日本の牡丹はロシアでは咲かない

昨年英語の辞書を紙から電子に変えたところ、なかに語学学習用のテキストとして「OXFORD BOOKWORMS」という読物群が収められていた。難易度で六段階に分けられており、いまようやくレベル3まで来た。 

内容はアンネ・フランクガンジージョン・F・ケネディネルソン・マンデラスティーブン・ホーキングといった人たちの伝記、ヘンリー八世とその妻たち、四十七士などの歴史読物、もちろん有名な文学作品もリライトして収録されている。これまで読んだ文学作品は「オペラ座の怪人」「オズの魔法使い」「ドラキュラ」「ロビンソン・クルーソー」「オー・ヘンリー短篇集」「野性の呼び声」「クリスマス キャロル」、このあと「オセロ」「ベニスの商人」「秘密の花園」「ボートの三人男」「宝島」などが並んでいてちょっとした縮約版世界文学全集だ。そして最後はウィルキー・コリンズ「白衣の女」が控えている。これまでに二度夢中で読んだ大長篇小説で、なんとかここまで順調に進めるよう願っている。

既読の文学作品の多くは邦訳や映画などで知識はあったがジャック・ロンドン「野性の呼び声」は名前のみ知る作品で、語学学習だけでは物足らず、深町眞理子訳『野性の呼び声』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。ほんとは原書に当たりたいがまだまだ力不足、ファイトだ!

物語は、裁判官の家でだいじに飼われていた大型犬バックが、その家の使用人の金欲しさから売り飛ばされ、ゴールドラッシュに沸くカナダ・アラスカ国境地帯で橇犬となる。大雪原を駆け抜け、力が支配する世界で闘ううち、その血に眠っていた野生の荒々しさがめざめはじめる、といったもので、わたしは犬を主人公とした冒険小説として読んだ。

巻末の信岡朝子氏の解説によると「『野性の呼び声』という作品は、批評家たちの間では動物の物語である以上に、人間に関する寓話であり、「文明批判」の物語であるという解釈が一般的である」「たとえばこの物語は、過酷な環境に耐えて主人公が自立を目指すというプロットから、しばしばロンドンの境涯とあわせて解釈される」「あるいは、類まれな「スーパー・ドッグ」として成長するバックの姿に、ロンドンの、ニーチェの「超人思想」への傾倒を読み取る解釈がある一方、一九0四年に書かれた小説『海の狼』は、ロンドンがその超人思想を疑うために書いたといわれている」とあり一筋縄ではいかない作品のようだ。若いときはこうした議論は気になっていただろう。しかし、いまのわたしには専門家のブンガク談義はどうでもよろしい。『野性の呼び声』はあくまでも優れた冒険小説である。

          □

和歌。散歩のとちゅう、本郷通りに面した向丘の浄心寺でお花見をした、と日記に書いたのが三月二十八日。きょう四月八日、同寺の前を通るとはや葉桜の準備状態にあった。

「さく花のちれる木末に夕風のそよぐも春の名残ならまし」大田南畝

「花径暗水 ちる花の音きくほどのうき枕夢路もかほる春のうたたね」藤原惺窩。

俳句。見当違いの付け合わせの最たるものとして「木に縁りて魚を求む」(孟子)がある。類義として「天に橋をかける」「山に蛤を求む」「水を煎りて氷を作る」「水中に火を求む」などがある。でもこんなところから俳句の妙も生まれる気もする。

「くづ砂糖水草清し江戸だより」

隅田川はるばる来ぬれ瓜の皮」

キャッチコピー。「自然に帰れ」はルソーの思想の核心にある言葉とされるが彼の著作のどこにも見出されないそうだ。おなじく「天災は忘れた頃にやって来る」も寺田寅彦の著作にはない。おそらくキャッチコピーに長けた人がいて、それぞれの本質を示す言葉として提示したのだろう。昔からコピーライター向きの人はいたのだ。

          □

四月九日。10kmヴァーチャルマラソンを走った。

フィニッシュタイム56:31。総合ランキング320/799。男女別ランキング294/685。

嘆きや不満はあってもこれで一喜一憂しているあいだはしあわせとしておかなければいけないな。

          □

毎月十二日はパンの日だと知った。なかでもきょう四月十二日はパンの記念日とされている。一九八三年パン食普及協議会によって定められたこの記念日は、一八四二年四月十二日に伊豆国韮山代官にして、洋学の導入に貢献し海防の整備に実績を挙げた江川太郎左衛門が日本で初めてパンを焼いたことに由来している。軍用携帯食糧で「兵糧パン」と呼んだパンである。

いくつかの歳時記にあたってみたがパンの日は立項されていない。ただ『季語集』(岩波新書)の著者、坪内稔典氏が個人的に、あんパンを春の季語としている。ことし二月から『新版 角川俳句大歳時記』が刊行されている。未見だが、はたしてパンの日、あんパンは歳時記入りしているだろうか。

「あんパンに空洞窓に楠(くす)の花」坪内稔典

もっともパンは季節のものではないから季語にはなりにくい。槌田満文編『明治東京歳時記』には四季につながりのない物売りとして、新聞の号外売り、納豆売り、パン売りなどが例示されている。

          □

ことしの東大の入学式はパンの日に当たっていて、映画監督の河瀬直美さんが祝辞で、ロシアによるウクライナ軍事侵攻に言及し、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかりあっているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか」と述べた。

ロシアとウクライナの戦争に双方の信ずる正義の対立という要素があるのは否定しないけれど、どうやらこの方からすると多くの国民は「一方的な側からの意見に左右されて本質を見誤っていないか」ということになるらしい。問題は互いが主張する正義の対立を武力で解決しようとするロシアの行動だと思うんだけど。

要はロシアはすべて邪悪、ウクライナは善などと多くの人々は思っていない、わたしも含め。問題は議論すべきissueを軍事で片付けてしまおうとする思考と行動なのである。ロシアがウクライナとの関係から生ずる諸問題を検討したいなら話合いをすればよい。しかしこの国は侵略戦争に踏み切ったのだ。

          □

ついこのあいだまで知らなかったウクライナの国旗🇺🇦だが、ふと見るとおなじ色合いのものがわが家にもありました。

f:id:nmh470530:20220427134902j:image
f:id:nmh470530:20220427134859j:image
犠牲者の数とか、ロシアが攻勢を強めているといった報道は重要ではあるが、ときに気の毒で見ていられなくなる。先日はニュースを打ち切り、犠牲者が少なくなるよう願いYouTubeウクライナ国歌と映画「ひまわり」の主題歌を聴いた。

憂慮する国が追い詰められているのを見るのはつらい。米国もNATOウクライナに戦争を請け負わせているだけじゃないか、無責任ではないかと怒りをこちらに向けるときもある。

ウクライナに軍事支援するにしても、いっぽうでこの戦争の着地点を探ることはそれ以上に重要だが、支援する国々はどのような意向なのだろう。

ロシアがめざす着地点はわかっているが、ウクライナを支援する国々、とりわけ米国とEUがめざしている着地の構想がよくわからない。ウクライナがロシアを追い返せるとでも考えているのだろうか。いやなことだけれどそれが難しいとなれば支援している国々はどうするのだろう。

          □

四月十四日、ロシア国防省黒海艦隊の旗艦である巡洋艦モスクワが重大な損傷を被ったと発表した。原因についてはロシアとウクライナで主張は異なるが、いずれにせよウクライナの被害が少しでも和らげられるよう願っている。そんなことを思いながら百均のお店をのぞくと赤飯があり、なぜか急に食べたくなった。家でレンチンして味わったところ百円の数十倍はする美味しさだった。

中里恒子「牡丹の客」によると、牡丹の花は老木になるほど花にこくが出て、言い知れぬ気力を漂わすが、風土が気に入らなければすぐ枯れるそうだ。どうやら好き嫌い、相性は人間だけじゃなく花木にもあって、中国の牡丹はともかく、日本の牡丹をいまのロシアに移し植えてもすぐに枯れてしまうだろう。

ほんとうはこんな偏狭な心は戒められるべきだ。日本、ロシア、中国どこであれ人の心を慰め、癒してくれるのが自然のやさしさである。そうとはわかっていても心の傾きを修正するのは難しい。

「花ながら植ゑかへらるる牡丹かな」越人

牡丹の原産地は中国で、日本には平安時代初期に薬用植物として渡来した。一般に鑑賞されるようになったのは江戸時代からだから花の王と称せられるわりに鑑賞されるようになったのは新しい。

「はなやかにしづかなるものは牡丹かな」暁台

「美服して牡丹に媚びる心あり」子規

          □

週刊誌にあった某社のジンが気になり、さっそく買ってきて晩酌の食卓に置いた。何年かぶりのジンで、そのときはライムで割って飲んだのを思い出したがライムは買いおきがなくて今回はロックで飲んだ。久しぶりのジンはきつかったが水で割るのは好きじゃない。

晩酌は焼酎かウィスキーを飲むが、どちらもロックがほどよい。焼酎はその日の料理と気分で芋、麦、黒糖のいずれかを選ぶ。ウイスキーはスコッチもバーボンも好きだがハイボールは多量に飲まないようにしている。ビールも同様で、若いときビールの二日酔いで酷い目にあったことがあり、体内に水分が増えるのを警戒しなくてはならない。

モンテーニュが『エセー』に引用しているセネカの書簡文に「アッタロス(セネカの師でストア学派)はなくした友の思い出は、古くなったワインの苦味のように心地よい、《ファレルの古酒をついでいる少年よ、いちばん苦いやつを注いでくれ》。あまずっぱいリンゴみたいにこころよい」とある。

コロナ禍で口福の楽しみの比重が高まり、お酒が好きというより恋しくなった。老いらくの恋である。晩酌は定量だから量が増えたわけではないが精神的にはアルコール依存症に陥った。けれどアッタロスのいう古くなったワインの苦味の心地よさは未経験だし、ファレルの古酒は見たことも聞いたこともない。まだまだ開拓の余地は大きい。

          □

Amazon Prime Videoにある「Cold Case」のシーズン1を見た。フィラデルフィアを舞台に、未解決の殺人事件(通称「コールドケース」)を女性刑事リリー・ラッシュを中心とする殺人課のメンバー、未解決事件専従捜査班が解決していく物語で、エピソードは二十三もあるが四十五分の一話完結なので空き時間に気楽に見られる。

米国での放送は二00三年から二0一0年にかけて、七シーズンにわたるエピソードの総計は百五十六にのぼる。いくら閑のある隠居といってもすべておつきあいすると大変だぞ。さてどうするか。

それはともかくこのTVドラマに刺激されて韓流ドラマ「シグナル」を視聴し、 ロイ・ヴィカーズ『迷宮課事件簿』を読みはじめた。ちなみに「Cold Case」には「 迷宮事件簿」と副題が付いている。

ここへきてわがエンターテイメントの世界は未解決事件の再捜査作品が大流行、「シグナル」には日本版リメイク『シグナル 長期未解決事件捜査班』と映画編もあり、しばらくは迷宮課に浸ることになりそうだ。

日本では二0一0年に改正刑事訴訟法が施行され、強盗殺人、殺人などは二十五年だった時効を廃止した。韓国でも最高刑が死刑に当たる罪の公訴時効期間が二00五年に十五年から二十五年に延長され、二0一0年には公訴時効そのものが廃止された。時効の廃止があり日韓の「シグナル」は成り立つわけだ。

          □

JSPORTSでヴァーシティーマッチと呼ばれるオクスフォード対ケンブリッジラグビー対抗戦の放送があった。さいしょは女子、次に男子。体育会に女子ラグビーチームがあればの話だが、早慶戦早明戦でも取り入れたら女子ラグビーの普及が進むだろう。わたしが学生のころは選手の交代が認められていなかったから、本戦に先立ち二軍戦をしていた。

在職中はよくラグビー場に足を運んだが年金生活となってからはお誘いがあればおつきあいする程度で、ほとんどはテレビで観戦している。ただ、世界の強豪やジャパンのテストマッチがJSPORTSからWOWOWへ移ったのが残念。ま、そこはよくしたもので後輩の友人がときどき録画したDVDを貸してくれるのが有難い。

わたしは欲の強いほうではない。なんとか生活できる資金があれば、あとは時間を大切にしたい。金がなければないで、それに合わせてつましく生きる。まなじりを決して金儲けに走ったりするのはいやだ。家族はなんでもパクパク食べることと体重がほぼ一定で服が長く着られること(だけ)が取り柄だという。長距離走が洋服代の節約に一役買っている。

          □

津野海太郎『百歳までの読書術』(本の雑誌社)を読んだ。著者は一九三八年生まれだから一九五0年生まれのわたしとはちょうどひとまわり違う。

年齢はともかく、元大学教授で著名な文筆家だから、本と家計をめぐる様相はだいぶん異なるだろうと考えながら読んでいると、そうでもなく、年金生活者として共通する要素は多い。

「いかに収入が減っても読みたい本は読みたいし、けっきょくは読むのである。そのために収入激減老人がこらす工夫のあれこれ」となるとまずは図書館を使いこなさなければならない。図書館の本を読むようになって津野氏はメモをとりながら読むようになったという。わたしはメモを兼ねたこのブログである。

近年の津野氏は森銑三柴田宵曲の共著『書物』の現代版を書き継いでいる印象がある。『書物』に「書物の愛好家も、活字本から木版本、写本へ……」とあるが、いまはよくもわるくも活字本とデジタル本で、おのずと『書物』の現代版が求められる。

おなじく津野氏の『読書と日本人』(岩波新書)に一九七0年代後半から同世紀末あたりまでの日本の読書界の俯瞰図が示され、三つに分類されている。

「昭和軽薄体」系 (嵐山光三郎椎名誠赤瀬川原平林真理子糸井重里

〈かたい本〉を代表する「ニューアカ・ブーム」系( 山口昌男浅田彰栗本慎一郎中沢新一上野千鶴子四方田犬彦

〈やわらかい本〉よりの「博識」系( 丸谷才一開高健井上ひさし大江健三郎司馬遼太郎

こうして眺めてみるとわたしがいちばん親しんだのは〈やわらかい本〉よりの「博識」系のなかの丸谷才一だった。どうしてこの人だったかは、わたしにおける人間の研究で、とりあえずは多読、博識の人が好きで、そのためか「ニューアカ・ブーム」系の山口昌男は気になっていて、いずれ読みたいと思っている。何という遅々たるあゆみ。