジャケットに見とれているうちに、ほのぼのとした温かさや懐かしさ、歓びや哀しみ、あこがれといった感情が心の隅々にまで沁みてくる体験をする。それと並行して、モダンな感覚と美意識の高さを具えた稀代のグラフィック・デザイナーが、嬉しく思った映画やレコードや文学作品を紹介し、そのエッセンスを頒ってくれているのだと知る。つまり野口久光の世界は二十世紀の三十年代から九十年代はじめにかけてのウエルメイドな文化が詰まった玉手箱なのだ。




嬉しいといえば、先年、銀座にあった名画座並木座が出していた「並木座ウィークリー」が復刻された(三交社2007年)が、このリーフレットの創刊号には一色だけカラーが用いられているのを今回の「野口久光 シネマ・グラフィックス」で知った。野口による並木通りのデッサンを表紙にした号はデッサンの部分は薄い赤で覆われ、野口の文章もおなじ色で印刷されている。復刻本からは窺えなかったところだ。











ラ・マンチャの男」で越路吹雪の相手役に抜擢された市川染五郎(現松本幸四郎)に、キャスティングが不釣り合いといった非難があったとき、野口久光は、不安どころかたのしみな組合せとエールを送っている。ブロードウェイ公演のときは、染五郎夫妻とおなじホテルに泊まって、傍らでやさしく見守っていてくれている感じだったと高麗屋は回想している。

その松本幸四郎の眼に野口久光はこんなふうに映っていた。

〈当時まだ珍しかった洋画やジャズそれにミュージカルという、海外のありとあらゆる本物から「いいモノ」を選りすぐって日本に紹介するという、戦後の混乱期の日本にあって唯一スマートに抜き手を切って荒波を泳いでいる久光さんを見て、「かっこいいなあ」と思ったものである。〉

粋でお洒落というと皮肉が混じっているように聞こえるかも知れないけれど、そうではなくて、野口久光という人は作品から受ける印象のとおり粋でお洒落な人だった。その源泉は感性と美意識と的確な技術である。まことに「かっこいいなあ」なのである。
ただ、そのシャイな性格もあって、映画ポスターを描かれていたことを多くの人は知らなかったし、著書も没後に『想い出の名画』や『野口久光ベストジャズ』が刊行されたが、まだまだ汲めども尽きぬ泉たる存在である。画業、文業ともに集大成されんことを願ってやまない。