一枚の絵〜「東京の空(数寄屋橋附近)」


黒澤明小津安二郎溝口健二の映画に、絵画を中心とする芸術作品がどのようにかかわっているのかを、ゆかりの美術スタッフとの関係や親交のあった芸術家との交流を含めて追求した古賀重樹『1秒24コマの美』(日本経済新聞社)を興味深く読んだ。いわば動く絵と動かない絵の関連を探ったノンフィクションでありまた作品論ともなっている。
本書で紹介されている絵画の一枚に鈴木信太郎の油彩画「東京の空(数寄屋橋附近)」がある。数寄屋橋あたりから当時の銀座を俯瞰した風景画だ.モダンな街並みの上空に六つのアドバルーンが揚がっていて、向かっていちばん左のアドバルーンには「しかも彼等はゆく」の文字が見えている。
「しかも彼等はゆく」は映画の題名で、正式には「しかも彼等は行く」。監督は溝口健二。原作は都新聞に連載された、当時「ルンペン小説」の作家として評判だった下村千秋の同名小説で、梅村蓉子が主演している。
日本の映画史で一九三0年代前後は「傾向映画」が一世を風靡した時期とされる。「傾向映画」とはマルクス主義の影響を受けて資本家と労働者の階級対立を描いた作品群を指す。

溝口健二にもこうした流行を追いかけた若き日があり、一九二九年の「都会交響楽」(フィルムは現存していない)は「傾向映画」を代表する一作となった。
やがて映画に対する検閲がだんだんと厳しくなってゆき「傾向映画」を撮るのはむつかしくなる。そんななか一九三一年(昭和六年)六月十二日に公開された「しかも彼等は行く」は一連の「傾向映画」の最後を飾る作品となった。こちらも「都会交響楽」とおなじくフィルムは残っていない。つまり「東京の空(数寄屋橋附近)」に描かれたアドバルーンには溝口の失われた映画のタイトルが小さいながらはっきりと示されていたのだった。

















 
二00八年に東京都庭園美術館で開催された「一九三0年代・東京」展で鈴木信太郎の「東京の空(数寄屋橋附近)」をはじめて知った。魅力ある展覧会だったから二度足を運び、その後もときどきカタログを眺めている。わたしには「東京の空(数寄屋橋附近)」は親しい油彩画といってよい。
にもかかわらずアドバルーンに掲げられてある文字「しかも彼等はゆく」にはまったく注意を払ってこなかった。だから『1秒24コマの美』でそれが溝口作品のコマーシャルであると知り、いままでこの絵の何を見ていたのだろうと嘆息しなければならなかった。
絵画にある文字は眼に入っていても漠然と眺めていただけだから、何が書かれてあり、どういうメッセージが発せられているのかといった疑問を持てようはずもなかった。絵画を鑑賞する以前の、視線の質の問題であって、こういうのを見れども見えずというのだろう。