昔も今も

ジョン・スタインベック怒りの葡萄』は一九三0年代末に発生した干ばつと砂嵐をきっかけに農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との対立を素材とした小説で、三0年代アメリカ文学の屈指の作品が刊行されたのは一九三九年のことだった。

所有地が耕作不可能となったオクラホマの農民は流民となり、カリフォルニアをめざす。だがここもすでに労働力過剰となっていて、後発者の希望は打ち砕かれる。農業の機械化を推進する資本家たちは金のためなら作物はどうなってもかまわない。

「コーヒーは船の燃料に燃やしちまえ。玉蜀黍は暖房に使っちまえ。とてもあつい火がたけるぞ。ジャガイモは河に捨てちまえ。そして、腹のへったやつらが、それをすくいにこないように、堤に番人を立てろ。豚は殺して埋めちまえ。そうすれば腐った膿は土にしみこんでしまうだろう」(大久保康雄訳)

スタインベックが描いたカルフォルニアでの出来事をもっともっと大規模にすれば、いまロシアがウクライナの農業に加えている圧迫と重なる。カリフォルニアの悲惨は合衆国内で済んだかもしれないが、いまは世界規模となる。ロシアはウクライナに勝利するためなら食糧などどうなろうとかまわない。仮にウクライナの農業地帯に核爆弾を用いるとこの国の農業は死滅し、世界の食糧危機は加速する。

スタインベックは(カリフォルニアの)「豊穣な果物の実りの陰には、理解と知識と熟練とをそなえた人たちがいる。(中略)豊かな収穫があがるよう、たえずその技術を発展させている人たちである」。

この人たちをかつての米国は潰した。いまはロシアが潰しにかかっている。歴史は拡大再生産で繰り返す。

 


第二次世界大戦中、ポーランドに設けたゲットーを管理するナチスの警備兵たちはしばしば時計の針をわざと進め、ポーランド人が通行禁止時刻を守らなかったと彼らを逮捕したり鞭打ったりして楽しんでいたそうだ。ドイツ兵たちは収容所の内側でユダヤ人を、外ではポーランド人を虐待していた。いまロシアが掌握したウクライナの地域でどのような蛮行をしているかを推測するヒントとなるだろう。

ロシアという国連常任理事国侵略戦争により国際秩序を壊そうとしている。対して国連は実効性ある行動はとれないままだ。国連には日本国民の血税も投入されているが、この体たらくではドブに金を棄てているのとおなじである。暴論御免で書くけれど国際連盟を脱退した昔の日本は偉かった。

一九六二年、のちに南アの大統領に就任するネルソン・マンデラが有罪判決を受け収監されたとき、国連はすべての国々に南アフリカ共和国からいかなる物品であっても買うことを拒否するよう要請した。かつて南アに対してできたことが、いまどうしてロシアにできない?

南アだから強気に出られたのであり、国力の強いロシアには遠慮しているのでれば、何のことはない、粛々と長い物に巻かれているのと変わらない。

総会や安保理事会で全会一致が難しいというのなら、事務総長の声明など何らかの方策を考えるべきだろう。それでこそ国連ではないか。

「牛泥棒」

五月二十日にNHKBSPで「牛泥棒」の放送があり、十年ほど前にレンタルショップで借りて以来の再会ができました。

太平洋戦争のさなか一九四三年の作品でわが国では劇場公開されていません。わたしがこの作品を知ったのは若き日のクリント・イーストウッドが感銘を受けたと何かで読んだのがきっかけで、それまでは題名さえ聞いたことがありませんでした。といっても米国では重んじられており第十六回アカデミー賞で作品賞にノミネートされ、一九九八年にはアメリカ国立フィルム登録簿にリストアップされました。同登録簿はアメリカ合衆国の「国立フィルム保存委員会」が半永久的な保存を推奨している映画・動画作品のリストです。

ほかにも本作のウィリアム・A・ウェルマン監督について、スティーヴン・スピルバーグがもっとも好きな監督としてその名前をあげ、またサミュエル・フラーはいままでに観た最高の西部劇と評価しています。

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一八八五年ネバダ州のある町で、牧場主が殺され、牛が奪われたとの知らせが届きます。そのとき保安官は不在で、怒った町の男たちは副保安官を突き上げ、リンチを目的とした自警団を組織し、まもなく牛を連れ野宿していた三人の男を犯人として捕らえました。

自警団のうち七人は裁判を経ない私刑に反対したのですが多数派に押し切られ縛り首は実行されました。その直後、保安官がやって来て牧場主は生きていて、彼に危害を加えた犯人は逮捕したと知らせたのですがすでに悔恨が残るばかりでした。

縛り首に遭った一人ドナルド・マーティン(ダナ・アンドリュース)は家族への手紙を書き、それをリンチに反対した七人のひとりギル・カーター(ヘンリー・フォンダ)に預けてありました。そこには自分を処刑する者への非難はなく、人間の良心の尊さがしるされていました。

自警団を組織し、自らが信じる正義を振りかざし、しかるべき手続きも経ないまま、牛泥棒と断定した者を縛り首にする。ジャンルとしては西部劇なのですが、関東大震災を振り返るまでもなくここには人間と社会についての普遍的な問題があります。また太平洋戦争中の公開の背後には、戦時における正義の暴走とオーバーヒートという問題意識があったと推測されます。

われこそは正義の権化とまなじりを決し、こぶしを振り上げたとき、客観的に自身の姿を見るのは極めて困難になります。政治学者の京極純一先生によると「自分を見るには、鏡という人工の道具がいるが、他人は、そのままで、見られる。そして、卓抜な他人観察は、枕草子の昔から、女性の特技である」(『文明の作法』)のですから、とりわけ男性諸氏は正義を振りかざしての罵詈雑言や悲憤慷慨、勝手な思い込みに心しておかなければなりません。

水色の季節に

暇も退屈も好きだから國分功一郎『暇と退屈の倫理学』はまえから気になっていて、さきごろ新潮文庫に入ったのでさっそく手にした。評判通りおもしろく、哲学者、思想家がこんなに暇と退屈を論じていたのかと驚いた。

佐藤春夫に名著『退屈読本』がある。著者は『徒然草』としたかったが叶わぬことで、次善の書名『退屈読本』としたという。退屈とそれを楽しみ、教えてくれる読本を結んだ見事な命名だが、國分氏は暇と退屈に意外にも倫理学をリンクした。これも一芸というべきだろう。

「退屈と向き合うことを余儀なくされた人類は文化や文明と呼ばれるものを発達させてきた。そうして、たとえば芸術が生まれた。あるいは衣食住を工夫し、生を飾るようになった。人間は知恵を絞りながら、人々の心を豊かにする営みを考案してきた」という著者の文明論は納得するが、何事もよいことだけではなく、反対に人々の心を寒からしめる営みも追求してきた。ヨーロッパの事態を横目に、そろそろ日本海方面へミサイルを飛ばしてみるか、といったご近所の国の首領様、クレムリンでは退屈した現代のヒトラーが、ここらで生物化学兵器を使ってみるか、それとも核兵器もありかなどとよからぬことを考えている。おそらく独裁者は、そんなものないほうが人間の生存に得策なのに退屈のあまりそんなものを使ってみたくなるのだろう。

話を暇と退屈の本流に戻そう。

坪内祐三『文庫本玉手箱』に川﨑長太郎『もぐら随筆』にある、人生晩年の生活のランク付けが紹介されていた。それによると最良の晩年は「死ぬまで仕事をし、しかもその仕事が年々向上していく」、二番目は「仕事に打ち込んでいるが、是非なく老齢に勝てず、段々成績が下降線をたどる」、三番目は「私有財産、年金、恩給、または家族の扶助により、食う心配もないかわり、仕事らしい仕事もせず、無為に照る日を送る老人」、最後が「収入なくゼニ取り仕事も出来ない体をかかえた老残者」である。わたしはかろうじて三番目に属しているが、死ぬまで仕事するよりもこちらを第一としたい。ニーチェがいったように、絶えず働くのは賤しく、俗悪の趣味であり、文化的情操のない証左である。

いっぽう世間には仕事と生産性を第一とする方がいて、過日亡くなった石原慎太郎東京都知事は「(生殖を終わった後の)バアサンが生きているのはムダで罪」とおっしゃったことがあり、仕事と生産性を考えているとそこまで行き着くものなのだろうか。それよりも「仕事らしい仕事もせず、無為に照る日を送る」のを寿ぎたい。

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五月七日の東京新聞、中川越「文人たちの日々好日」に、萩原朔太郎が明治四十四年、二十四歳のとき八歳下の妹にあてた手紙が紹介されていて、一読爽やかな気持になった。

「五月は新緑の月で、目には青葉山ほととぎす初ガツオという芭蕉の俳句にあるとおり眼にうつる色という色はすべて青です、(中略)水色のリボン、水色の着物、水色のパラソル、これから都の女の服装は水色に変ってしまいます」

朔太郎は一九四二年五十五歳で歿したから一九五0年に二葉あき子の歌でヒットした「水色のワルツ」は知る由もないが、生きていたらきっと好きになっただろうと想像して、二葉あき子、ちあきなおみ鮫島有美子小野リサの歌う「水色のワルツ」を聴いた。

手紙は「日比谷公園の若葉の木立の中をクリーム色と水色のパラソルが並んで行く時私共はどんなにか快い色調の調和美に打たれることでしょう」と続き、紹介した中川越氏は「人は色彩とファッション、そして言葉に敏感になるだけで、かなり愉快な心持ちでいられることを、朔太郎は教えてくれます」と結んでいる。

ちなみに、永井荷風は、女がモンペをはくなどロクな時代ではないと、朔太郎の逆側、すなわち水色の服装の許されない時代を衝いた。フェミニズムの立場からするとどういう評価になるのだろう。

(「水色のワルツ」については本ブログの以下の記事を参照してみてください。)

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20110820/1313809711

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二0一八年公開の韓流映画「ザ・ネゴシエーション」(Netflixで)を観て、こんな面白い作品を劇場公開のときに見逃していたなんて目配りが足りないと反省。主演は「愛の不時着」のソン・イェジン、同作でコンビを組み、いまはご夫婦のヒョンビンも出演している。監督イ・ジョンソク。

人質と立て籠った犯人の二人が現場に踏み込んだ警察部隊により殺される。ソウル市警危機交渉班の警部補ハ・チェユン(ソン・イェジン)が犯人と交渉中だったにもかかわらず、彼女の交渉を無視した警察上部の判断だった。警部補が辞表を出そうとしたところでもうひとつ人質事件が起こる。こんどは新聞記者。続いてこの件に密かに対応しようとした ハ・チェユン警部補の上司が何者かに捕われてしまう。

これらの出来事は警察上層部や国家情報院を巻き込み、それぞれの事件の関係が明るみになってゆく。物語は螺旋状に進行し、だんだんと骨格の大きさが見えてくる警察ドラマで、ゲージュツ関係おまへんのわたしとしてはまことに見ごたえのある映画だった。結末もスッキリして心地よい。

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宮崎学『突破者』は痛快そして一九七0年前後の学生運動や部落解放運動についての興味深い証言満載の作品だった。ただし以後の作品は理屈っぽくなった印象があり手にする機会がないままになっている。その宮崎氏がさる三月三十日七十六歳で歿した。記事には群馬県の高齢者施設で老衰のため死去とあり、これにはびっくりした。

昔ならともかくいまは七十代で老衰はありえないという観念を無意識のうちに持っていた七十代のわたしにはショックで、老衰による死を願う人は多いが七十代となると二の足を踏むだろう。

四月十六日には俳優の柳生博さんが八十五歳で老衰により亡くなった。老衰についてネットには、現代の医療では、どんな病気だとしても、老衰をめざした治療やケアをしている、最も苦痛のない死に方とあった。年齢はともかく宮崎、柳生両氏とも苦痛なく逝かれたであろう。ご冥福をお祈りします。

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五月十五日。大相撲中日。ことし二度目の国技館は午後一時に入館し三段目取組みの合間に行われた新序出世披露を見ることができた。角界初の東大生力士須山(立っている力士、木瀬部屋)は最初に紹介を受けていた。これで次の名古屋場所から番付にしこ名が載る。

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今場所は入場者数制限が緩和され一月に来たときのおよそ二倍となり、客席でのビールもおひとりさま一本はよろしいとなった。うれしいねえ。

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加藤周一によると、森鴎外坪内逍遥以来の西洋文芸の翻訳の歴史は渡辺一夫訳『ガルガンチュアとパンダグリュエルの物語』(岩波文庫)の記念碑的事業に到って頂点に達した。ほかにも同書を讃える識者は多く、つられてわたしも手にしてみたがとちゅうから飛ばし読みになり、けっきょく挫折した。

いっぽう『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(ちくま文庫)として新訳を提供した宮下志朗氏は「歴史的な名訳として、今後も語り継がれるであろう渡辺一夫訳の日本語が、学生諸君には容易に歯が立たないものになっていることは、教室などでひしひしと感じてはいた。どんな名訳でも、このような運命を逃れることはできないらしい」(第五巻あとがき)と述べていて「記念碑的事業」も困難な局面にある。

そこで渡辺訳は断念して宮下新訳に代えたみたところ、親しみやすさはあったが作品世界になじめずこちらも飛ばし読みで終わった。

モンテーニュ『随想録』と『ガルガンチュア』 は十六世紀フランス散文芸術の双璧とされていて、前者は生涯にわたる愛読書となったけれど後者は挫折に終わった。 心が硬く、視野の狭いわたしはSF、ファンタジー系に弱く、荒唐無稽にして途方もない『ガルガンチュア』は不向きだった。ただし性をめぐる歓談では何度かニヤリとした。いずれもリアリズムに即していて、以下はその一例。

「支払うべきものを、そして相手を十分に満足させるべきものを、いつでも、たっぷりと持ち合わせているわけではない、われわれ男性におきましては、自分にはコキュ(寝取られ男)になる危険が絶えずあるのだということに、驚き呆れてはいけないのであります」。

これに関連して、シェークスピア『オセロ』のラストでオセロはみずからを「賢く愛せなかったが、深く愛した男」と語った。(河合祥一郎『新訳オセロ』角川文庫)。

賢く愛せなかったのは、妻のデズデモーナの不倫を疑った果てに殺してしまったことにあるが、訳者によると当時の「寝盗られ幻想」が作用していて「どうしてエリザベス朝の夫たちは、妻に不貞を働かれるのではないかと、そこまでおびえなければならなかったのかと驚くほど、この『寝盗られ幻想』はさまざまな言説に蔓延していた」のだった。過度の男性性が求められ、そこから結婚とは妻を完全に従属させることという発想が生まれ、まもなく不安と幻想が忍び寄る。

シェークスピア(1564〜1616)の作品に表れる「寝取られ幻想」。フランソワ・ラブレー(1483?~1553)『ガルガンチュワとパンタグリュエル』にあるコキュ(寝取られ男)になる危険。じっさいモンテーニュ(1533〜1592)は実弟に妻を寝取られていた。やっかいなものです。

(わが日本におけるコキュ、難しくいえば不義密通の問題については、本ブログにある以下の記事を参照してみてください。)

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/2020/08/20/000017

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江崎誠致(1922〜2001)という作家についてわたしは文壇囲碁愛好者のなかで中野孝次(1925〜2004)と並ぶ実力者というイメージしかもっていなかったが、宮田昇『図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情』(みすず書房)を読んでずいぶんときびしい戦争体験と共産党体験があったと知った。

「神風特攻の一番機には兵学校出身の関大尉がえらばれているが、その後の特攻機の乗員は、すべて学徒兵や少年航空兵たちである。国家への責任や義務を説く本職の軍人は死なず、責任や義務を説かれる召集兵が犠牲になった」。わたしが江崎の作品を読む可能性はほぼないがこの記述は記憶に留めておきたい。

江崎はルソン島での敗走中、銃弾が右足を貫通した。だが仲間の誰ひとりとして足を止めることなく彼を見捨てた。そして必死にあとを追って生き残った。自伝小説によると戦後、会社も私財もすべて日本共産党の地下財政活動に投げ出し、医者に払う金もなく息子を亡くした彼に党は責任を取ろうとしなかった。

これらの体験を通して江崎は「生涯、何があろうと、二度とふたたび、組織なるものに属しての活動はおこなわないことを心に決めた」のだった。これをうけて宮田昇は「おそらく文壇も、彼にとって、軍隊や党のごとく、組織であったのではないか。少なくとも碁の対決のほうにより真剣さを感じたのだろう」としるしている。

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昔、米国で短篇小説のコンクールがあり、千五百字を超えてはならない、入選作ではいちばん短いのをよしとしたそうだ。それに寄せて薄田泣菫は、ならば不幸な女は自身の持つ離縁状を送ればよい、たった三行半(みくだりはん)であれだけ意味の長い物語はどんな小説家だって書きようがない、と述べた。

山崎正和氏がイェール大学で、学生たちと英文で『伊勢物語』を読んだときの感想を、英語を通して読んでみて、この物語はいかに必要なことだけしか書いていないかという発見に驚いた、恋をして三十一文字の歌を読むのに「をとこ」と「をんな」がいれば十分ではないかという鮮やかさだと述べていた。

そういえば「男と女と車が一台あれば映画はできる」という名言があったが、どなたがおっしゃったのか思い出せず、ようやく上原謙のバスの運転手、桑野通子の乗客、そうだ「有りがたうさん」の清水宏監督だと推しはかったが、調べてみるとジャン・リュック・ゴダールで、その言葉どおり「勝手にしやがれ」を、そして「気狂いピエロ」を撮ったのだった。

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五月二十九日。東京でもようやく各地でマラソン大会が行われるようになり、きょうは北区赤羽荒川マラソン大会に出場した。

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数日まえから天気予報がこの日は真夏並みの気温で熱中症に警戒するよう繰り返していた。じじつ三十度越えの気温で熱中症が怖かったがなんとか逃れられたものの疲労の度合は大きく十五キロ余までの各五キロの平均は三十四分だったのが、最後の五キロは四十六分もかかってしまった。ハーフマラソンではこれまでなかったことで残念だった。総合順位17/25、男女別16/21。

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もちろんきょうはビールと焼酎で慰労、一日おきの晩酌なので明日は該当しないが、ご褒美として特別に連チャンとした。うれしいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今屁虎」

永井荷風は『断腸亭日乗』昭和十六年三月二十四日の記事で、ヒトラーに「猅虎」の漢字をあてた。中国語ではふつう「希特勒」(xitela)とするが、わたしは荷風の感情を込めた表記が好き。

そこでプーチンである。中国語では「普京」(pujing)だが、これではつまらない。そういえば田中角栄が首相になった当時、今太閤ともてはやされていた。豊臣秀吉が低い身分から立身出世してついには太閤となったように田中角栄も貧しいなかから首相の地位を射止めた。これにならって現代のヒトラーであるプーチンは「今猅虎」とすればよいわけだ。それとも「今屁虎」がよいかな。

ネットにはウラジミール・プーチンを「裏地見る腐沈」とした方がいて大いに共感した。中国語辞書を引くとなぐるの撲の発音がpu、茎がjingなので「撲茎」、プーチンすなわちペニスを殴るとなる。でもこんな中国語談義より「今屁虎」のほうがいいな。

 

先日ジョギングの途中で信号待ちしていたところ、何人かの小学生たちがいて、じゃあ悪役の名前はプーチンにしよう、ってなことを言っていた。わが日本の教育、いい線いってるじゃないか。その子供たちの一人になったつもりで、いじめの問題を世界情勢に見立てて作文してみた。

《三か月ほどまえから「今屁虎」くんが「憂苦」くんの態度が気に入らないと怒り、とうとうひどいいじめをはじめました。殴る蹴るどころかピストルをぶっ放したりしているのです。

あまりのひどさに「今屁虎」くんと肩を並べる一方のボス「米鈍」くんが「憂苦」くんを助けようと乗り出しました。「米鈍」くんは「憂苦」くんにナイフをあたえて、これで「今屁虎」と一発喧嘩をしてこいと言ったのです。

「今屁虎」くんは手下も多く、「憂苦」とその手勢などすぐに倒せると思っていたのですが、意外にもナイフを持った「憂苦」くんにはだいぶん手こずっているようで喧嘩はなかなか終わりません。

それにしてもどうして「米鈍」くんは「憂苦」くんにピストルを貸してやらないのでしょう、不思議でなりません。それに「米鈍」くんはいじめを繰り返す「今屁虎」くんに直接向き合い、そんなことをしてはいけないとたしなめたりもしないのです。「米鈍」くんが言うのには、直接「今屁虎」と向き合うと大喧嘩になるから影響が大きすぎるのだそうです。これではピストルを持った「今屁虎」くんにナイフの「憂苦」くんが向かって行っても勝敗の結果は明らかでしょう。》

 

ナイフとピストルについては「文藝春秋」本年五月号所載、藤原正彦「父の手拭い」に「アメリカでは最タカ派議員さえもウクライナへの戦闘機供与に反対している。誰もが核攻撃をほのめかす狂気のプーチンと事を構えたくないからだ」とあったのを踏まえている。ほんとうですか。目を疑ったな。米国はびびりながら援助してるのか。それではロシアに勝てない。それともウクライナは人間の盾か!?

米国、ドイツ、日本その他を問わずそれぞれに国益があり、ロシア、プーチンとの距離は異なる。しかし真剣に勝つ気持がなければ藤原先生のいうように戦火はアジアにも飛び「核攻撃をほのめかしさえすれば台湾や尖閣を手に入れられる、と習近平が勘違い」してしまう。そうならないよう「プーチンの侵攻を破滅的大失敗に終わらせねばならない」。

 

 

 

 

 

 

 

『S S将校のアームチェア』〜「普通のナチ」の実像

ダニエル・リー『S S将校のアームチェア』を読み、まだ一年の半分も経っていないのにもうことしの歴史・ノンフィクション系のわがベスト作品となるだろうと予感している。同書は二0二一年十一月にみすず書房から庭田よう子氏の訳で刊行されており、原書THE SS OFFICER’S ARMCHAIRは二0二0年に出されている。素晴らしい作品がしっかりした訳で、早く上梓されたことに書肆と訳者に感謝したい。

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二0一一年ヴィシー政権下のユダヤ人に関する研究で歴史学の博士課程を修了した著者のダニエル・リーは知人のヴェロニカからある書類の扱いについて相談を受けた。

アムステルダムにいるヴェロニカの母親ヤナがアームチェアの張替えを家具屋に依頼し、取りに行ったところ修理職人から鉤十字のスタンプが押された書類の束を見せられ、ナチやその家族のために仕事はしないと言い放たれた。書類は座面に隠されてしていて、ヤナには寝耳に水、まったくあずかり知らないものだった。

ヤナの家族は一九八0年代はじめチェコスロバキアからオランダへの移住を認められ、以前から自宅にあって、彼女のお気に入りだった椅子もこのときアムステルダムに運ばれてきた。隠されていた書類はローベルト・グリージンガーという名前のある、戦時中に発行された複数のパスポート、戦時債権、法学博士号を取得した二年後、一九三三年の日付のある上級公務員二次試験の合格証明書などであった。

これを端緒にダニエル・リーは一九0六年生まれのローベルト・グリージンガーという男の人生の再現とその家族の足跡を追いはじめた。

椅子の来歴を知るため椅子職人に訊ねるとプラハでつくられたとわかった。またローベルトの関係した職場を訪ね、各国の公文書館に足を運びするなかで、彼がドイツで官庁や大学で勤務し、一九四三年にプラハに転勤してからは経済労働省の官僚、また法務官、そしてSS(親衛隊)の将校でもあった人物と知れた。ただしそのポストは低く、いわば「普通のナチ」である。ところが「普通のナチ」は外見上は一般市民と変わりなく生活していて、戦後は裁判の対象にはならなかったために実態はよく知られていない。

ローベルトは亡くなっていたが探索を続けるうちに著者はその長女ユッタ・マンゴルト(旧姓グリージンガー)、次女バルバラ・シュレンゲル(旧姓グリージンガー)、ローベルトの弟の息子ヨッヘン・グリージンガーとめぐりあい、話をうかがうことができた。

ローベルト・グリージンガーはプラハの自宅にあった椅子に書類を隠し、みずからナチであったことを隠し、責任を逃れようとした。妻は知っていたが娘二人はともに父がSSの将校だっとは知らなかった。おのずと著者の調査は戦後のグリージンガー家の軌跡にも及んだ。

ローベルトとその家族の実像がだんだんと明らかになってゆき、立体的に浮び上がる。ここでわたしが思い浮かべたのは森鴎外渋江抽斎』だった。本書は謎の解明に向けた著者の行動の記録をともなったナチスの時代の歴史研究、ノンフィクションである。そして謎の解明という点では生半可なミステリーをはるかに凌いでいる。その意味でネタバレは慎まなければならない。ここでは歴史学の成果として「普通のナチ」について語っておこう。

上に述べたようにローベルト・グリージンガーは一九四三年にプラハに転勤し、敗戦時もプラハにいた。プラハユダヤ人虐殺といえば「金髪の野獣」ラインハルト・ハイドリヒがよく知られているが、ならば下級官僚としての「普通のナチ」はどのような仕事、役割をしていたのか。

一九三0年代半ばのシュトゥトガルトでは社会主義者共産主義者ユダヤ系ドイツ人たちが強制収容所に入れられた。彼らを収監に追い込んだ官僚の名前は知られていなかったがようやくローベルト・グリージンガーだったことが本書で明らかになった。

彼はまた、プラハでドイツへ強制的に行かせる何万人ものチェコ人労働者の決定に関与した。その地位が低かったために収容所や強制労働から戻らなかった人々の親戚や遺児はその悲しみの元凶を知ることはなかったがこれについても本書で明るみになった。

ダニエル・リーはいう「グリージンガーが与えた苦痛は、アドルフ・アイヒマンのような著名な机上の殺人者には及ばないとしても、彼をはじめとする何千人もの下級官僚は、ナチの恐怖に積極的に加担していた。ユダヤ人がどうなるのかその運命は知らなかったという戦後の主張は、証拠を突きつければ無効になる。グリージンガーはオフィスを離れずに殺人に関与した多くの机上の殺人者がのちに主張したような、けして大きな機械の『小さな歯車』などではなかった」と。

 

以下は「金髪の野獣」ラインハルト・ハイドリヒに触れた本ブログの拙文です。よろしければ参考にしてみてください。

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20180130/1517275769

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20170905/1504570632

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20131210/1386632518

 

「流浪の月」

小児性愛者にして誘拐犯とされた十九歳の大学生、そして事件の被害者とされた小学五年生の女児。「〜とされた」というのはあくまで世間の視線、また法律の世界における扱いであって、この事件の当事者には人知れない事情がありました。

帰宅したくない家内更紗(さらさ、広瀬すず)と、彼女を自分の部屋に招き、留め置いた佐伯文(ふみ、松坂桃李)。いっしょの暮らしが二か月経ったところで文は逮捕され、更紗は保護されました。

それから十五年。外食チエーン店でアルバイトをしている更紗は会社員の中瀬亮(横浜流星)と結婚を前提に同棲しています。いっぽう、文はひとりで小さな喫茶店を経営していて、谷あゆみ(多部未華子)という恋仲の女性がいます。ある晩、職場の飲み会のあと、更紗と同僚の安西佳菜子(趣里)がたまたま入ったお店が文の小さな喫茶店でした。

亮は更紗の事件を知っていて、彼女の変化に気づいた彼はまもなくその原因を探り出しました。ネット上では過去の出来事と二人の現在が話題となり、マスコミも醜聞として報じたために、文の過去はあゆみの知るところとなります。こうして「誘拐事件の犯人と被害者」の再会は更紗と亮、文とあゆみの関係に激震をもたらしました。

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スクリーンでは現在と十五年前とが往き来し、ときに交叉します。ただし逮捕され、保護されてから偶然の出会いまで何があったのかはあまり語られません。おそらく李相日監督はそのことで観る人の想像力を刺激したかったのではないでしょうか。

素晴らしい語り口とそれにふさわしい美しい映像。主役、準主役の役者陣からは新たな領域に向かう意欲と熱意を感じました。また十歳の更紗を演じた白鳥玉季の演技は特筆しておかなければならないでしょう。二時間三十分の長尺ながらわたしは一瞬の心のゆるみも覚えませんでした。

十五年が経過し生活も環境もずいぶん変わったけれど更紗と文の内面はさほど変わったようには見えません。ネットもマスコミも人びとの興味関心を煽り、喫茶店の入り口には「ロリコン」の殴り書きがある、そんな激しい事件なのに、更紗と文の心に通奏低音として流れているのは激しさとは無縁の静かで穏やかで、できればともに生き合いたいという思いです。「できれば」というのには文の人生を台無しにしてしまったという更紗の罪の意識と、更紗がしあわせになるには自分と居てはならないという文の願いとが深く関わっています。

事件はいまに呼び起こされ、現在の二人の姿がSNSに、週刊誌にスキャンダル満載であぶり出されます。更紗と文に社会の視線をはね返す力はなく、隠れもできません。

観ているうちにわたしは文に、丸谷才一『笹まくら』で描かれた戦時中の徴兵忌避者という補助線を引いてみました。彼は終戦というゴールに向かって逃亡を図りました。ゴールの先には戦後社会という逃げ場が待っていたのです。ただしこの小説で忌避者というレッテルは戦後もついてまわりますから完全なるゴールではなかったのは言っておかなければなりません。

対して「ロリコンの誘拐犯」というレッテルを貼られた男にはゴールも来るべき社会という逃げ場もありません。逃げることさえままならない。逃げるというのは冒険という要素を含んでいます。逃げるためにはときに追手と対峙して戦わないといけないからです。しかし文には冒険や戦いという契機や動因はありません。

そうしたなか更紗が文にそっとつぶやきます、どこかへ流れてゆけばいい、と。逃亡とは異質な、現代社会で流れてゆくという心模様を思ったところで、微風に揺れる文の部屋のカーテンや月影、立ちつくすふたりのシルエットなどの映像にもこの成分がなにほどかあった気がしました。

(五月十七日 TOHOシネマズ上野)

日本の牡丹はロシアでは咲かない

昨年英語の辞書を紙から電子に変えたところ、なかに語学学習用のテキストとして「OXFORD BOOKWORMS」という読物群が収められていた。難易度で六段階に分けられており、いまようやくレベル3まで来た。 

内容はアンネ・フランクガンジージョン・F・ケネディネルソン・マンデラスティーブン・ホーキングといった人たちの伝記、ヘンリー八世とその妻たち、四十七士などの歴史読物、もちろん有名な文学作品もリライトして収録されている。これまで読んだ文学作品は「オペラ座の怪人」「オズの魔法使い」「ドラキュラ」「ロビンソン・クルーソー」「オー・ヘンリー短篇集」「野性の呼び声」「クリスマス キャロル」、このあと「オセロ」「ベニスの商人」「秘密の花園」「ボートの三人男」「宝島」などが並んでいてちょっとした縮約版世界文学全集だ。そして最後はウィルキー・コリンズ「白衣の女」が控えている。これまでに二度夢中で読んだ大長篇小説で、なんとかここまで順調に進めるよう願っている。

既読の文学作品の多くは邦訳や映画などで知識はあったがジャック・ロンドン「野性の呼び声」は名前のみ知る作品で、語学学習だけでは物足らず、深町眞理子訳『野性の呼び声』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。ほんとは原書に当たりたいがまだまだ力不足、ファイトだ!

物語は、裁判官の家でだいじに飼われていた大型犬バックが、その家の使用人の金欲しさから売り飛ばされ、ゴールドラッシュに沸くカナダ・アラスカ国境地帯で橇犬となる。大雪原を駆け抜け、力が支配する世界で闘ううち、その血に眠っていた野生の荒々しさがめざめはじめる、といったもので、わたしは犬を主人公とした冒険小説として読んだ。

巻末の信岡朝子氏の解説によると「『野性の呼び声』という作品は、批評家たちの間では動物の物語である以上に、人間に関する寓話であり、「文明批判」の物語であるという解釈が一般的である」「たとえばこの物語は、過酷な環境に耐えて主人公が自立を目指すというプロットから、しばしばロンドンの境涯とあわせて解釈される」「あるいは、類まれな「スーパー・ドッグ」として成長するバックの姿に、ロンドンの、ニーチェの「超人思想」への傾倒を読み取る解釈がある一方、一九0四年に書かれた小説『海の狼』は、ロンドンがその超人思想を疑うために書いたといわれている」とあり一筋縄ではいかない作品のようだ。若いときはこうした議論は気になっていただろう。しかし、いまのわたしには専門家のブンガク談義はどうでもよろしい。『野性の呼び声』はあくまでも優れた冒険小説である。

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和歌。散歩のとちゅう、本郷通りに面した向丘の浄心寺でお花見をした、と日記に書いたのが三月二十八日。きょう四月八日、同寺の前を通るとはや葉桜の準備状態にあった。

「さく花のちれる木末に夕風のそよぐも春の名残ならまし」大田南畝

「花径暗水 ちる花の音きくほどのうき枕夢路もかほる春のうたたね」藤原惺窩。

俳句。見当違いの付け合わせの最たるものとして「木に縁りて魚を求む」(孟子)がある。類義として「天に橋をかける」「山に蛤を求む」「水を煎りて氷を作る」「水中に火を求む」などがある。でもこんなところから俳句の妙も生まれる気もする。

「くづ砂糖水草清し江戸だより」

隅田川はるばる来ぬれ瓜の皮」

キャッチコピー。「自然に帰れ」はルソーの思想の核心にある言葉とされるが彼の著作のどこにも見出されないそうだ。おなじく「天災は忘れた頃にやって来る」も寺田寅彦の著作にはない。おそらくキャッチコピーに長けた人がいて、それぞれの本質を示す言葉として提示したのだろう。昔からコピーライター向きの人はいたのだ。

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四月九日。10kmヴァーチャルマラソンを走った。

フィニッシュタイム56:31。総合ランキング320/799。男女別ランキング294/685。

嘆きや不満はあってもこれで一喜一憂しているあいだはしあわせとしておかなければいけないな。

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毎月十二日はパンの日だと知った。なかでもきょう四月十二日はパンの記念日とされている。一九八三年パン食普及協議会によって定められたこの記念日は、一八四二年四月十二日に伊豆国韮山代官にして、洋学の導入に貢献し海防の整備に実績を挙げた江川太郎左衛門が日本で初めてパンを焼いたことに由来している。軍用携帯食糧で「兵糧パン」と呼んだパンである。

いくつかの歳時記にあたってみたがパンの日は立項されていない。ただ『季語集』(岩波新書)の著者、坪内稔典氏が個人的に、あんパンを春の季語としている。ことし二月から『新版 角川俳句大歳時記』が刊行されている。未見だが、はたしてパンの日、あんパンは歳時記入りしているだろうか。

「あんパンに空洞窓に楠(くす)の花」坪内稔典

もっともパンは季節のものではないから季語にはなりにくい。槌田満文編『明治東京歳時記』には四季につながりのない物売りとして、新聞の号外売り、納豆売り、パン売りなどが例示されている。

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ことしの東大の入学式はパンの日に当たっていて、映画監督の河瀬直美さんが祝辞で、ロシアによるウクライナ軍事侵攻に言及し、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかりあっているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか」と述べた。

ロシアとウクライナの戦争に双方の信ずる正義の対立という要素があるのは否定しないけれど、どうやらこの方からすると多くの国民は「一方的な側からの意見に左右されて本質を見誤っていないか」ということになるらしい。問題は互いが主張する正義の対立を武力で解決しようとするロシアの行動だと思うんだけど。

要はロシアはすべて邪悪、ウクライナは善などと多くの人々は思っていない、わたしも含め。問題は議論すべきissueを軍事で片付けてしまおうとする思考と行動なのである。ロシアがウクライナとの関係から生ずる諸問題を検討したいなら話合いをすればよい。しかしこの国は侵略戦争に踏み切ったのだ。

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ついこのあいだまで知らなかったウクライナの国旗🇺🇦だが、ふと見るとおなじ色合いのものがわが家にもありました。

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犠牲者の数とか、ロシアが攻勢を強めているといった報道は重要ではあるが、ときに気の毒で見ていられなくなる。先日はニュースを打ち切り、犠牲者が少なくなるよう願いYouTubeウクライナ国歌と映画「ひまわり」の主題歌を聴いた。

憂慮する国が追い詰められているのを見るのはつらい。米国もNATOウクライナに戦争を請け負わせているだけじゃないか、無責任ではないかと怒りをこちらに向けるときもある。

ウクライナに軍事支援するにしても、いっぽうでこの戦争の着地点を探ることはそれ以上に重要だが、支援する国々はどのような意向なのだろう。

ロシアがめざす着地点はわかっているが、ウクライナを支援する国々、とりわけ米国とEUがめざしている着地の構想がよくわからない。ウクライナがロシアを追い返せるとでも考えているのだろうか。いやなことだけれどそれが難しいとなれば支援している国々はどうするのだろう。

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四月十四日、ロシア国防省黒海艦隊の旗艦である巡洋艦モスクワが重大な損傷を被ったと発表した。原因についてはロシアとウクライナで主張は異なるが、いずれにせよウクライナの被害が少しでも和らげられるよう願っている。そんなことを思いながら百均のお店をのぞくと赤飯があり、なぜか急に食べたくなった。家でレンチンして味わったところ百円の数十倍はする美味しさだった。

中里恒子「牡丹の客」によると、牡丹の花は老木になるほど花にこくが出て、言い知れぬ気力を漂わすが、風土が気に入らなければすぐ枯れるそうだ。どうやら好き嫌い、相性は人間だけじゃなく花木にもあって、中国の牡丹はともかく、日本の牡丹をいまのロシアに移し植えてもすぐに枯れてしまうだろう。

ほんとうはこんな偏狭な心は戒められるべきだ。日本、ロシア、中国どこであれ人の心を慰め、癒してくれるのが自然のやさしさである。そうとはわかっていても心の傾きを修正するのは難しい。

「花ながら植ゑかへらるる牡丹かな」越人

牡丹の原産地は中国で、日本には平安時代初期に薬用植物として渡来した。一般に鑑賞されるようになったのは江戸時代からだから花の王と称せられるわりに鑑賞されるようになったのは新しい。

「はなやかにしづかなるものは牡丹かな」暁台

「美服して牡丹に媚びる心あり」子規

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週刊誌にあった某社のジンが気になり、さっそく買ってきて晩酌の食卓に置いた。何年かぶりのジンで、そのときはライムで割って飲んだのを思い出したがライムは買いおきがなくて今回はロックで飲んだ。久しぶりのジンはきつかったが水で割るのは好きじゃない。

晩酌は焼酎かウィスキーを飲むが、どちらもロックがほどよい。焼酎はその日の料理と気分で芋、麦、黒糖のいずれかを選ぶ。ウイスキーはスコッチもバーボンも好きだがハイボールは多量に飲まないようにしている。ビールも同様で、若いときビールの二日酔いで酷い目にあったことがあり、体内に水分が増えるのを警戒しなくてはならない。

モンテーニュが『エセー』に引用しているセネカの書簡文に「アッタロス(セネカの師でストア学派)はなくした友の思い出は、古くなったワインの苦味のように心地よい、《ファレルの古酒をついでいる少年よ、いちばん苦いやつを注いでくれ》。あまずっぱいリンゴみたいにこころよい」とある。

コロナ禍で口福の楽しみの比重が高まり、お酒が好きというより恋しくなった。老いらくの恋である。晩酌は定量だから量が増えたわけではないが精神的にはアルコール依存症に陥った。けれどアッタロスのいう古くなったワインの苦味の心地よさは未経験だし、ファレルの古酒は見たことも聞いたこともない。まだまだ開拓の余地は大きい。

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Amazon Prime Videoにある「Cold Case」のシーズン1を見た。フィラデルフィアを舞台に、未解決の殺人事件(通称「コールドケース」)を女性刑事リリー・ラッシュを中心とする殺人課のメンバー、未解決事件専従捜査班が解決していく物語で、エピソードは二十三もあるが四十五分の一話完結なので空き時間に気楽に見られる。

米国での放送は二00三年から二0一0年にかけて、七シーズンにわたるエピソードの総計は百五十六にのぼる。いくら閑のある隠居といってもすべておつきあいすると大変だぞ。さてどうするか。

それはともかくこのTVドラマに刺激されて韓流ドラマ「シグナル」を視聴し、 ロイ・ヴィカーズ『迷宮課事件簿』を読みはじめた。ちなみに「Cold Case」には「 迷宮事件簿」と副題が付いている。

ここへきてわがエンターテイメントの世界は未解決事件の再捜査作品が大流行、「シグナル」には日本版リメイク『シグナル 長期未解決事件捜査班』と映画編もあり、しばらくは迷宮課に浸ることになりそうだ。

日本では二0一0年に改正刑事訴訟法が施行され、強盗殺人、殺人などは二十五年だった時効を廃止した。韓国でも最高刑が死刑に当たる罪の公訴時効期間が二00五年に十五年から二十五年に延長され、二0一0年には公訴時効そのものが廃止された。時効の廃止があり日韓の「シグナル」は成り立つわけだ。

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JSPORTSでヴァーシティーマッチと呼ばれるオクスフォード対ケンブリッジラグビー対抗戦の放送があった。さいしょは女子、次に男子。体育会に女子ラグビーチームがあればの話だが、早慶戦早明戦でも取り入れたら女子ラグビーの普及が進むだろう。わたしが学生のころは選手の交代が認められていなかったから、本戦に先立ち二軍戦をしていた。

在職中はよくラグビー場に足を運んだが年金生活となってからはお誘いがあればおつきあいする程度で、ほとんどはテレビで観戦している。ただ、世界の強豪やジャパンのテストマッチがJSPORTSからWOWOWへ移ったのが残念。ま、そこはよくしたもので後輩の友人がときどき録画したDVDを貸してくれるのが有難い。

わたしは欲の強いほうではない。なんとか生活できる資金があれば、あとは時間を大切にしたい。金がなければないで、それに合わせてつましく生きる。まなじりを決して金儲けに走ったりするのはいやだ。家族はなんでもパクパク食べることと体重がほぼ一定で服が長く着られること(だけ)が取り柄だという。長距離走が洋服代の節約に一役買っている。

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津野海太郎『百歳までの読書術』(本の雑誌社)を読んだ。著者は一九三八年生まれだから一九五0年生まれのわたしとはちょうどひとまわり違う。

年齢はともかく、元大学教授で著名な文筆家だから、本と家計をめぐる様相はだいぶん異なるだろうと考えながら読んでいると、そうでもなく、年金生活者として共通する要素は多い。

「いかに収入が減っても読みたい本は読みたいし、けっきょくは読むのである。そのために収入激減老人がこらす工夫のあれこれ」となるとまずは図書館を使いこなさなければならない。図書館の本を読むようになって津野氏はメモをとりながら読むようになったという。わたしはメモを兼ねたこのブログである。

近年の津野氏は森銑三柴田宵曲の共著『書物』の現代版を書き継いでいる印象がある。『書物』に「書物の愛好家も、活字本から木版本、写本へ……」とあるが、いまはよくもわるくも活字本とデジタル本で、おのずと『書物』の現代版が求められる。

おなじく津野氏の『読書と日本人』(岩波新書)に一九七0年代後半から同世紀末あたりまでの日本の読書界の俯瞰図が示され、三つに分類されている。

「昭和軽薄体」系 (嵐山光三郎椎名誠赤瀬川原平林真理子糸井重里

〈かたい本〉を代表する「ニューアカ・ブーム」系( 山口昌男浅田彰栗本慎一郎中沢新一上野千鶴子四方田犬彦

〈やわらかい本〉よりの「博識」系( 丸谷才一開高健井上ひさし大江健三郎司馬遼太郎

こうして眺めてみるとわたしがいちばん親しんだのは〈やわらかい本〉よりの「博識」系のなかの丸谷才一だった。どうしてこの人だったかは、わたしにおける人間の研究で、とりあえずは多読、博識の人が好きで、そのためか「ニューアカ・ブーム」系の山口昌男は気になっていて、いずれ読みたいと思っている。何という遅々たるあゆみ。