スプリト(2016晩秋のバルカン 其ノ三十五)


クロアチアのドブロヴニクからモンテネグロのコトルへ。そうしてドブロヴニクへ引き返し、翌日はクロアチアの都市スプリトへ向かった。同国南部ダルマチア郡の郡都にして最大の都市である。
専制君主制と帝国の四分割統治をはじめたローマ皇帝ディオクレティアヌス(在位二八四年〜三0五年)は世界史の教科書でおなじみだが、彼はここに引退後に住む宮殿を造営し、それとともに街も出来た。退位は三0五年で、ローマ帝国史上自発的に退位したさいしょの皇帝だった。
ディクレティアヌスの故郷ディオクレアに近い海辺の町に建つ宮殿はどっしりしたつくりでローマの軍事要塞を思わせる。造営工事は二九五年から三0五年にかけて行われており、引退を宣言してじっさいに引退するまでには長い年月がかかっている。いまに残る宮殿はスプリト市の核となっており、近くには市が立ち、商店が建ち並ぶ。