『寄席紳士録』


敗戦後、やっとこさ大連からの帰国がかなった古今亭志ん生が、九州の引揚者収容所で家族に宛てて鉛筆舐めつつ頼信紙に「二七ヒカエルサケタノム」と書いたところ、びっくりした引揚者団の世話人が、収容所中にひびきわたる胴間声で「なんじゃッてえッ?サケタノム!・・・・・・」と叫んだ。この電文の送信は叶わなかったが、おかみさんと子どもたちの待つ駒込の家に帰ると、おかみさんは志ん生の顔を見るなり「あいよ」といって特級酒をついだという。安藤鶴夫『寄席紳士録』にある挿話だ。志ん生ファンにはよく知られたエピソードだけれど、「なんじゃッてえッ?サケタノム!・・・・・・」「あいよ」といった科白がいかにもこの作者らしい書きっぷりだ。
寄席紳士録』は作者お気に入りの寄席紳士たちを主人公とする短編小説集。文藝春秋の「漫画読本」誌上に連載がはじまったのが昭和三十四年の四月で、以後、実名で登場する寄席紳士の面影が「名人の人情噺を聞くような」(小野田勇)調子で描かれて十三回を数えた。
十三人のうち十二人は記憶術の一柳斉柳一、ものまねの江戸家猫八、落語の古今亭志ん生桂三木助など寄席芸人、あと一人は東横落語会のプロデューサーだった湯浅喜久治。いずれも面白くちょっぴり哀しい十三の「人情噺」が洒脱でイキのよい、それでいて、しっとりとした文章で綴られている。
寄席と寄席芸人の世界を知り尽くした著者ならではの語り口に引き込まれ、読み進めるうちに、見たことも聞いたこともない芸人に奇妙な親近感を覚える。なかにはわたしの小さい頃の記憶にわずかに残る芸人たちもいる。
かれらが活躍していた昭和三十年代はじめの東横ホール、「実ァすねえ」が口癖だったプロデューサー湯浅喜久治が企画した東横寄席を覗いてみよう。入場料五百円。
ホールのいちばんうしろから突然木遣りの声が起こる。若い者がまといを勢いよく振り、赤筋の半纏を着た江戸消防記念会の頭たちがうたいながら客席から舞台へ上がる。幕明きは宮城道雄の箏曲の合奏団がずらり三十人。つぎがペギー・葉山。それから吾妻徳穂の舞踊、志寿太夫の清元とつづく。
休憩があってダーク・ダックスの世界の歌メドレー、つぎに丹下キヨ子と橘薫の新型漫才、そのあとが越路吹雪シャンソンで、ピアノが松井八郎。つづいて徳川夢声が西洋辻講釈と題して往年に小説と映画でともに人気を博したフランスの怪人、ジゴマの一席をうかがい、フィナーレは渡辺晋とシックスジョーズの演奏でSKD(松竹歌劇団)のエイト・ピーチェスの美女が舞った。
昭和三十年代はじめの渋さと絢爛さ。おまけにプログラムは木村荘八という凝り方で、百円かかったのを五十円で販売していた。
『寄席紳士録』には文藝春秋から出た単行本がある。朝日新聞社の『安藤鶴夫作品集』にも収められている。けれどわたしが親しんでいるのは昭和五十二年刊の旺文社文庫だ。あのころ、同文庫はこれでもかこれでもかとせっせと安藤鶴夫の文庫を出していた。その旺文社文庫が店じまいして久しい。だからだろうこの『寄席紳士録』を手にしていると書中の寄席芸人たちのなつかしさに通じる気がする。