昔も今も

ジョン・スタインベック怒りの葡萄』は一九三0年代末に発生した干ばつと砂嵐をきっかけに農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との対立を素材とした小説で、三0年代アメリカ文学の屈指の作品が刊行されたのは一九三九年のことだった。

所有地が耕作不可能となったオクラホマの農民は流民となり、カリフォルニアをめざす。だがここもすでに労働力過剰となっていて、後発者の希望は打ち砕かれる。農業の機械化を推進する資本家たちは金のためなら作物はどうなってもかまわない。

「コーヒーは船の燃料に燃やしちまえ。玉蜀黍は暖房に使っちまえ。とてもあつい火がたけるぞ。ジャガイモは河に捨てちまえ。そして、腹のへったやつらが、それをすくいにこないように、堤に番人を立てろ。豚は殺して埋めちまえ。そうすれば腐った膿は土にしみこんでしまうだろう」(大久保康雄訳)

スタインベックが描いたカルフォルニアでの出来事をもっともっと大規模にすれば、いまロシアがウクライナの農業に加えている圧迫と重なる。カリフォルニアの悲惨は合衆国内で済んだかもしれないが、いまは世界規模となる。ロシアはウクライナに勝利するためなら食糧などどうなろうとかまわない。仮にウクライナの農業地帯に核爆弾を用いるとこの国の農業は死滅し、世界の食糧危機は加速する。

スタインベックは(カリフォルニアの)「豊穣な果物の実りの陰には、理解と知識と熟練とをそなえた人たちがいる。(中略)豊かな収穫があがるよう、たえずその技術を発展させている人たちである」。

この人たちをかつての米国は潰した。いまはロシアが潰しにかかっている。歴史は拡大再生産で繰り返す。

 


第二次世界大戦中、ポーランドに設けたゲットーを管理するナチスの警備兵たちはしばしば時計の針をわざと進め、ポーランド人が通行禁止時刻を守らなかったと彼らを逮捕したり鞭打ったりして楽しんでいたそうだ。ドイツ兵たちは収容所の内側でユダヤ人を、外ではポーランド人を虐待していた。いまロシアが掌握したウクライナの地域でどのような蛮行をしているかを推測するヒントとなるだろう。

ロシアという国連常任理事国侵略戦争により国際秩序を壊そうとしている。対して国連は実効性ある行動はとれないままだ。国連には日本国民の血税も投入されているが、この体たらくではドブに金を棄てているのとおなじである。暴論御免で書くけれど国際連盟を脱退した昔の日本は偉かった。

一九六二年、のちに南アの大統領に就任するネルソン・マンデラが有罪判決を受け収監されたとき、国連はすべての国々に南アフリカ共和国からいかなる物品であっても買うことを拒否するよう要請した。かつて南アに対してできたことが、いまどうしてロシアにできない?

南アだから強気に出られたのであり、国力の強いロシアには遠慮しているのでれば、何のことはない、粛々と長い物に巻かれているのと変わらない。

総会や安保理事会で全会一致が難しいというのなら、事務総長の声明など何らかの方策を考えるべきだろう。それでこそ国連ではないか。