「久保田万太郎生誕の地」碑

久保田万太郎は明治二十二年(一八八九年)十一月七日、東京市浅草区田原町三丁目十番の袋物製造販売業の家に生まれた。現在の住所表記では台東区雷門一丁目十五となる。
玉乗。剣舞。かっぽれ。都踊。浪花節。道具屋。古鉄屋。襤褸屋。女髪結。かざり工場。猿茶屋。釣堀。射的。楊弓場。松井源水の歯みがき売り。独楽まわし。居合抜き。
関東大震災の前にすでに浅草から消えたかもしくはずいぶんと影が薄くなってしまったもろもろを万太郎の随筆のなかから拾ってみた。
上の松井源水は江戸の享保期の初代から昭和の十七代までつづいた大道芸人で参詣客に居合や曲駒を見せて歯みがきや薬を売った。慶應義塾で万太郎が教えを受けた永井荷風の句集『荷風百句』には「浅草画賛」として「永き日や鳩も見てゐる居合抜」が収められている。