2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

トロギール(2016晩秋のバルカン 其ノ三十九)

クロアチア南西部の港町トロギールは紀元前にギリシアの植民都市としてつくられたのがはじまりで、中世になって水路によって本土と切り離され、周囲に堅固な城壁が造営された結果モンゴルやオスマン帝国の侵入をまぬがれた。 そのため歴史的建造物の多くが健…

クロアチアワイン(2016晩秋のバルカン 其ノ三十八)

手許のガイドブック『ことりっぷクロアチア』に「今話題のクロアチアワインを飲んでみましょう」「クロアチア人はワインが大好きです。ただ、生産量が少なく、国内での消費量が多いため日本ではなかなか味わえません」とあった。 ワインはあまり飲まないので…

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」

二0一四年、米国留学への条件となる大学進学適性試験(SAT)で、予備校主導のもと中国と韓国の学生多数によるカンニング事件が発覚した。そしてこれに注目したタイの映画人が事件を素材に製作した「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」は犯罪サスペンス劇…

宮殿の町(2016晩秋のバルカン 其ノ三十七)

宮殿のなかに町がある、あるいは宮殿と町が一体化しているのがスプリトで、場所によっては宮殿の一部を商店にしているとおぼしいところや宮殿と民家の区分けがどうなっているのかよくわからない場所もあった。 宮殿は世界遺産に登録されていて、そうなると地…

ディオクレティアヌス宮殿(晩秋のバルカン 其ノ三十六)

ディオクレティアヌスは高校の世界史の教科書ではおなじみのローマ皇帝だ。 いわゆる軍人皇帝時代を収束させ、帝国の安定化をもたらしたのはこの人だったし、ドミナトゥスと呼ばれる専制君主制を創始した皇帝として、さらに帝国の四分割統治をはじめた皇帝と…

「英国総督 最後の家」

一九四七年、イギリスは長年植民地として支配してきたインドの独立を承認した。その背景には植民地解放という国際政治の潮流と、第二次世界大戦で国力の疲弊した戦勝国イギリスの現実があった。こうしたなか、独立に向けて円滑な主権の譲渡を行う最後のイギ…

スプリト(2016晩秋のバルカン 其ノ三十五)

クロアチアのドブロヴニクからモンテネグロのコトルへ。そうしてドブロヴニクへ引き返し、翌日はクロアチアの都市スプリトへ向かった。同国南部ダルマチア郡の郡都にして最大の都市である。 専制君主制と帝国の四分割統治をはじめたローマ皇帝ディオクレティ…

日本語決定版「モンテネグロの十戒」(2016晩秋のバルカン 其ノ三十四)

1、ひとは疲れて生まれてくるので、休むために生きるのだ 2、自分自身を愛するようにベッドを愛しなさい 3、夜しっかりと眠れるように日中は休みなさい 4、働くな、労働は命取りになります 5、もし誰かが休んでいるのをみたら、助けなさい(一緒に休みなさい…

「モンテネグロの十戒」(2016晩秋のバルカン 其ノ三十三)

コトルの土産物店で「モンテネグロの十戒」が書かれた絵葉書を買った。ガイドさんによると当地の「十戒」はけっこう有名で、それを証明するかのように日本語、英語等の諸外国語版があった。そこで日本語版をもとめてホテルで読んでみたところ、でたらめな日…

コトル(2016晩秋のバルカン 其ノ三十二)

ドブロヴニクからおなじアドリア海沿岸のコトルへ。複雑な海岸線と険しい山々に囲まれた地形を利用した堅固な城塞都市として栄えたところだ。このモンテネグロに属する港町はアドリア海沿岸の入り組んだ湾のいちばん奥に位置している。 ここは十五世紀以降オ…

中世の都市国家(2016晩秋のバルカン 其ノ三十一)

塩野七生は『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』で「少々乱暴な分析を許してもらえれば、中世ルネサンス時代の華であった都市国家は、土地所有に基盤を置かず、交易を武器に繁栄に達したことからも、量よりは質の時代の産物だったと言えないこともな…

ドブロヴニクの旧市街(2016晩秋のバルカン 其ノ三十)

広やかなアドリア海から旧市街に引き返して散歩をした。表通りはもちろん路地裏にも多くの店が並び、路地の奥は細くて長い階段に通じている。 多くのお店が看板とランタンを出していて、夕暮どきにはランタンに灯がともされ、街はロマンティックなムードに包…

「天空散歩」(2016晩秋のバルカン 其ノ二十九)

手許のガイドブックに、城壁を散歩しながら市街を一望するのはまるで「天空散歩」だとあり、その表現に旅心はますます刺激された。 一三五八年にハンガリー王国から独立し、ドブロヴニクを本拠とした都市国家にラグサ共和国がある。海洋貿易によって栄えたこ…

「判決、ふたつの希望」

ときは現代、ところはレバノン共和国の首都ベイルート。 自動車修理工のトニー(アデル・カラム)がベランダで水撒きをしていると戸外の排水管から水が漏れ、路上で作業中だった現場監督のヤセール(カメル・エル=バシャ)にかかってしまう。 ヤセールは配…

ドブロヴニク要塞(2016晩秋のバルカン 其ノ二十八)

「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドブロヴニクへ。北に山、南にアドリア海は調和のとれた景観だ。市街は要塞が取り囲んでおり、アドリア海に張り出した要塞はけっこう迫力がある。一六六七年に大地震に遭い市街は大きな打撃を受けたが要塞にはほ…

ボスニアコーヒー(2016晩秋のバルカン 其ノ二十七)

モスタルの郷土料理についてWikipediaには「西洋とオリエント両方の要素が調和されている。伝統的なモスタルの食べ物は長年のオスマン支配からトルコや中近東、他の地中海地域の料理と関連している。しかしながら、その後のオーストリア支配から中央ヨーロッ…

スタリ・モスト(2016晩秋のバルカン 其ノ二十六)

サラエボからモスタルへ。モスタル市内にはネレトバ川が流れていて、そこに架かる有名な橋が「古い橋」スタリ・モストで、この街のシンボルとなっている。というのも橋はオスマントルコに支配されていた十六世紀に建設され、橋の西側にはクロアチア系(カト…

バシャチャルシヤ(2016晩秋のバルカン 其ノ二十五)

サラエボ旧市街のメインストリートはバシャチャルシヤと呼ばれる。オスマン帝国治下の十六世紀に設計された商業地区で、金属加工品や陶器、宝飾品の売買が盛んだった。カトリックや正教の地区もあるが全体としてはムスリムの色彩が濃い。第二次世界大戦後は…

’93を忘れるな(2016晩秋のバルカン 其ノ二十四)

写真はボスニア・ヘルツェゴビナで五番目に大きな都市モスタルにある内戦の痕。 柴宜宏『図説バルカンの歴史』はユーゴ内戦を三つに区分して、第一を十日間戦争(九一年六月のスロベニア独立にともなう国境管理権をめぐるスロベニア共和国軍と連邦軍との衝突…

内戦の痕(2016晩秋のバルカン 其ノ二十三)

サラエボ旧市街の商店街にあったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷痕。赤く染められた銃弾の痕は人々の記憶を新たにするとともに、再度の内戦があってはならないと訴えている。 米原万里がプラハのロシア語学校で学んでいたときの親友で、ユーゴスラビアから…

「複数の文化が出会う街」(2016晩秋のバルカン 其ノ二十二)

ボスニア正教会やサラエボ大聖堂に近い旧市街の歩行者専用の商店街を行くと、カトリックエリア、正教エリア、ムスリムエリアというふうに分かれていて、そのうえで通りには「サラエボは複数の文化が出会う街」という標語が記されている。 ボスニア・ヘルツェ…

サラエボ大聖堂(2016晩秋のバルカン 其ノ二十一)

パリのノートルダム大聖堂を小ぶりにした感じでよく似ている。帰国して調べてみると建築家のヨシップ・ヴァンツァシュがノートルダム大聖堂をモデルにゴシック・リヴァイヴァル建築様式を用いてデザインしたとあった。似ているわけだ。 一八八四年八月に建造…