「ハイドリヒを撃て!」

プラハナチス高官ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件があったのは一九四二年五月二十七日のことだった。ハイドリヒは親衛隊大将またベーメン・メーレン保護領チェコ)総督代理そして「ユダヤ人問題の最終的解決」の実質的な推進者で、その冷酷さから「金髪の野獣」と呼ばれていた。繰り返される逮捕と処刑により「プラハの死刑執行人」「第三帝国でもっとも危険な男」「虐殺者」「鉄の心臓を持つ男」「地獄の業火が創造した最悪のもの」「女の子宮から生まれたもっとも残虐な男」といった異名もあった。
一九四一年冬、チェコの政情に危機感を抱いていたイギリス政府とチェコスロバキア亡命政府はハイドリヒの暗殺計画を企て、ヨゼフ・ガブチーク、ヤン・クビシュら七人の暗殺部隊をパラシュートによりチェコ領内に送り込んだ。かれらはプラハの反ナチス組織の協力を得て暗殺計画、コードネーム「エンスラポイド(類人猿)作戦」の遂行にあたった。なかでハイドリヒへの直接攻撃を受け持ったのがガブチークとクビシュで、ともにチエコスロバキア亡命軍の軍曹だった。
「ハイドリヒを撃て! 『ナチの野獣』暗殺作戦」はこの「エンスラポイド作戦」を克明に描いたチェコ、イギリス、フランスの合作映画である。

これまで数多くのナチス関連映画が製作されてきたがハイドリヒの暗殺を扱った作品は意外とすくなく、わたしが知る限りでは事件の翌年一九四三年に製作された「死刑執行人もまた死す」と一九七五年にハリウッドで製作された「暁の七人」(未見)にとどまる。暗殺のあとナチスの報復虐殺は推定五千人にのぼった。事件の映画化は多くの人々に肉親の死を呼び起こすことを意味したから、あるいは遺族を慰める国民感情が作用していたのかもしれない。
フリッツ・ラング監督の名作「死刑執行人もまた死す」はハイドリヒ暗殺後のプラハにおける抵抗運動と密告者の探索を描いたサスペンスで、こちらが事件に「インスパイア」された作品だったのにたいし「ハイドリヒを撃て!」は一九四二年五月二十七日の暗殺実行(ハイドリヒが死んだのは六月四日)を核とし、その直前と直後の「史実の再現」に努めている。
ショーン・エリス監督(脚本も同氏)は二00一年にエンスラポイド作戦のドキュメンタリーで事件を知り、以後、事実を調べあげ、この映画の準備に十五年の年月を費やした。その出来栄えはたいしたもので、ヨゼフ・ガブチーク(キリアン・マーフィ)とヤン・クビシュ(ジェイミー・ドーナン)による暗殺の実行、そのあとのナチスによる捜査と常軌を逸した報復の緊迫の度合いは限界点に達しているといってよく、そこにレジスタンスの人たちの、また国際政治におけるチェコスロバキアの哀切が漂う。
プラハ大好きなわたしはカレル橋をはじめとするこの街のたたずまいにも目をみはった。
なおガブチークとクビシュの人物像についてローラン・ビネの小説『HHhH プラハ1942年』(高橋啓訳、東京創元社)には「ガブチークは小柄でエネルギッシュな熱血漢、クビシュのほうは大柄で温厚、思慮深い。僕が入手した情報をすべて総合しても、ほぼこういう線でまとめることができる。具体的には、ガブチークは自動小銃、クビシュは爆発物という役割分担につながっていく」とある。
(八月二十二日新宿武蔵野館

*ローラン・ビネ『HHhH プラハ1942年』については本ブログ二0一三年十二月十日に書評を載せていますのでご一読いただければさいわいです。下のカレル橋の絵は先年プラハでもとめたもの(レプリカ)です。