生誕120年木村荘八展

一九一四年(大正三年)に辰野金吾が設計した煉瓦壁の東京駅丸の内駅舎が免震構造を施したうえで復原され、それとともに同駅内の東京ステーションギャラリーが活動を再開した。再開記念としてこの三月二十三日から五月十九日にかけて「生誕120年木村荘八展」が開催されている。ことしは画家の生誕百二十年にあたる。

永井荷風『濹東綺譚』は昭和十二年四月十六日から六月十五日にかけて、とちゅう時局の逼迫や朝日新聞の社内事情による休載をはさみながら三十五回の連載を以て完結した。この連載には木村荘八の挿絵が錦上花を添え、それはいまなお新聞連載小説挿絵の最高峰と評価されている。小説ではなく挿絵をメインとした『濹東綺譚画譜』という本があるほどだ。画家自身、明治の文学から一篇を選ぶとすれば一葉の『たけくらべ』、それ以降では『濹東綺譚』と語ったほど惚れ込んだ作品で、そこには木村の情熱が内包されている。
これまで江戸東京博物館で催された「永井荷風と東京展」をはじめ何回か荷風関係の展覧会に足を運んだが、そのかぎりでは木村の挿絵原画の展示はなかった。それをいまギャラリーで眼にすることができたのだから心は躍った。

木村荘八は画家のいっぽうで『東京の風俗』や『現代風俗帖』といった文明開化期からの東京の風俗考証に関する随筆集を残した。なかでも昭和三十三年十一月十八日の没後、同月三十日付けで刊行された遺著『東京繁昌記』は画文集の傑作で、『濹東綺譚』挿絵や『たけくらべ絵巻』といった代表作とともに東京の姿を描いた多数の絵画と文業が二百数十頁の大型本に遺憾なく収められている。ギャラリーには挿絵とともにこれら画文集の原画も展示されている。垂涎の展覧会というほかない。淡墨に別の塗料を塗った盛り上がり感などこのほどじっさいに接してみてはじめて知ることができた。
挿絵や画文集の作品はほとんど墨かインクで描かれたものなので、わたしはこの画家の油彩画については岸田劉生と袂を分かったのちの懐旧情調ただよう一部作品を除いてはほとんど知らずにいたけれど、この展覧会では初期から晩年にいたる多数の油彩画が展示されている。
挿絵画家としてどれほど評価が高くても木村自身は本領は油絵にあると考えていた。ところが評価はさほど高くなく、生活を支えたのは挿絵、随筆、舞台映画の時代考証だった。そうしたなか最期までいそがしい時間を割いて油彩画の制作に熱意を注いでいた。
図録もよい出来具合で、いままでは挿絵や画文集の作品偏重だったが、これからは油彩画もいっしょに眺められるのがうれしい。

〔附記〕
安藤鶴夫『寄席紳士録』に東横ホールで湯浅喜久治がプロデューサーを務めたときの東横寄席のバラエティが紹介されている。まずホールのいちばんうしろから木遣りの声が起こり、赤筋の半纏を着た江戸消防記念会の頭たちがうたいながら客席を通り舞台へ上がった。幕が上がると宮城道雄の箏曲の合奏団がずらり三十人、これにペギー・葉山の歌、吾妻徳穂の舞踊、志寿太夫の清元がつづいた。休憩があってダーク・ダックスの世界の歌メドレー、つぎに丹下キヨ子と橘薫の新型漫才、そのあと松井八郎のピアノ伴奏による越路吹雪シャンソン徳川夢声が一席うかがったあとのフィナーレでは渡辺晋とシックスジョーズの演奏でSKDのエイト・ピーチェスの美女たちが舞った。昭和三十年代はじめの贅を尽くした舞台で、百円かかった木村荘八のプログラムを定価五十円で売っていたという。このプログラムぜひ一度見てみたい。