サラエボ旧市街の商店街にあったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の傷痕。赤く染められた銃弾の痕は人々の記憶を新たにするとともに、再度の内戦があってはならないと訴えている。 米原万里がプラハのロシア語学校で学んでいたときの親友で、ユーゴスラビアから…
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