小説「ゴーストライター」の枝葉末節

映画「ゴーストライター」に促されてロバート・ハリスの同名の原作を読んだ。(熊谷千尋訳、講談社文庫)。すでに原書は二00七年、訳書は二00九年に刊行されている。
わたしが海外ミステリに魅せられたのは、コナン・ドイルでも、アガサ・クリスティーでもなく、スパイ小説のエリック・アンブラーを通じてだった。作品は『あるスパイへの墓碑銘』。
南仏の避暑地に遊びに来た青年教師のカメラに、知らないうちに軍港を写した機密写真が収まっていて、スパイの嫌疑を受けてしまう。この男に残された道は国外追放の憂き目にあうか、さもなければ何人かの客のなかにいるスパイを暴くかの二つしかないという典型的な巻き込まれ型エスピオナージだ。
このアンブラーの小説が見事だったからだろう、わたしは本格謎解き推理小説より、スパイ小説が好みで、それも諜報機関のプロフェッショナル同士の熾烈な闘いを描いた作品よりも、平凡な社会人がひょんなことから諜報や謀略に巻き込まれるタイプの物語が気に入っている。ヒッチコックの映画でいえば「三十九夜」や「バルカン超特急」「知りすぎていた男」「北北西に進路を取れ」等がそれにあたる。


ゴーストライター」もおなじく巻き込まれ型ミステリー、それも上等の出来だったから有楽町の映画館を出てさっそく銀座の教文館に行ったところ原作の文庫本が平積みにされてあった。
小説のほうも一気に読める面白本で、ラストの改変以外は原作に忠実に映画化されている。ちなみに作者ロバート・ハリスは監督のロマン・ポランスキーといっしょに脚本を執筆している。といったところで小説を読みながら気になった箇所にこだわってみよう。
まず元英国首相アダム・ラングであるがケンブリッジ大学卒、政党の一員として政治活動をはじめたのが公式報道では一九七七年とされている。ラングの生年の記述はないが、モデルとおぼしき(作者は否定しているが)ブレアー前首相が一九五三年生まれだから、ここらあたりを想定してよいだろう。ついでながら名無しのゴーストライターも一九五0年代にイングランドに生まれ、七十年代に成人になった世代に属している。
そのロンドンからやって来たゴースト氏のインタビューに応え、元首相は少年の頃の思い出のいくつかを語る。
建築業者の父と教師の母の家庭で生まれ、幼少年期をイングランドのレスターで過ごした頃のあれこれ。たとえば公園で泥にまみれてやったサッカー、夏の午後川沿いでプレーしたクリケット、母が買ったダンセット・カプリというプレイヤーで聴いた四十五回転のビートルズのシングル盤レコード、イングランドが優勝した一九六六年FIFAワールドカップの決勝戦
そういったなかに地元の映画館で観た映画が二本「ナバロンの要塞」と「ピンクの病院」が挙げられている。
ナバロンの要塞」は第二次大戦中の一九四三年、ドイツ軍占領地に囲まれたギリシャエーゲ海のケロス島で孤立したイギリス軍を脱出させるためにナバロン島に配備された二門の巨砲をぶっ飛ばすべく世界的な登山家マロリー(グレゴリー・ペック)の率いる一隊が島に進入するという冒険譚で、一九六一年に公開され、翌六二年のカデミー賞特殊効果賞、およびゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)を受賞している。
これはたいへん有名な作品だけどもうひとつの「ピンクの病院」って御存知ですか。一瞬わたしはクルーゾー警部の『ピンクの豹』のまちがいではないかと推し量った。これだと一九六三年の公開だから「ナバロンの要塞」とは時期的にもおなじだし、釣り合いもとれているじゃないかとあらぬことを思ったりした。
でも双葉十三郎先生の「西洋シネマ体系」の副題のある『ぼくの採点評』を見ると載っているんですね、「ピンクの病院 ドクターストップ」。六八年製作のイギリス映画で、日本では七三年に公開されている。ジェラルド・トーマス監督、出演者としてフランキー・ハワード、ケネス・ウィリアムズの名が見えている。評価は「イギリスには優秀な作品が多いが、野暮くさく程度の低いシロモノもすくなくない。これもその一例で、あちらで人気のシリーズの一篇だという」といったところだ。
原題は〈Carry on Doctor〉、ネット上のgoo映画には「イギリスで十二本も製作されて人気のある“Carry on”シリーズ」とあるからあちらではけっこうな人気シリーズだったのだ。
双葉さんは「ギャグは古めかしいものばかり。喜劇としては最も古いタイプといえるが、イギリスの一般大衆向けの映画としてはこういう作り方がいちばんいいのかもしれない」と書いている。こじつけを承知でいえば、イギリスという階級社会で、ラングの思い出の映画「ピンクの病院」は彼の出身階級をそれとなくほのめかしているのかもしれない。

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インタビュー集、対談集の多い劇作家、演出家の高平哲郎さんは『映画に乾杯』にある和田誠との対談で、インタビューではテープは録らない、あとでテープ起こしに気をとられてただ伝えるだけになり、またテープが回っていると、安心してこちらからの話がおざなりになってゆくからと語っている。メモをとりながら相手の話を聞いていると、書きながら次の質問を考えており、緊張感はテープを回しているのとは全然違うという。三十年ほど前の対談だからいまはどうかはわからないけれど、ほかにもこのような話は聞いた覚えがある。
これに対しロバート・ハリスゴーストライター』の名無しのゴースト氏にとって録音機器は必携で、当人の話をあれもこれも録音して、そこから使える部分を拾い出し、本人になり代わって本を書くのである。
そこでゴースト氏がラング元首相のところへやって来たときのショルダーバッグのなかを、すなわちゴーストライティング業の小道具を眺めてみよう。
まずはソニーウォークマン・デジタル・レコーダーとMD-R74ミニディスクと電源コード。バッテリーだけに頼っていてはいけないとゴースト氏は言う。
つぎにメタリック・シルバーのパナソニック・タフブック・ラップトップ。
スモールサイズの黒いモールスキン二冊。
まっさらの三菱鉛筆ジェットストリームローラーボール三本。
白いプラスティックのアダプター二つ。イギリス製マルチポイント・プラグをアメリカのコンセントに合わせる変換器がひとつずつ。
ゴーストライター』の原書『The Ghost』は二00七年に刊行されている。上の小道具は作者ロバート・ハリスが執筆していた当時の、つまり刊行にやや先行する頃のハイテク事情が反映されているのだろう。カセットからミニディスク(MD)さらに半導体メモリーカードへの流れのなかで、いまだったらゴースト氏はMD、半導体メモリーカードのいずれを選ぶだろう。
ついでながらパナソニックのパソコンは高級機種が「TOUGHBOOK」、一般機種が「Let's note」とされている。

ゴースト氏はさすがもの書きらしく高級機種を使っていると思いきや、アメリカなど、日本以外では 「Let's note」 にも「TOUGHBOOK」 の呼称が用いられていて、例えば国内向けの「Let's note W8」は、北米向けでは「TOUGHBOOK W8」となるという。ノートパソコンは和製英語で、英語圏では「Laptop」と呼ばれるため「note」ではパソコンと意識されないおそれがあり、そこで一般向けも「TOUGHBOOK」となるのだそうな。だからゴースト氏のパナソニック・タフブック・ラップトップは一般機種「Let's note」 の可能性がある。もともとハイテク事情に疎い筆者には、虚実皮膜というかなんとなく分かるような、分からないような話ではある。
その点でジェットストリームローラーボールのボールペンはパソコンほどは変転ただならないものではないからもう少し事情が窺いやすい。

油性ボールペンでありながら水性ボールペンの書き味があると評判のジェットストリームのボールペンを三菱鉛筆が発売したのは二00六年七月だった。原作の刊行は二00七年だからゴースト氏は(作者のロバート・ハリス氏は)ずいぶん早くからこのボールペンを使用していたことになる。でもいささか早すぎやしないかなあと思っていたところ、じつは海外ではこれ日本より早く二00四年に先行発売されているのだった。この作品が執筆されたのは二00五年、六年頃だとすればゴースト氏がジェットストリームを使っているのは特に早いという感じはしないけれど、それでもゴースト氏はけっこう新しもの好きであるらしい印象はある。