水色の季節に

暇も退屈も好きだから國分功一郎『暇と退屈の倫理学』はまえから気になっていて、さきごろ新潮文庫に入ったのでさっそく手にした。評判通りおもしろく、哲学者、思想家がこんなに暇と退屈を論じていたのかと驚いた。

佐藤春夫に名著『退屈読本』がある。著者は『徒然草』としたかったが叶わぬことで、次善の書名『退屈読本』としたという。退屈とそれを楽しみ、教えてくれる読本を結んだ見事な命名だが、國分氏は暇と退屈に意外にも倫理学をリンクした。これも一芸というべきだろう。

「退屈と向き合うことを余儀なくされた人類は文化や文明と呼ばれるものを発達させてきた。そうして、たとえば芸術が生まれた。あるいは衣食住を工夫し、生を飾るようになった。人間は知恵を絞りながら、人々の心を豊かにする営みを考案してきた」という著者の文明論は納得するが、何事もよいことだけではなく、反対に人々の心を寒からしめる営みも追求してきた。ヨーロッパの事態を横目に、そろそろ日本海方面へミサイルを飛ばしてみるか、といったご近所の国の首領様、クレムリンでは退屈した現代のヒトラーが、ここらで生物化学兵器を使ってみるか、それとも核兵器もありかなどとよからぬことを考えている。おそらく独裁者は、そんなものないほうが人間の生存に得策なのに退屈のあまりそんなものを使ってみたくなるのだろう。

話を暇と退屈の本流に戻そう。

坪内祐三『文庫本玉手箱』に川﨑長太郎『もぐら随筆』にある、人生晩年の生活のランク付けが紹介されていた。それによると最良の晩年は「死ぬまで仕事をし、しかもその仕事が年々向上していく」、二番目は「仕事に打ち込んでいるが、是非なく老齢に勝てず、段々成績が下降線をたどる」、三番目は「私有財産、年金、恩給、または家族の扶助により、食う心配もないかわり、仕事らしい仕事もせず、無為に照る日を送る老人」、最後が「収入なくゼニ取り仕事も出来ない体をかかえた老残者」である。わたしはかろうじて三番目に属しているが、死ぬまで仕事するよりもこちらを第一としたい。ニーチェがいったように、絶えず働くのは賤しく、俗悪の趣味であり、文化的情操のない証左である。

いっぽう世間には仕事と生産性を第一とする方がいて、過日亡くなった石原慎太郎東京都知事は「(生殖を終わった後の)バアサンが生きているのはムダで罪」とおっしゃったことがあり、仕事と生産性を考えているとそこまで行き着くものなのだろうか。それよりも「仕事らしい仕事もせず、無為に照る日を送る」のを寿ぎたい。

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五月七日の東京新聞、中川越「文人たちの日々好日」に、萩原朔太郎が明治四十四年、二十四歳のとき八歳下の妹にあてた手紙が紹介されていて、一読爽やかな気持になった。

「五月は新緑の月で、目には青葉山ほととぎす初ガツオという芭蕉の俳句にあるとおり眼にうつる色という色はすべて青です、(中略)水色のリボン、水色の着物、水色のパラソル、これから都の女の服装は水色に変ってしまいます」

朔太郎は一九四二年五十五歳で歿したから一九五0年に二葉あき子の歌でヒットした「水色のワルツ」は知る由もないが、生きていたらきっと好きになっただろうと想像して、二葉あき子、ちあきなおみ鮫島有美子小野リサの歌う「水色のワルツ」を聴いた。

手紙は「日比谷公園の若葉の木立の中をクリーム色と水色のパラソルが並んで行く時私共はどんなにか快い色調の調和美に打たれることでしょう」と続き、紹介した中川越氏は「人は色彩とファッション、そして言葉に敏感になるだけで、かなり愉快な心持ちでいられることを、朔太郎は教えてくれます」と結んでいる。

ちなみに、永井荷風は、女がモンペをはくなどロクな時代ではないと、朔太郎の逆側、すなわち水色の服装の許されない時代を衝いた。フェミニズムの立場からするとどういう評価になるのだろう。

(「水色のワルツ」については本ブログの以下の記事を参照してみてください。)

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/20110820/1313809711

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二0一八年公開の韓流映画「ザ・ネゴシエーション」(Netflixで)を観て、こんな面白い作品を劇場公開のときに見逃していたなんて目配りが足りないと反省。主演は「愛の不時着」のソン・イェジン、同作でコンビを組み、いまはご夫婦のヒョンビンも出演している。監督イ・ジョンソク。

人質と立て籠った犯人の二人が現場に踏み込んだ警察部隊により殺される。ソウル市警危機交渉班の警部補ハ・チェユン(ソン・イェジン)が犯人と交渉中だったにもかかわらず、彼女の交渉を無視した警察上部の判断だった。警部補が辞表を出そうとしたところでもうひとつ人質事件が起こる。こんどは新聞記者。続いてこの件に密かに対応しようとした ハ・チェユン警部補の上司が何者かに捕われてしまう。

これらの出来事は警察上層部や国家情報院を巻き込み、それぞれの事件の関係が明るみになってゆく。物語は螺旋状に進行し、だんだんと骨格の大きさが見えてくる警察ドラマで、ゲージュツ関係おまへんのわたしとしてはまことに見ごたえのある映画だった。結末もスッキリして心地よい。

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宮崎学『突破者』は痛快そして一九七0年前後の学生運動や部落解放運動についての興味深い証言満載の作品だった。ただし以後の作品は理屈っぽくなった印象があり手にする機会がないままになっている。その宮崎氏がさる三月三十日七十六歳で歿した。記事には群馬県の高齢者施設で老衰のため死去とあり、これにはびっくりした。

昔ならともかくいまは七十代で老衰はありえないという観念を無意識のうちに持っていた七十代のわたしにはショックで、老衰による死を願う人は多いが七十代となると二の足を踏むだろう。

四月十六日には俳優の柳生博さんが八十五歳で老衰により亡くなった。老衰についてネットには、現代の医療では、どんな病気だとしても、老衰をめざした治療やケアをしている、最も苦痛のない死に方とあった。年齢はともかく宮崎、柳生両氏とも苦痛なく逝かれたであろう。ご冥福をお祈りします。

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五月十五日。大相撲中日。ことし二度目の国技館は午後一時に入館し三段目取組みの合間に行われた新序出世披露を見ることができた。角界初の東大生力士須山(立っている力士、木瀬部屋)は最初に紹介を受けていた。これで次の名古屋場所から番付にしこ名が載る。

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今場所は入場者数制限が緩和され一月に来たときのおよそ二倍となり、客席でのビールもおひとりさま一本はよろしいとなった。うれしいねえ。

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加藤周一によると、森鴎外坪内逍遥以来の西洋文芸の翻訳の歴史は渡辺一夫訳『ガルガンチュアとパンダグリュエルの物語』(岩波文庫)の記念碑的事業に到って頂点に達した。ほかにも同書を讃える識者は多く、つられてわたしも手にしてみたがとちゅうから飛ばし読みになり、けっきょく挫折した。

いっぽう『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(ちくま文庫)として新訳を提供した宮下志朗氏は「歴史的な名訳として、今後も語り継がれるであろう渡辺一夫訳の日本語が、学生諸君には容易に歯が立たないものになっていることは、教室などでひしひしと感じてはいた。どんな名訳でも、このような運命を逃れることはできないらしい」(第五巻あとがき)と述べていて「記念碑的事業」も困難な局面にある。

そこで渡辺訳は断念して宮下新訳に代えたみたところ、親しみやすさはあったが作品世界になじめずこちらも飛ばし読みで終わった。

モンテーニュ『随想録』と『ガルガンチュア』 は十六世紀フランス散文芸術の双璧とされていて、前者は生涯にわたる愛読書となったけれど後者は挫折に終わった。 心が硬く、視野の狭いわたしはSF、ファンタジー系に弱く、荒唐無稽にして途方もない『ガルガンチュア』は不向きだった。ただし性をめぐる歓談では何度かニヤリとした。いずれもリアリズムに即していて、以下はその一例。

「支払うべきものを、そして相手を十分に満足させるべきものを、いつでも、たっぷりと持ち合わせているわけではない、われわれ男性におきましては、自分にはコキュ(寝取られ男)になる危険が絶えずあるのだということに、驚き呆れてはいけないのであります」。

これに関連して、シェークスピア『オセロ』のラストでオセロはみずからを「賢く愛せなかったが、深く愛した男」と語った。(河合祥一郎『新訳オセロ』角川文庫)。

賢く愛せなかったのは、妻のデズデモーナの不倫を疑った果てに殺してしまったことにあるが、訳者によると当時の「寝盗られ幻想」が作用していて「どうしてエリザベス朝の夫たちは、妻に不貞を働かれるのではないかと、そこまでおびえなければならなかったのかと驚くほど、この『寝盗られ幻想』はさまざまな言説に蔓延していた」のだった。過度の男性性が求められ、そこから結婚とは妻を完全に従属させることという発想が生まれ、まもなく不安と幻想が忍び寄る。

シェークスピア(1564〜1616)の作品に表れる「寝取られ幻想」。フランソワ・ラブレー(1483?~1553)『ガルガンチュワとパンタグリュエル』にあるコキュ(寝取られ男)になる危険。じっさいモンテーニュ(1533〜1592)は実弟に妻を寝取られていた。やっかいなものです。

(わが日本におけるコキュ、難しくいえば不義密通の問題については、本ブログにある以下の記事を参照してみてください。)

https://nmh470530.hatenablog.com/entry/2020/08/20/000017

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江崎誠致(1922〜2001)という作家についてわたしは文壇囲碁愛好者のなかで中野孝次(1925〜2004)と並ぶ実力者というイメージしかもっていなかったが、宮田昇『図書館に通う 当世「公立無料貸本屋」事情』(みすず書房)を読んでずいぶんときびしい戦争体験と共産党体験があったと知った。

「神風特攻の一番機には兵学校出身の関大尉がえらばれているが、その後の特攻機の乗員は、すべて学徒兵や少年航空兵たちである。国家への責任や義務を説く本職の軍人は死なず、責任や義務を説かれる召集兵が犠牲になった」。わたしが江崎の作品を読む可能性はほぼないがこの記述は記憶に留めておきたい。

江崎はルソン島での敗走中、銃弾が右足を貫通した。だが仲間の誰ひとりとして足を止めることなく彼を見捨てた。そして必死にあとを追って生き残った。自伝小説によると戦後、会社も私財もすべて日本共産党の地下財政活動に投げ出し、医者に払う金もなく息子を亡くした彼に党は責任を取ろうとしなかった。

これらの体験を通して江崎は「生涯、何があろうと、二度とふたたび、組織なるものに属しての活動はおこなわないことを心に決めた」のだった。これをうけて宮田昇は「おそらく文壇も、彼にとって、軍隊や党のごとく、組織であったのではないか。少なくとも碁の対決のほうにより真剣さを感じたのだろう」としるしている。

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昔、米国で短篇小説のコンクールがあり、千五百字を超えてはならない、入選作ではいちばん短いのをよしとしたそうだ。それに寄せて薄田泣菫は、ならば不幸な女は自身の持つ離縁状を送ればよい、たった三行半(みくだりはん)であれだけ意味の長い物語はどんな小説家だって書きようがない、と述べた。

山崎正和氏がイェール大学で、学生たちと英文で『伊勢物語』を読んだときの感想を、英語を通して読んでみて、この物語はいかに必要なことだけしか書いていないかという発見に驚いた、恋をして三十一文字の歌を読むのに「をとこ」と「をんな」がいれば十分ではないかという鮮やかさだと述べていた。

そういえば「男と女と車が一台あれば映画はできる」という名言があったが、どなたがおっしゃったのか思い出せず、ようやく上原謙のバスの運転手、桑野通子の乗客、そうだ「有りがたうさん」の清水宏監督だと推しはかったが、調べてみるとジャン・リュック・ゴダールで、その言葉どおり「勝手にしやがれ」を、そして「気狂いピエロ」を撮ったのだった。

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五月二十九日。東京でもようやく各地でマラソン大会が行われるようになり、きょうは北区赤羽荒川マラソン大会に出場した。

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数日まえから天気予報がこの日は真夏並みの気温で熱中症に警戒するよう繰り返していた。じじつ三十度越えの気温で熱中症が怖かったがなんとか逃れられたものの疲労の度合は大きく十五キロ余までの各五キロの平均は三十四分だったのが、最後の五キロは四十六分もかかってしまった。ハーフマラソンではこれまでなかったことで残念だった。総合順位17/25、男女別16/21。

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もちろんきょうはビールと焼酎で慰労、一日おきの晩酌なので明日は該当しないが、ご褒美として特別に連チャンとした。うれしいな。