『幻影の書』

本書のはじめの五六行を読んで、とりあえずパスしておこうと判断した映画ファンは相当に辛抱強い人だ。それほど映画好きにはこたえられない書き出しなのだ。

〈誰もが彼のことを死んだものと思っていた。彼の映画をめぐる私の研究書が出版された一九八八年の時点で、ヘクター・マンはほぼ六十年消息が絶えていた。一握りの専門家と、古い映画マニアを除けば、彼がかつて存在していたことすら知る人はほとんどいないように思えた。サイレント時代末期に撮った短編喜劇十二本の最後の一作『ダブル・アオ・ナッシング』は、一九二八年十一月二十三日に公開された。その二か月後、友人にも仕事仲間にも別れを告げず、一通の手紙も残さず、今後の予定を誰に知らせることもなく、彼はノースオレンジ・ドライブを出て、それっきり姿を消した。〉

ここで多くの映画ファンの脳裡にはビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」が浮かんでくるはずだ。漂っているのはあの作品の雰囲気にほかならない。少し長い引用になったのはそのことを確かめてほしかったためだ。
もちろんポール・オースターが「サンセット大通り」をなぞるような本を書くはずはない。映画が、ロサンゼルス郊外の豪邸に住むサイレント時代の栄光が忘れられない往年の大女優の妄執と悲劇を主題としているのに対し、小説はみずから人知れず姿を消したスラップスティック・コメディの役者の謎を探る男の物語なのだ。




だけど、世の中から忘れ去られたサイレント時代末期のスターのその後と、ひょんなことからそのスターに深く関わってしまった男の人生の軌跡、その男による一人称の語り口、そしてなによりもノワールなたたずまい、これらの点で『幻影の書』と「サンセット大通り」は通じ合っているし、ポール・オースターウェイン・ワン監督「スモーク」の原作とともに脚本を手がけ、さらに自身の監督作品もある作家であることを思えば、『幻影の書』の執筆に際しビリー・ワイルダーの傑作が意識されていたとの推測はあながち見当はずれではあるまい。(両者に共通することがらがもうひとつあるけれどネタばれになるため書けない。)

本書の語り手ディヴィッド・ジンマーはたまたまヘクター・マンの出演する喜劇映画を観て興味を覚える。三十六歳の妻と七歳と四歳の息子を飛行機事故で失って間もない時期だった。絶望の淵にあった「私」ジンマーは何かに打ち込むことで辛さを少しでも忘れたい気持も手伝って、ヘクター・マンの映画を観るためロンドンやパリのフィルム・アーカイブを訪ねる。飛行機による旅は妻子の事故ゆえにたいへんな精神的苦痛を伴うものだった。
やがてジンマーの『ヘクター・マンの音なき世界』という著書が上梓される。喜劇役者の失踪をふくむ伝記的事実は二義的でしかなかったから、本は映画そのものの詳しい分析、作品論を主とする研究書であった。
出版して三か月ほど経ったある日、ジンマーにフリーダ・スペリング(ヘクター・マン夫人)名の手紙が届く。ヘクターが著書を読んで、お会いしたいといっているというのだ。からかいの手紙としか思われなかったが、ジンマーは、ヘクター氏が生きているとは信じられないが、本当に現存されているならお会いしたい、詳細を知らせてほしいと返事を出したもののそのあとは梨のつぶてだった。
ところがある日、ジンマーはアルマと名乗る若い女性の来訪を受ける。ヘクターの映画でカメラマンを務めたチャーリー・グルンドの娘で、ヘクター自身の許可を得て詳細な伝記を執筆しているという。
ヘクターは瀕死の床にあるが生きていて、あなたに会いたがっている、おまけにヘクターは絶対公開しないとの条件で数本の映画を撮っており、それらの作品を観てほしい、しかもヘクターの死後二十四時間のうちにフィルムはすべて破棄されることになっている、というのだった。
およそ信じがたい話だったが、アルマの説得を受けたジンマーは彼女とともに飛行機に乗る。

新潮文庫の訳者あとがきで柴田元幸氏は作品のなかに別の作品を盛り込むのが本当にうまいと述べている。じっさい本書にはジンマーが執筆したヘクターの作品世界と、アルマが執筆中というヘクターの伝記的事実が詳しく書かれていて、それはフィクションなのに、読者はあたかもヘクターという俳優が実在していて、その映画と伝記を詳細に知った気にさせられる。訳者の力もあずかって筆力の凄さを感じさせる。
ほんとうにヘクターは生きているのか、誰も知らないヘクターの映画が存在するという真偽は、「私」への手紙はどういった意図と経過で送られてきたのか、といった謎とその解明はミステリとしても一級品。そのあとに思いもよらない「私」とアルマの人生が待っている。