「ヒッチコック」

ヒッチコックトリュフォーによる名著『映画術』のなかでヒッチコックは「サイコ」は製作費が八十万ドル、収益はおよそ千三百万ドルにのぼったと誇らしげに語っている。また、一九六0年当時の八十万ドルはテレビジョン番組の製作費なみで、これで劇場用映画をつくるのだからテレビとおなじスピードが要求され、シャワーでの殺人シーンやそのあとの掃除の場面など数箇所のほかはたいへんスピーディに撮りあげたとも述べている。

サーシャ・ガヴァシ監督「ヒッチコック」は「サイコ」の製作過程を五十年あまりのちに振り返りドラマ化した作品で、ここで「サイコ」はヒッチコックが語ったほど快調、上首尾に推移した作品ではない。パラマウント社は作品を異端視というかゲテモノ扱いして資金を出さず、ヒッチコックとアルマの夫妻は自邸を抵当に資金を調達せざるをえなかった。それに一度はヒッチコック自身、失敗作に終わったと音を上げ、映画編集者だった妻アルマの助力にすがった。
「サイコ」はヒッチコック作品のなかで、もっとも製作過程やコマーシャル効果が話題となった作品だった。『映画術』や主演女優ジャネット・リーの『サイコ・シャワー』など当事者による著作のほかにもこの映画の原作となったスティーヴン・レベロのノンフィクション『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』をはじめ専著、研究書も多い。そんなことからヒッチコックファンには、シャワーシーンや私立探偵の階段からの転落シーンにおける技術的な解析だとかグレース・ケリーを失ったあとのブロンド美人女優への執着や遍歴のドラマを期待する向きもあったのではないかと察せられる。とくに前者については『映画術』でヒッチコックが「大事なことは、映画のさまざまなディテールが、映像が、音響が、純粋に技術的な要素のすべてが、観客に悲鳴をあげさせるに至ったということだ」と語っていたことでもあった。ただし映画はそうした期待をほどほどに内包しながら焦点を製作過程におけるヒッチコックとアルマの夫婦愛にあてた。
「サイコ」はヒッチコックが抱いていた妄執や耽溺がよく表れた、その意味で私小説性の濃い映画である。窃視趣味や死体愛好癖、ブロンド美女への執着・・・・・・こうした心の暗部を特殊メイクでヒッチコックに扮したアンソニー・ホプキンスは過度に深刻になったり、それらを表現するための技術的なこだわりを見せたりするのを避けて堂々と、そして飄々と表現した。そのぶんヘレン・ミレンのアルマとスカーレット・ヨハンソンジャネット・リーが軽やかで上品な色香を放つこととなった。
こうしてヒッチコックの内部にある倒錯性や異常さの描写は適度に抑えられ、代わってそれらがどんなふうに作品へと昇華したか、そこに妻アルマがどのように係わっていたかが描かれて夫婦の愛が謳われた。
「観客に悲鳴をあげさせる」に至ったプロセスやさまざまな要素を掘り下げればシングルモルトの濃厚芳醇が得られたかもしれない。ここにはそれはないけれど良質のブレンドウィスキーの水割りほどの味わいはある。ちなみにわたしはどちらも好きです。
(四月八日TOHOシネマズシャンテ)