「飾り窓の女」

一九六0年代のはじめにリバイバル上映がさかんだった時期があり、当時わたしは「駅馬車」「荒野の決闘」「黄色いリボン」といった西部劇の名作を観ている。小学校の五年生から六年生にかけてのころだった。
荒野の決闘」はグリーンの膜がかかっていて、ずいぶんへんな映画だなあと思いながらも、その詩情はおさなごころに感銘を覚えた。大学生のとき再見してようやくふつうのモノクロ作品と知り、以前の処置にあざとさを覚えたものだった。
「黄色いリボン」では濃紺の騎兵隊の帽子をちょっと斜めにかぶり、黄色いリボンで髪を束ねたジョン・ドルーの姿に心ときめいた。
いずれも二本立て上映だったはずだが併映作品についてはまったくおぼえていない。それが「駅馬車」となると一転していまなお忘れがたい思い出がある。

なにしろ新聞広告に「駅馬車」との同時上映が「飾り窓の女」(La Fille dans la Vitrine)とあったから興奮した。若き日のジョン・ウェインの伝説的名作と知る「駅馬車」とともに妖しくエッチな映画が見られるのだ。絶対にこの機を逃してはならないと決心したものの母に話して新聞を広げられたりするのが心配だった。二、三日してドキドキを押し隠して「駅馬車」という西部劇を見に行くと話したところ拍子抜けするほど何のチェックもなく、まずは障碍をクリアーした。このままでゆけばつぎの土曜か日曜には「飾り窓の女」という秘密のひとときが待っているとほくそ笑んだ。
ここから記憶があいまいになるのだが、結論を言えば、同級生で仲良しだったYくんを誘ったか、彼から誘われるかした結果「駅馬車」にはたどり着いたけれど「飾り窓の女」には出会えなかったのである。自分から誘っていたとしたら恍惚と不安をわが身ひとつで持ちこたえられなかったのではなかったかと思う。しかし仮にこちらから誘ったとすれば、自分の親にはずいぶん警戒したからYくんの親の反応にも気を回したはずで、そう考えると誘われた可能性が強い。いずれにせよ作戦決行の直前、Yくんから、お母さんもいっしょに行くとの話があった。もちろん「飾り窓の女」回避のお目付として。こちらに返す言葉はなかった。
たしかに「駅馬車」は噂に違わぬ名作だった。しかしその感激とおなじ程度の落胆と失意を抱きながら映画館をあとにしなければならなかった。その後いまにいたるまで「飾り窓の女」にはお目にかかっていない。
双葉十三郎『ぼくの採点表』によれば、アムステルダムの飾り窓のなかにいる魅力ある女マリナ・ブラディ(写真)とイタリアから来た若者で炭坑夫のベルナール・フレッソンが恋に落ち、若者は炭坑を離れイタリアへ帰ろうとするが彼女への愛情棄てがたく、ふたたび炭坑夫として働きはじめるといった物語で、年齢制限もなく、とりたててエッチな作品ではない。とはいってもアムステルダムの公娼街の雰囲気など小学生には大きな刺激だったかもしれない。

森田たま「もめん随筆」の一編に「飾り窓の女」についての感想がある。この題名から女史は「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘプバーンがパーテイからの朝帰りに宝石店の飾り窓を覗いている場面を思い浮かべたという。ウィンドウショッピングをたのしむ女の映画と解釈したわけだ。ところが案に相違してスクリーンの飾り窓には宝石ではなく女が入っていた。
小学生だったわたしはこの題名から、人目をはばかる映画にちがいないと確信したのだったが、女史のような解釈も成り立つわけで、しかしそれは「もめん随筆」を読むまでは思いもよらない解釈だった。女は窓のなかにいて客の視線を浴びているのか、それとも窓のなかをのぞいて買物を思っているのかの二択の問題なのだが、わたしに選択の余裕はなかった。
この映画を小学生に許可しなかった理由は明らかだが、母が何の文句も口にしなかったについてはいろいろ推測の余地がある。
第一、母は「駅馬車」の併映が「飾り窓の女」と知ってはいたが森田たま女史とおなじくウィンドウショッピングでもしている女のことだと思っていた。
第二、西洋女郎屋のいかがわしそうな映画だが、たかが映画であり年齢制限もないので放っておいた。
第三、ほんとうは見せたくないが、許さないとなると子どもが機嫌を悪くしてますます勉強しなくなるおそれがあるので知らぬふりをしていた。
第四、見せないとなるとそのわけも話さなければならなくなり、鬱陶しい性教育がらみの話題など真っ平だった。
第五、これ以外考えられないほど可能性が強いのは、共働きで忙しく子供がどんな映画へ行こうとかまってなどいられず「駅馬車」の同時上映なんかに気が回らなかった。なおYくんのお母さんは専業主婦だった。
似た題名でのちに「飾窓の女」(The Woman in the Window)という映画を観た。監督フリッツ・ラング、主演はエドワード・G・ロビンソン。一九四四年の作品で日本では一九五三年に公開されている。フリッツ・ラングの特集上映では必ずといってよいほどプログラムに組まれる秀作だから「かざりまどのおんな」と聞けば多くの方はこちらを思い浮かべるだろう。犯罪心理学が専門の大学教授が巻き込まれるニューロティック・スリラー作品で、ショーウィンドウにあるのは美しい女性の肖像画である。
そこで第六の推測。母は「飾り窓の女」をスリラー映画と取り違えていた。まさかね。